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息抜き

サプライズ忍者理論の実践

作者: 揚旗 二箱

テーマ:忍者、カバ、新生活、水中

「えー、じゃあ今日の授業はここまでとします。来週からは教科書を使って進めるので各自しっかり購入して準備しておくように」

 いかにも教授といった風体の初老男性は時計に目をやるなり、さっと片づけをして教室を去っていった。それにならい俺も帰り支度をする。とはいっても教科書はまだないので進学に合わせて買い替えた筆箱をカバンに突っ込むだけなのだが。

「やっと一週間終わった!」「今日焼き肉いかね?」「新歓コンパでタダ飯を」

 抑圧されていた欲望を金曜日が解き放ち、教室内は活気にあふれている。その光り輝く雰囲気に押し出されるようにして俺は教室を出た。

「ふぅ……」

 ため息が出ていく代わりに、呼吸をしている感覚が戻ってきた。

 やはりあの空気感にはなじめそうもない。俺とてせっかく大学生になったのだから手にした自由を振りかざしてはしゃぎまわりたいとは思っているが、小中高校生活を行儀よく過ごしてきたクセはなかなか抜けきらない。

 というか単に楽しむことが下手くそなのかも、いわゆるコミュ障ってやつだ。実際今までよりもだいぶ距離感があるとはいえ曲がりなりにもクラスメイトと一週間は過ごしたはずなのだが、友人ができるどころか誰ひとりとも会話をすることさえなかった。

「やはりサークルにでも所属するべきなのかなぁ」

 教室棟に挟まれるようにして存在する広場にはあらゆるサークル勧誘のビラが貼られた掲示板がある。テニス部、ラグビー部、アイスホッケー部、オーケストラ……どれも大学生活といえば!といった感じの華々しいものばかり。正直所属してやっていける気はしない。かといってアニメ同好会、SF研などはその道の『ガチ』な人間がひしめいているんじゃないかと気が進まない。

 結局のところ、俺には友達をつくり自由を行使する能力もこれといって好きなものもない。この空虚さを周りから見透かされているのかもしれないとさえ思えてきた。

 軽い自己嫌悪に揺さぶられるようにして勧誘ビラに目を滑らせていると、安っぽいモノクロでとんでもなく質素な紙が目に留まった。

「ハエトリグサ同好会……」

 なんだハエトリグサ同好会って。食虫植物同好会ではなく?

 マニアックどころの騒ぎではない雰囲気だが、なぜだろう、他のマニアックなサークルの勧誘ビラからは熱意というかオタク度がこぼれ出ているのだが、このセンスの欠片もイラストもない質素すぎるビラからは熱意も興味も一切感じられない。必要な情報はすべて書かれているのに空虚、有るのに無い。原子の一粒もない宇宙空間の一角だ。

「西講義棟2階第二教室で、今日もやってるのか……」

 空虚な者同士、ひかれあうものがあったのかもしれない。

 気がつけば俺は西講義棟に向けて歩き出していた。


「こんにちは……」

 西講義棟第二教室のドアは開いていた。全く人の気配がしないが、電気はついていたので恐る恐る中に入ってみる。

 だだっ広い教室に整列した机の上には授業を受けた生徒の忘れ物とおぼしきノートがちらほらあるだけで、ハエトリグサどころか鉢植えのひとつも存在しない。場所を間違えたかと思い一度入口の名札を確認しても、やはりここが第二教室だ。

