(4)主の迎え
家出をした儘の金の貴公子に、遂に翡翠の貴公子が動きます☆
ほんわかBLです☆
少しでも楽しんで戴けたら幸いです☆
それから更に二日過ぎても、金の貴公子は帰らなかった。
彼の不在に翡翠の館のメイド達も心配の色を隠せないでいた。
メイド達は休憩室に集まると、溜め息をついていた。
「金の貴公子様・・・・本当に何処へ行かれたのかしら・・・・」
「家出・・・・なのよね??」
「多分・・・・」
翡翠の貴公子が普通にしているので、そう騒ぐ事ではないのかも知れないが。
だが、しかし。
「金の貴公子様が居ないと、何だか此の御屋敷、凄く静かで寂しいわ」
「そうなのよね・・・・」
「居らしたら居らしたで、べらべら五月蠅いけれど」
「居ないと・・・・寂しいわ」
あのナンパな金の貴公子の存在はメイド達にとって、既に主同様欠かせないものとなっていた。
「やっぱり水の貴婦人様よね・・・・」
皆、一様に頷く。
「四年振りの再会で、片時も離れたくないのも判るけれど・・・・」
「あれじゃ・・・・金の貴公子様、居場所が無いわよね」
四六時中、仲睦まじくしている翡翠の貴公子と水の貴婦人の姿は、メイド達も目にしていた。
「でも私・・・・正直、吃驚」
一人のメイドが言う。
「主様が、あんなに情熱的な人だっただなんて・・・・」
他の娘も頬を染めて頷く。
「夏風の貴婦人様がいらしても、あんなにべたべたされないのにね」
翡翠の貴公子と水の貴婦人の姿は、今が絶頂期の熱い恋人同士と云わんばかりの様子だ。
「あの御二方って昔から、ああなんですか??」
若いメイドが、館に勤めて十年になる年長のメイドに訊ねる。
すると年長の女は頷いた。
「水の貴婦人様が帰られると、いつも、ああよ。朝から晩まで二人で過ごしていらっしゃるの」
それこそ仕事も放り出して。
「そうなんですかぁ」
余程、愛し合っているのだなぁ、と思われる。
しかし。
「金の貴公子様・・・・早く帰って来られないかしら・・・・」
メイド達は揃って呟くと、しんみりと首を項垂れるのだった。
其の日の夜も金の貴公子は帰らず、当然、夕食刻の食堂にも姿はなかった。
翡翠の貴公子は、いつも金の貴公子が座っている席を暫し見遣ると、黙々と食事を始める。
斜め横の席では、水の貴婦人がにこにこしている。
二人は会話をする訳でもなく食事を勧めていたが、翡翠の貴公子はスープを食べ終わると、
ナフキンで口許を拭いた。
翡翠の貴公子の其の様子に、柔らかく速やかな物腰で執事が声を掛けて来る。
翡翠の貴公子は執事を見上げると、
「今日は、もういい」
そう言って席を立つ。
すると水の貴婦人も席を立ち、
「じゃあ、私もいいわ。部屋にワインを持って来て下さる??」
執事に微笑み掛ける。
そして翡翠の貴公子の後を追う様に食堂を出る。
水の貴婦人は部屋で翡翠の貴公子の腕を掴むと、抱き締めた。
「どうしたの?? 落ち着かないのねぇ」
翡翠の貴公子の顔を覗き込む。
「・・・・・」
翡翠の貴公子は黙った儘だ。
そんな翡翠の貴公子に水の貴婦人は微笑すると、彼の手を引いて長椅子に座らせ、
自分も隣に座る。
「あの金の鳥さんが心配なんでしょ??」
「・・・・・」
「もう此処より、居心地のいい場所に居るんじゃないのかしら??」
「・・・・・」
黙り続けている翡翠の貴公子の首に水の貴婦人は腕を回すと、
「もう忘れなさいな」
彼の額、目元、唇へと口付けていく。
ノックと共に執事が入って来たが、水の貴婦人は構う事なく接吻を続ける。
執事は顔色一つ変える事なくテーブルにグラスを置くと、
キャビアクラッカーやチーズの乗った皿を置き、コポコポとグラスに赤ワインを注ぐ。
そして静かに部屋を出て行く。
水の貴婦人は翡翠の貴公子の首筋に舌を這わせ乍ら接吻を繰り返す。
翡翠の貴公子は暫くされるが儘になっていたが、不意に水の貴婦人の手首を掴むと、
身体を離した。
そして静かな翡翠の瞳で彼女を見る。
「行かなくてはならない」
「・・・・・」
思わぬ翡翠の貴公子の言葉に、水の貴婦人は、すうと蒼い目を細めた。
