華佗るとき
さあ、どうする。
俺は死を迎える曹操に何をどう伝えるべきか。
いや、国や時代が変わっても、伝えるべきことは同じだ。
しかし、ここは三国志。
俺はひざまづいてから頭を床に付けて言った。
「天子さま。限りある命をどうぞ有効にお使いください」
多分、その場にいた3人全部の息をのむ気配。
そうだよな。普通は叩頭しての言葉は「いつまでも長生きを」だもんな。
俺は長生きできないと宣言した。
「華佗よ」
低く這うような曹操の声だ。
ああ、俺は処刑されちまうのかな。
「どういう意味だ。そちは一番の名医と聞いておるぞ。
以前の見立てをした「華佗」はどこに行った?
あの時のジジイと比べて随分と若くなっているようだが」
なんだよ、すでに曹操と会っていたのかよ!俺知らねぇよ。どうしよう。
そらー、別の華佗が来て「あんた死にます」って怒るでしょう。
どうしてくれるのよ。華佗本家!
「華佗。とは、この時代の医術を極限まで極めた者の意味です。
私は、頭の病に長けた医師として華佗を名乗りました」
大丈夫か、俺。問いの答えになっているの?
「余は死ぬ病なのか」
「恐れながら申し上げます。
頭の中に悪いデキモノがあり、日々大きくなっております。
それは、頭部の額の奥にあり、身体の動きや思考を妨げるものです。
頭蓋を割り開き取り除いても、奥深くまで進行しているため全てを取り除くことは不可能です」
たぶん、現代の医療を持っても放射線治療と化学療法を使って小さくできるか、どうかだろう。開頭手術をしても幻覚が出るってことは広範囲に取り除かなければならない。意識が戻らないはもちろん、戻っても言語障害、記憶障害、視覚障害、運動障害と様々な障害が出ると断言できる。
しかも、手術室と手術器具のない中での開頭は殺人行為だ。
頭髪を剃ってから目の細かいノコギリで開頭し洗浄用の生理食塩水で洗いながら骨の破片が入らないようにして髄膜を開き、脳を露出させ腫瘍を取り除く。レーザーで焼き切りながらできれば良いが、メスでどこまで深く取り除けるか。
進行の速さから悪性と考えられるから、細部まで取り除かなければならない。
除去が成功しても、その後だ。頭蓋骨を戻してもチタンプレートもネジもない。もちろん体内に吸収される吸収性プレートもあるはずない。
頭を閉じた後だって、脳挫傷、脳梗塞、脳出血、神経障害、髄膜炎、髄液漏の恐れがあるだろう。
だめだ。
だめだ。
いくつもシミュレーションをしてみる。
今持っている簡易な手術器具と、煮沸をして塩を加えた生理食塩水を作り、同じく煮沸消毒をして天日で乾かした布を用意する。度数の高い酒を用いる。この世界だと白酒になるのだろうか、あの酒のアルコールは何度だ?
だめだ。
だめだ。
どうしても命を救うことは出来ない。
「余はいつ死ぬ」
低く抑えつけるような重圧のある声だ。
俺はその声に気力で抗い頭をあげて曹操の顔を仰ぐ。
「おそらく、1年もないでしょう」
言い切ってしまった……
「なんと……」
「それは、まことか。嘘を申すでない」
そうだよな。
隣にいる主が一年以内に死ぬなんて信じられないよな。
「出来る治療はないのか」
曹操の声は穏やかなのが怖い。
「頭痛を和らげる麻沸散があります。しかし、病の元を取り除く術はありません」
「そうか……」
沈痛な曹操の声だ。
医療の進んでいる現代だって脳腫瘍の説明は死の宣告に近い。取り乱す本人に家族は当たり前の光景だ。
今回は、その病気の宣告に俺の処刑ってのがくっ付いているけれども。
それでも、適当なことは言えない。いくらCTスキャンもMRIがなくても医者として問診をして、それで導き出した病名に嘘は付けない。
「麻沸散か。関羽の毒矢の傷を治したと聞くが、その痛みを和らげる薬を用いたのか」
「関羽殿へ対応したのは、ジジイの華佗でありますが話は聞き及んでおります。
毒はトリカブトで肘の骨を削る必要がありました。
肉を切り開き、骨を削るので酷い痛みがあります。酒と共に麻沸散を飲み、腕を柱に固定させてからの施術を提案しましたが、関羽殿はその案を却下なさり、酒を飲みながら馬良殿と碁を打っていました。その間、まったく腕は動かなかったと聞きます」
「そうか、誠に強い男だったな関羽は」
「はい。そうでございますね」
「……余は関羽の幽霊を見る。関羽は余を恨んでいるのだろうか。
塩漬けになって届いた関羽の首を見るのだ。
灰色の肌、黒い唇。汚れた髭。眼球は塩漬けで落ちないよう瞼を縫い付けられている。
余の命じた姿だ。
その姿を月光の届かぬ夜も、昼間の煌々と日の射す場所でも見るのだ。
病気は神木や関羽の呪いではないのか」
「ご神木に関しては何も言えません。
しかし、天子様の病の症状に「幻覚を見る」のも入っております。
関羽殿は優れた武人であると聞いております。武人というのは戦いの中で死したとしても、それを恨むことはないのではありませんか」
「そうだな。関羽の姿は病の症状。しかし、それを選んで見せる余の心が関羽の死を悼んでいるのか」
「私もそう思います」
「うむ」
静かな沈黙に包まれた。
関羽の死を悼み、これから死を迎えようとする曹操の気持ちはいかほどか。
沢山の患者とその家族に寄り添ってきたつもりだ。
その対応、言葉一つ間違いがなかったなんて言えない。いつも、もっと良い伝え方がなかったのか迷う。
当たり前だよな。医者は病気を治す存在なのに、俺は死の宣告をしている。
脳腫瘍とは独り身では分かり難く、家族や会社などで密なコミュニケーションで分かる場合が多い。自分一人では分かり難いのだ。なので、俺のところに来る時には癌のステージがギリギリな場合が多い。
腫瘍は脳に関しては良性でも取り除かなければならない。腫瘍が健康な脳細胞を圧迫していることに間違いはないから。悪性ならば、より大きく取り除かなければならない。
痛みが少ない割には術後の回復は遅い。
俺の仕事って人を泣かせてばかりだな。
そんで、俺はこれからどうなるんだろう。
「華佗よ」
うっ。来た。
頭を下げる。
「余の死を口にしたからには、生きて外に出れると思うな。
膝を砕いたのち、牢へ死ぬまで入っていてもらおう。
悪く思うな。余の死を除けぬは大罪である」