「もう今日の活動は終わっているのかな……」

 時刻は16時40分。サークルの活動はこれからという時間帯だがハエトリグサ同好会はいまのところ影も形もない。

 というか逆に今から活動が始まるという可能性もある気がしてきた。黒板を見ても何も書かれていないし、これからメンバーが集まってくるのかも。

 期待のような、理性のような、奇妙な予想をしつつスマホに撮ったビラを見直す。やはり場所はあっている。活動時間も問題なさそうだ。

「まあやることもないし、待たせてもらいますか」

 とりあえず一番左端の席に座っておこう。なんとなく教室入口に注目しつつ腰を下ろした。


「ぎゃわ」


 尻の下から帰ってきた感触と声は、どう考えても木製椅子のそれではなかった。

「うわっ!?」

 突然の異常なフィードバックに慌てて飛びのき、そして気づいた。

 なんということだ。俺が腰かけた椅子の上にはすでに先客がいた。というか、俺が腰を下ろしたのはその先客の顔の上だったらしい。

「ご、ごめんなさい!!」

 俺がとりあえず謝り倒している間に、講義机に並べられた3つの椅子を簡易ベッド代わりに寝ていた先客はむくりと起き上がった。女の人だ。

「いやいやこっちこそごめんよ。だーれも来ないと思って油断してたわ」

 言いながらふわぁ、と大あくび。ややぼさぼさの長い黒髪をかきながら、先客はこちらをにらみつけている。

「本当にごめんなさい!全く気がつかなくて」

「あたしの眼鏡知らない?」

「……眼鏡?」

「そ。ド近眼。このままでは君の顔も見えん」

 先客が立ち上がった。いや、でけえ。何だこの人180センチくらいあるぞ。

「その辺に落ちてないかな。黒いふちのやつ」

「黒いふちの眼鏡……あっ」

 俺は、俺の足元に転がったそれを見つけた。片方のレンズが外れ、フレームがひしゃげてしまっている、眼鏡だった何かを。

「どしたの?」

「その、見つけたんですけど……ごめんなさい」

 眼鏡の残骸を拾って差し出す。

「よく謝る子だな君は。って、ああなるほど。いやいいよ気にしなくて」

 ひしゃげて使い物にならない眼鏡を受け取りながらも、先客はあっけらかんとしていた。

「こうすれば使える」

 そして無事な片方のレンズを目に当てて、こちらの顔を覗き込んできた。タフな人だ。

「んーなるほど。どうやら新入生かな?どうしたんだい、迷子になったかな。ここのキャンパスは馬鹿みたいに広いからねえ。センターゾーンは山を下らないとたどり着かないぜ」

「いや迷子とかじゃなくて、ビラを見てきたんですけど」

「ビラ?」

「サークルの、ハエトリグサ……」

「ああ~入部希望者ってこと?」

 先客がポン、と手を打ち、そしてまた眼鏡のレンズを元の位置に戻した。

「それならますますごめんなさいだね。人が来るだなんて思っていなくて。んじゃこっちに座りなよ。オリエンテーションするから」

 先客はポンポン、と座面を叩きさっきまで自分の頭があった場所を促した。

 ぶっちゃけもう帰りたくなっていたが顔面に座り眼鏡を破壊した手前引け目を感じてしまい、俺は促されるままに腰を下ろした。そして先客はわざわざ机を回り込んで反対側の椅子に座った。空いた椅子をひとつ挟んで対面する形である。

「んじゃあまず自己紹介ね。私は大内。理学部3年生、性別は女。よろしく」

「後藤です、よろしくお願いします」

 大内さんは椅子に座ってもデカイ。同時に頭を下げてしまってぶつかりそうになったほどだ。

「んで、活動内容なんだけど代々引き継がれているハエトリグサの苗に餌あげたり水やったりして日々の生活を観察する」

 思いのほかまともだ。

「はずだったんだけども」

「はず?」

「ああ」

 大内さんは天井を仰ぎ見ながら言った。

「私が昨日ぜんぶ枯らしちゃってね。だからなんにもできないんだ」

「え?」

 大内さんは相変わらずあっけらかんとしたまま続ける。

「食虫植物ってさ、思いのほか繊細なんだ。ハエトリグサなんかあの口を閉じるだけで結構生命力を消費しちゃうし、温度管理もそれなりにやっとかなくちゃいけない。ただ去年最後の一人の先輩が卒業して、この同好会に残ったのが私だけになったのが運の尽きだったね~ズボラが発動して見事に枯らしてしまいました」

「それは、残念ですね」

「まあそんなもんなのよ、私の人生」

 大内さんは淡々と言うが、その目はどこか寂しそうに見える。

「んで君はどうしてここに?もし本気でハエトリグサが好きで来たんだったらごめんね、いま言った通りハエトリグサを観察する活動はできないよ」

「俺は……」

 大内さんの生気の無い目がじぃっとこちらを見つめている。心の内を正直に吐露すべきか迷ったが、夕日が差し込む第二講義室には大内さんのほかに宙を舞うホコリくらいしかいない。