其れは、いつもの微笑ではなく、静かな怒りともつかない無機質な表情だった。
「此処に居なさい」
「・・・・・」
余りに冷たい蒼い眼差しに見詰められて、翡翠の貴公子は彼女から目を逸らす事が出来なかった。
だが。
翡翠の貴公子は目を伏せる様に視線を外すと、
「行かせて欲しい」
小さく言った。
だが水の貴婦人は蛇の様な凍て付く眼差しで、翡翠の貴公子を見ている。
「私に逆らうの?? 私の言う事が聞けないの??」
「・・・・・」
「私の目を、ちゃんと見なさい」
水の貴婦人は伏し目がちに俯いている翡翠の貴公子の顎を掴むと、無理矢理、上を向かせる。
「貴方が此の世で一番愛しているのは、誰??」
「・・・・水の貴婦人」
「そうね。なら、私の言う事を聞かなくては駄目よ」
貴方は私のものなのだから。
「・・・・・」
「あの金の男の事は、もう忘れなさい」
「・・・・・」
「忘れなさい」
「・・・・・」
水の貴婦人は翡翠の貴公子を抱き締める。
そして彼の背中に白い手を這わせる。
翡翠の貴公子は、ぼんやりと虚空を見詰めている。
だが・・・・。
翡翠の貴公子は水の貴婦人から再度身体を離すと、立ち上がった。
「済まない」
そして外套を取って来ると、羽織り乍ら扉へと向かう。
其処へ、
「私に逆らうの??」
静かな・・・・だが冷やりとした声が投げ掛けられた。
「・・・・・」
翡翠の貴公子は取っ手に手を掛け、暫し立ち止まっていたが、ゆっくり振り向くと、
「あいつは・・・・俺が迎えに行かないと、帰って来られない」
そう静かに言って部屋を出て行った。
閉ざされた扉を水の貴婦人は冷ややかに見詰める。
「・・・・帰って来られない・・・・ねぇ」
帰って来ない、ではなく、来られない・・・・か。
水の貴婦人は椅子の背もたれに寄り掛かると、ワイングラスを手に取った。
初めてだった。
翡翠の貴公子が自分に逆らったのは。
此の何十年もの間、唯の一度も自分に逆らった事などなかったのに。
「ふうん・・・・」
水の貴婦人はワインを咽喉の奥へと流し込む。
あの金の男は自分が思っているよりも大分、翡翠の貴公子の胸を占めている様だ。
「やっかいねぇ・・・・」
蛇の様な鋭い目で水の貴婦人は宙を睨む。
だが・・・・。
「まぁ・・・・それも良いかも知れないわね」
少なくとも・・・・。
「金の鳥さんが居る間は、此の館に他の虫が居座る事はないでしょうしねぇ」
毒は毒で以て制すではないが、あの金の男は、そう害でもないかも知れない。
「・・・・彼は誰にも渡さないわ」
水の貴婦人はワインを一口飲むと、愉快気に口の端を吊り上げた。
高級娼館で既に四夜を明かした金の貴公子は、此の晩も勿論、泊り込むつもりで居た。
彼は寝台の中で娼婦のシルフィーニに甘えては、彼女の豊満な胸に顔を埋めていた。
そして二人がだらだらと乳繰り合っていると、扉が叩かれる音が響いた。
「ちょっと待ってね」
シルフィーニは金の貴公子の頭を撫でると、ガウンを羽織り、扉へと向かう。
そっと扉を開けると、部屋の前には娼館の女主人が慌てた様子で立っていた。
金の貴公子は寝台から腕を伸ばして酒を飲んでいたが、戻って来たシルフィーニに突然、
自分の服を差し出された。
其れを見た金の貴公子は、そっぽ向く。
「何言われたか知らないけど、俺は帰らないからな」
だが、シルフィーニはクスクスと笑う。
「いいえ。貴方は帰るわ」
一体何の根拠が在って、そんな事を言うのか。
金の貴公子は服を受け取ろうとはせず、グラスを傾ける。
だが次の彼女の言葉に、心臓が跳ね上がった。
「だって、翡翠の貴公子様が御迎えにいらしてるのだもの」
「!!」
金の貴公子は此れでもかと云う程に目を見開くと、がばりと彼女の手から自分の服をもぎ取った。
慌てて服を着始める金の貴公子に、にこにことシルフィーニは笑っている。
「ふふ。良かったわね」
可笑しそうに笑っているシルフィーニに、金の貴公子は歯を剥き出した。
「良く、ない!!」
いい訳が、ないじゃないか!!
