9 北山の戦い
ある朝、将門が石井の東方半里ばかりにある幸嶋郡の北山に陣取ったと言う報せを物見の者が齎した。
「しまった。いつの間に……」
と言う秀郷の呟きを朝鳥は聞いた。
秀郷はすぐさま全軍を率いて北山に向かい、北側の麓に布陣しようとした。
以前からの位や官職からすれば、維幾、貞盛の方が上だが、実力と任じられたばかりの押領使の権限の許、指揮権は完全に秀郷が握っていた。
押領使は軍事指揮権を与えられた地方土豪で、自らの私兵を率いて、通常は一国内の治安維持に当たる役職だが、この乱の鎮圧に当たっては、国を超えた範囲での権限を与えられていた。
将門鎮圧に際して、他に各国の掾クラスの六人が押領使に任命されていたが、実際、将門に対したのは秀郷であった。
麓に着いてみると、冬の季節にも関わらず、強い南風が吹き付けている。
生暖かい風だ。兵の数では完全に将門を圧倒しているものの、山の上に陣取り、しかも強風が吹き降ろしていると言う状況は、将門に有利だった。
「風が変わるのを待たれた方が……」
そう言ったのは、朝鳥の知らぬ若い郎等だった。がっしりした体に四角い顔。太い眉と大きな鼻が印象的な若者だ。
「新規お召し抱えの者か?」
そう思ったが、それ以上気にすることは無かった。
「軍使として、将門の許へ参ってくれ。
『まだ陣立てが整わぬゆえ、整うまで待って欲しい』と伝えよ」
と秀郷が若者に命じた。
「はっ」
と返事をし、若者は木の枝を切ってそれに白い布を括り着けると、北山に向かって駆け出して行った。
「将門は待ちましょうか? 」
朝鳥が尋ねた。
「待つ。暫くはな。そう言う男だ。問題は風が変わるのと将門が痺れを切らすのと、どちらが先かだ」
一方では、私闘や奇襲が頻発し、同時に、名乗り合っての一騎打ちや戦場での作法に従っての戦いも行われていた時代なのである。
何が違うのかと言えば、私闘か公の戦なのかと言うことなのだ。
追討など公に認められた戦いで名乗りを上げたり、戦場での作法を重んじたりするのは、名を挙げ、手柄を立てて恩賞を得、出世する為だ。
一方、私闘ではその本性が剥き出しになる。だが、すべてがそうだとは言い切れない。前に述べた、平良文(村岡五郎)と源宛(箕田源二)との一騎打ちは私闘であったが、作法を重んじた一騎打ちをしている。
秀郷の読み通り、将門は開戦待ちを受け入れた。追討される側だから、恩賞や出世とは無関係だが、名を挙げたい、或いは『新皇』としての威厳を示したいと言う想いが有ったのだろう。秀郷が将門を見切った通りの甘さがそこに有った。
兵の数で圧倒的に不利であり、山頂に陣取ったことと追い風のみが、己に取っての有利であるとすれば、何としても、それを利用すべきであろう。こちらの陣立てが本当に整っていないとすれば、それこそ千載一遇の機会と観るべきである。
「見栄を張りおって。過信か、新皇と名乗ったことに因る増長か、いずれにしろ愚かじゃな」
秀郷がそう呟いた。
仕掛けた罠に、将門がまんまと嵌ったことに満足すると言うより、将門に加担せず見切った自分の判断が正しかったことに秀郷が満足しているように、朝鳥には聞こえた。
将門は仕掛けに嵌ったかに見えたが、向かい風は一向にやむ気配も方向を変える気配も無い。風が変わらなければ、当然策も無駄になる。
秀郷が恐れたのは、総崩れである。
これだけ戦力に差が有れば、例え不利な向かい風であっても、犠牲は大きくなるが、しっかり戦い続けることによって、必ず勝利は得られる筈だ。
だが、再三触れた通り、当てになるのは家の子・郎等のみ。もし、将門に囲みの一角でも破られれば、充分な訓練をしているにも拘らず、兵達の殆どが逃げ去ってしまう可能性すら有るのだ。
秀郷は、わざと陣立てをもたつかせて時を稼いでいる。
『風よ、変わってくれ!』