「俺は、そんなことだろうなと思ってここに来ました」

 気がつけば驚くほど素直に、思った言葉を口にしていた。

「友達はできないしなんの趣味もないんで、空虚な自分が身をおけるような空虚な場所があればと思って」

「なるほどねぇ、あのビラを見てこんなところまで来るわけだよ」

 大内さんは怒るどころか、納得がいったという風に呟いた。ほんの一瞬、第二教室から音が消える。

「私に似ているかもね、君は」

 大内さんは頬杖を突き、教室後方の夕日が差しこむ大きな窓を見つめる。

「私ね、実は二回留年しているんだ。2年で一回、そして今年。理由はなんとなく」

「……」

「君の気持が分かる、とは言わないが同類な気がするよ。大学に進学したはいいが何をすればいいのか、何がしたいのかよくわからなかった。よくわからないまま1年過ごして、結局わからないままだった。気がつけば授業もサボりがちになってずるずる留年、まあよくある大学生って感じだよね」

「俺は授業には出るつもりですけど」

 反射的に口から出た言葉を聞いて、大内さんは苦笑した。

「ははっ、生意気なことも言うんだね君は。でも確かに授業には出た方がいい。私はそれができなかった。それで去年たまたまこの部に拾ってもらって、一年活動して、結局それもダメにしてしまった」

 大内さんはふぅ、と大きなため息をつくと眼鏡の残骸をこちらに投げてよこした。

「眼鏡は買い替えるから、それは君が壊した責任を取って捨てておいてほしい。そして入部のことだけど、ごめん。せっかく来てくれたけど、言ったようにもうハエトリグサを育てることはできないんだ。だからサークルとしては活動停止ってことかな。本当に悪いね。それじゃ私はこれで」

 大内さんは言うだけ言ってぬうっ、と立ち上がるとふらふらと教室の入り口へと歩き始めた。俺は夕日の太陽光線が突き刺さり大きな影を落とすその背中を黙って見送る。

 見送りながら、喉元につかえを感じていた。

 何か言いたいことがある気がする。確かに俺の人生はここまで空虚なものだった。それは大内さんの主張と一緒だ。だが大内さんは他に何と言った?

 そうだ、去年はハエトリグサ同好会として活動したと言った。先輩の世話になったとも。去年の一年間、大内さんは空虚どころか充実した活動をしていたように聞こえる。ハエトリグサに妙に詳しいのがその証拠だ。きっと先輩たちから教えてもらいながら、ハエトリグサにあれやこれやと世話を焼いた1年があったのだ。

「羨ましい」

 気がつけばそう呟いていた。俺の中に初めて芽生えた欲望らしい欲望。空虚で同類だと思って近づいてみたら、俺が来る直前までは充実していたと。その中身を知る人物は、教室に入った俺に思い出となるに十分すぎるインパクトを与えたくせに、自身を空虚だと言いながら去り、ここを再び空虚にしようとしている。

「大内“先輩”!」

 去り行く背中の名前を呼びかける。空虚の中身に。呼ばれた中身は、ゆっくりとこちらを振り返った。

「これ、処分するのはいいですけど、代わりに大内先輩には俺にハエトリグサの育て方を伝授してもらいます」

「……いや、それは君が壊したんだから君が処分してくれという話であってな」

「いいえ、大内先輩は『ウソのビラ』で俺をここまで呼びつけた責任があります」

 俺が突然強気になったことで大内先輩は驚いたようだったが、すぐに空虚な眼に戻る。

「ウソのビラって……だいたい私が何を教えろと。ぜんぶ枯らしちゃったんだぞ、育てるも何ももう一回株を入手しなくちゃいけないじゃないか」

「じゃあ先輩と俺でワリカンしましょう」

「えぇ……なんで急にそんな必死なんだよ君」

「先輩には俺の空虚を埋めてもらいます。いや、埋めてください」

 俺はまっすぐに頭を下げた。

「お願いします」

「……そうは言ったってなぁ」

 大内先輩の声色が怒気を孕むものに変わった。

「私が関わるとロクなことがないんだよ。今までもこれからも。今の数十分だって数年もしたら忘れてるさ。空虚な人間が何をしたって空虚にしかならない。何かを得ても、失うなら虚しさがより一層増すだけだ。それともなんだい、君は私がここにいることで、私たちの広がり切った穴を埋めるだけの出来事が起こると言うのか?」