家出をした金の貴公子を迎えに高級娼館へ来た翡翠の貴公子は、控え室で待たされていた。
椅子にも座らず立ったまま待ち惚けている翡翠の貴公子を一目見ようと、
若い娼婦たちが扉の前に集まって隙間から覗いている。
「ねぇ?? 見える??」
「ああ・・・っ!! 噂に増して素敵な御方だわ!!」
「ちょっと!! 私にも見せてよ!!」
「私も見たい!!」
娼婦たちがたかっていると、女主人がパンパンと手を叩いて来た。
「御前たち!! 何をしてるの!! みっともない!! 自分の部屋に戻りなさい!! ほら!!
早く!!」
蜘蛛の子を散らす様に追い払う。
そして、
「ささ、どうぞ。金の貴公子様」
後ろに続いて来た金の貴公子の為に、女主人が扉を開ける。
だが金の貴公子は、なかなか中へ入る事が出来なかった。
扉の影から、そっと部屋を覗くと、黒の毛皮のコートを着た翡翠の貴公子が居る。
翡翠の貴公子の瞳は真っ直ぐに此方を見ていた。
金の貴公子は観念した様に恐る恐る部屋へと入る。
「・・・・あの・・・・その・・・・」
ぼそぼそと言う金の貴公子に翡翠の貴公子は近付いて来ると、
持って来た白テンのコートを金の貴公子に軽く投げ付けた。
そして、
「帰るぞ」
翡翠の瞳で横目に見て、言う。
「は、はい」
金の貴公子はいそいそとコートを着込むと、部屋を出て行く翡翠の貴公子を慌てて追う。
其の様子を遠くから見ていたシルフィーニは、にこにこと微笑んでいる。
「ふふ。私の目なんかとは比べ物にもならないくらい、綺麗な目をされている方じゃない」
むしろ同じ様に自分の瞳を見詰めてくれる金の貴公子に感謝である。
ふふふふふ。
何は、ともあれ、良かった。
シルフィーニはクスクスと笑うと、自分の部屋へと階段を上がって行った。
一方、娼館を出た二人は、待機していた馬車へと乗り込んだ。
雪は既に止んでおり、道は走り易くなっていた。
馬車の中で翡翠の貴公子の隣に座り乍ら、金の貴公子は小さくなって首を項垂れる。
そして、
「・・・・申し訳ありませんでした」
ぼそぼそと家出した事を謝る。
何より此の生真面目な翡翠の貴公子を娼婦街へ来させてしまった事が、申し訳ない。
自分の軽はずみな行動で翡翠の貴公子を迎えに来させ、彼の名誉と尊厳を傷付けてしまった。
「本当に・・・・済みません」
金の貴公子は申し訳なくて、ひたすら頭を下げ続けた。
翡翠の貴公子は、そんな金の貴公子を暫し見下ろしていたが、
「・・・・いや・・・・済まなかった」
静かに言った。
其の翡翠の貴公子の言葉に金の貴公子は目を見開くと、ぶるぶると首を振る。
「俺が・・・・!! 俺が勝手に!! 主は悪くない!!」
やきもちを焼いて家出をしたのは、自分なのだ。
翡翠の貴公子は悪くない。
そう金の貴公子は切実に思った。
思って・・・・猛烈に、隣の同族に触れたくなった。
此の時の金の貴公子は自分でも自覚がない程に、どうかしていた。
普段ならば出来る筈がない・・・・ないのに此の時の金の貴公子は、
ほぼ無意識で翡翠の貴公子の膝に顔を埋めていた。
「・・・・俺・・・・寂しかったんだ・・・・凄い・・・・寂しかった・・・・!!」
自分の膝に縋り付き乍ら、今にも泣き出しそうな声で吐き出してくる金の貴公子を、
此の時の翡翠の貴公子は避ける様な事はしなかった。
「・・・・済まなかった」
判っていると云う様に、翡翠の貴公子は金の貴公子の髪にそっと手を置く。
其の手の温もりに、金の貴公子は甘える様に翡翠の貴公子の膝に頬を押し付けた。
「俺・・・・ずっと、あの館に居ていい??」
迷子になった子供の様に呟く金の貴公子に、
「ああ」
と翡翠の貴公子は答える。
いつも通り短く、あっさりと。
「ずっとずっと、主の側に居ていい??」
「ああ」
「死ぬまで、傍に居ていい??」
「ああ」
そっけない翡翠の貴公子の其の答え方が、金の貴公子は好きだった。
金の貴公子は嬉しかった。
何より・・・・翡翠の貴公子が自分を迎えに来てくれた事が・・・・嬉しかった。
ゴトゴトと揺れる馬車が、まるで揺り篭の様だった。