朝鳥も秀郷同様、そう祈っていた。
だが、風は変わらず、将門が遂に痺れを切らし、逆落としに討って出て来た。
秀郷は鉦を叩かせ、急いで陣形を整えさせる。
元々わざと遅らせていたのだから、陣形はすぐに整った。横に広がって鶴が翼を広げた形を表す鶴翼の陣である。
大軍で少数の敵に対する際に使われる陣形で、突っ込んで来た敵を包み込んで討ち取る戦法だ。
矢頃まで降りて来ると、将門は、まず作法通り鏑矢を放った。
追い風に乗って唸りを上げて飛んで来た鏑矢は陣に届き、兵が頭の上に持ち上げた楯に激しく当たって、大きな打撃音を発した。
こちらの放った鏑矢は、風に阻まれて、遥か手前に落ちた。
続いて、一斉に射られた数百本の矢が、放物線を描いて上から降り注いで来る。
陣の前の方に並べた楯は殆ど役に立たない。騎馬武者の大鎧に矢が突き刺さり、一方、兵達は、胴丸では防御しきれない部分に矢を受けた者が倒れる。
そして、二の矢の雨。射返してもこちらの矢は風に吹き戻されて届かない。三の矢が降り注いで、また多くの兵が倒れる。
暫く矢を射かけていた将門軍が突撃に移った。
鋒矢の陣形を組んで一直線に攻め寄せて来る。全体が一本の矢の形となり、鶴翼の陣を突き破る戦法だ。
将が最後尾に居て采配を振るう通常の鋒矢の陣とは違って、先頭を切るのは将門自身である。鏃の肩に相当する両脇には屈強な郎等を配し、射掛けながら進んで来る。
将門の戦い振りはいつも、最初、射ながら疾駆し、近付くと傍の郎等に持たせた手斧に持ち替えて、それを振り回し相手を薙ぎ倒して行く。
後に続く兵達はその光景を目の前に見るだけで、その凄さに酔い痴れ、己も無敵となった心持となり、一体となって突進して来るのだ。
鋒矢の陣に寄る鶴翼の陣に対する突撃は、いかに素早く突破するかに掛かっている。弱い所を突き破り、反転して後ろからまた襲い掛かる。そうすることに寄って、敵の陣形を崩し混乱を生じさせる。しかし、第一の突破にもたつけば、すぐに包囲されてしまう。
『将門ひとりを倒せば良い。それに寄って兵達の暗示は解け、現実の恐怖に晒されることになる。そうなれば、多勢に無勢。あっと言う間に勝敗は決まる』
秀郷はそう思っていた。
将門の弓の勢いは強く、驚くほど正確に射込んで来る。
対する秀郷陣営は、矢が風に吹き戻されて届かないばかりでなく、近付くに連れて、将門軍の馬の蹴上げる砂埃が目潰しのように吹き付けてくる為、まともに目を開けていられない状態になってしまった。
連合軍の陣に恐怖と動揺が走った。
「恐れるな。射よ! 射よ!」
秀郷は懸命に叫んだ。前軍の将達も同じように叫び続けている。このままでは中央を突破されると朝鳥は思った。
しかし、逆風とは言え、将門は疾駆してどんどん近付いて来ているのだ。しかも、先頭を切って突っ込んで来る。
射続ければ、突っ込まれる前に必ず当たる。大鎧の上から何本かの矢を受けても致命傷にはならないが、勢いを殺すことは出来る。後は打ち合うのみだ。
「大殿、御免」
と言い残し、許可も得ずに、朝鳥は弓を掴んで前線に向かって馬を駆った。
「ここは一旦、退くべきでは」
狼狽えた様子で、藤原維幾が秀郷に言った。
「戯けたことを申されるな! 今退けば総崩れじゃ!」
相手の身分も構わず、秀郷は怒鳴った。
「繁盛だけに任せてはおけん。麿も前に出る」
貞盛は怯えてはいなかった。
将門に負け続け、父の仇も討てぬ都かぶれの臆病者との誹りを受けながら生き延びて来た。ここで逃げれば、もう永久に汚名を返上し名誉挽回をすることは出来ない。
征東将軍の朝廷軍が到着して将門を討ってしまえば、一生臆病者と嘲られて過すことになる。例えここで討死しても、それよりはましだと思っていた。
「それでこそ、坂東平氏の嫡流
。行かれるが良い」