 言いながら、大内先輩は足早にツカツカとこちらに近寄ってきた。目の前に来るとやはり威圧感がある。こんな人が空虚だなんて何かの冗談だろ。

「何が起こるかなんてわかるわけないじゃないですか。でも、先輩だけ去年の一年を持ち逃げするのはズルいですよ。俺にも分けてください」

「分けられるものなんかない、空虚は空虚のままだ。このままここに居たって、何も起きないよ」

 大内先輩は一息にまくし立てて、一息おいてから、少し悲しそうな眼で言った。


「絶対にね」


 大内が断言した次の瞬間!

 CRAAAAAAAAAAASH!第二教室の窓ガラスは無残にも砕け散り、ダイブツめいた重厚な巨体が轟音と共に飛び込んだ!

「きゃあああああああ!?」

 オオウチは絶叫し、腰を抜かして床に倒れる。特殊な技能を持たない一般人であるオオウチは土煙の中に揺れる巨体がサイボーグ・カバニンジャだと判別できない。

 GRAAAAAAAA!戦闘能力を限界まで高めたクグツカラクリジツを極めたカバニンジャが人語を発することは実際ない。しかしその敵意は確実に、相対するもう一人のニンジャに向けられていた。

「ドーモ。カバニンジャ=サン。しかし名乗る必要はない。己がカラテに呑み込まれた獣にカイシャクは不要、すなわち殺す」

 その場にいたゴトウは恐ろしい男の声を聴いた。赤い装束を身にまとったニンジャがその持ち主。本来ニンジャを見た一般人はその恐怖に耐えられないが、教室に充満する土煙が恐ろしいメンポを隠し、ゴトウはニンジャではないにもかかわらず失禁を免れる。幸運!

「イヤー!」

 赤い装束はスリケンを3つ同時に投擲する!GRAOOOOO!!サイボーグ・カバニンジャのサイバネ・バリカタ装甲がはじき返す!だが、おお、ゴウランガ!赤い装束のニンジャはそれも織り込み済み。スリケンは囮だ!赤い装束のニンジャはすでにカバニンジャの顎の下へともぐりこんでいる!

「イヤー!」

 赤い装束のニンジャのカラテを集結した正拳突きがカバニンジャに突き刺さり、大量のトンコツオイルが噴き出す!!!

「ば、馬鹿な。バリカタ装甲を貫けるジツなど存在しないはず」

「少しは理性があったか、カバニンジャ=サン。バリカタ装甲は無敵ではない、カラテを集結させればたとえハリガネ装甲だろうが実際紙同然。ハイクはなくとも、最期のアイサツはするべき」

「サヨナラ!」

 KABOOOOOOOOOOOON!!スリケンから出た火花がトンコツオイルに引火、オイルまみれのカバニンジャはしめやかに爆発四散!

 第二教室のスプリンクラーが作動、直ちに消火したがそこにニンジャたちの姿はもうなかった。


「……」

 何が起きたのかさっぱりわからない。

 窓ガラスが割れたと思ったら気がつけば第二教室はめちゃくちゃになっていて、遠くから人が集まってくる声が聞こえる。

「大内先輩、大丈夫ですか」

「あ、ああ……」

 床にへたり込んでいた大内先輩を引っ張り起こし、まだ無事な椅子のひとつに移動させる。とりあえず状況確認のために渡そうと思った眼鏡の残骸はどこかへ吹き飛んでしまっていた。

「よく見えなかったんだが、いったい何が起きた」

「俺にもわかりません。ただ……」

 教室の入り口を見やると、血相を変えた事務員、教授陣、そして野次馬の生徒たちの視線がこちらに突き刺さっていた。

「とりあえず、今日が俺らの一生の思い出になることは確定でしょうね」


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