大好きな人の膝を枕に、金の貴公子は漸く心が満たされたのを感じた。
翌朝、金の貴公子は耳を疑った。
「水の貴婦人、もう行くのか?!」
朝食の席で告げられて、金の貴公子は目を丸くした。
翡翠の貴公子は暫し水の貴婦人を見遣ったが、また黙々とパンを食べ始める。
四年振りに帰ったと云うのに、二週間で旅立つなど・・・・金の貴公子には到底、
女のする事とは思えなかった。
だが水の貴婦人は昨夜の内から執事に伝えていたのか、昼前には支度を整え、出発を迎えた。
金の貴公子が一階の廊下の窓からぼんやりと外を見詰めていると、
翡翠の貴公子と水の貴婦人が玄関から出て来た。
どうやら翡翠の貴公子は、馬車まで水の貴婦人を見送るつもりの様だ。
当然と云えば当然の風景である。
しかし。
窓の桟に肘を着いている金の貴公子を見付けた水の貴婦人が歩み寄って来た。
翡翠の館を訪れた時と同じく銀狐のコートを纏った水の貴婦人は妖艶な微笑を浮かべる。
「暫く御別れね。金の貴公子さん」
金の貴公子は口の端で笑う。
「ああ。本当、せいせいするよ」
「復活祭の後に慰安旅行が在るのですってね」
水の貴婦人の言葉に、金の貴公子は眉間に皺を寄せる。
「まさか・・・・来るのか??」
「私が参加しても此の名の通り、せっかくの慰安旅行に『水』を差してしまうからねぇ」
だから安心して。
其の頃は、もう異国に居るから。
微笑する水の貴婦人に、金の貴公子は、ほっと肩を落とした。
「いや、本当、異国でも何処でも行っててくれよ」
言い乍ら、金の貴公子は水の貴婦人を睨む。
「悪いけどさ、俺、これから、どれだけ経っても、あんたの事、好きになれそうもないよ」
水の貴婦人は可笑しそうに笑った。
「ふふふ。そうでしょうねぇ」
水の貴婦人は窓辺へ手を掛けると、金の貴公子を見上げる。
「私も同じよ。
でも貴方が此処に居てくれれば、此の館に可笑しな虫が居座らないから、助かるわ」
「??」
よく判らないと云う顔をする金の貴公子に、水の貴婦人は更に言った。
「此の上なく彼の事を愛しているのに、キス一つする勇気も、
どうこうする力も持ち合わせていない。それでいて彼に館に居る事を許されている」
嘲笑するかの様に含み笑いする水の貴婦人に、金の貴公子は歯軋りした。
「悪かったな。どうせ俺は貧弱で臆病者だよ」
だが水の貴婦人は、まるで妖女の様な目で金の貴公子を見据える。
「貴方は使えると言ってるの」
だから。
「だから御礼に一つ、いい事を教えてあげましょう」
水の貴婦人は金の貴公子の唇に触れる、ぎりぎりまで己の赤い唇を近付けると、
舐める様に呟いた。
「翡翠の貴公子は、実は女なの」
「・・・・?!」
囁かれた其の言葉に、金の貴公子は何かに頭を殴られた様な錯覚を起こした。
水の貴婦人は・・・・今・・・・何と言った??
翡翠の貴公子が・・・・女?!
金の貴公子が硬直していると、水の貴婦人は馬車の方へと歩き出す。
そして少し離れた所で振り返ると、
「なーんてね。冗談に決まってるじゃない」
くすくすと笑い乍ら去って行く。
水の貴婦人は馬車の傍で待っている翡翠の貴公子の下へ行くと、彼の手を取って馬車に乗り込む。
そして馬車の中の椅子に座ると、水の貴婦人は翡翠の貴公子の顔を両手で包み込んだ。
「暫く御別れね。また次逢う時も、私を待っていてくれる??」
湖の様な瞳に見詰められて、翡翠の貴公子は頷いた。
水の貴婦人は更に問う。
「私の事を、世界中の誰よりも愛してる??」
「愛している」
静かに答える翡翠の貴公子に、水の貴婦人は微笑んだ。
そして深く接吻を交わすと、水の貴婦人は又、遠い遠い旅へと出た。
其の光景を窓から眺めていた金の貴公子は遠目に翡翠の貴公子を見て、
「・・・・冗談に・・・・ならねえよ」
拳で口許を抑えた。
この御話は、これで終了です。
水の貴婦人が、どんな女性か伝わったのなら、幸いです。
金の貴公子の翡翠の貴公子への想いは、また別の御話で☆
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