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73 夢を捨てた日

「麿が初めて将門(まさかど)という男に興味を(いだ)いたのは承平(じょうへい)五年二月のことだ。

 常陸国(ひたちのくに)・野本で源護(みなもとのまもる)の手勢に待ち伏せを受けた将門(まさかど)は、逆に(まもる)の三人の息子を討ち取って、追撃の末、(まもる)の本拠地まで焼き払ってしまった。


 それを聞いた時、何という男かと思った。


 争いそのものは、身内のいざこざと、源護(みなもとのまもる)平真樹(たいらのまさき)という者の間の小競(こぜ)り合いが絡んだものであったが、普通はそこまでやらん。

 (まもる)の手勢に打撃を与えて相手が逃走した時点で満足し、意気揚々と引き揚げるところだろう。

 当時の源護(みなもとのまもる)と言えば、(さきの)常陸大掾(ひたちのだいじょう)として厳然とした力を持っており、将門(まさかど)など及びも付かぬ相手であったのだ。その手勢に待ち伏せを受け追い払ったとすれば、それだけでも大変な武名を残せる。大抵はそれで満足してしまうだろう。

 しかし、面目(めんぼく)を潰された(まもる)が黙っている筈は無い。兵を集め仕返しに出るだろう。

 そうなれば多勢に無勢(ぶぜい)ということになるが、そう成ったら、真樹(まさき)と同盟して(まもる)対峙(たいじ)すれば良い。普通の者はそんな風に考える。

 しかし、長年領地のことで護と()めていたとは言え、己の浮沈を掛けてまで真樹(まさき)将門(まさかど)を守るかどうか分からん。己が不利と見れば、将門(まさかど)を見殺しにして、(まもる)と手打ちに持ち込むということも大いに有り()る。

 そこまで読んでのことか、或いは何も考えず、単に激高した上でのことであったのか、将門(まさかど)は、一気に(まもる)の本拠地を焼き払うところ迄やってしまった。相手は(さきの)常陸大掾(ひたちのだいじょう)だぞ。従う者も多い筈だ。


『いずれ将門(まさかど)が潰されることになろう』誰もがそう思っていた。


 噂を聞いた時には、正直、麿もそう思った。だが、三人の息子を全て討たれ、領地を焼き払われた(まもる)にはその力は既に残っていなかった。

 たった一匹の犬が、いきなり熊の喉笛に飛びついて噛み切ってしまったのだ。


 麿は、将門という男のいくさの才について、並々ならぬものを感じた。

 それが本物かどうか、他人(ひと)にも調べさせ、麿自身も武蔵(むさし)から下総(しもうさ)に入って噂を集めた。その際、草原(かやはら)にも寄って、そのほうの母・露女(つゆめ)に出会うたのじゃ。


 その頃はまだ、将門(まさかど)が朝廷に(たて)を突いて乱を起こすとまでは思うてもおらず、手懐(てなず)けて置けば何かの際に使える男かも知れぬと思うていただけだがな。

 だが、身内の争い事を抱えていた将門(まさかど)が、焼き討ちの際、(まもる)の舘に居た伯父の国香(くにか)をも焼け(じに)させていたことから、身内の争いが拡大して武蔵(むさし)にまで及ぶことは有り()ると思った。 

 そして、武蔵(むさし)の村岡に拠点を置いていた良文(よしぶみ)の動きも気になった。何しろ良文(よしぶみ)は、音に聞こえた(ごう)の者であったからな。|下総(しもうさ)と村岡を結ぶ線の上に有ったのが草原(かやはら)だ。 


 村岡から刀祢川(とねがわ)沿いに東に進み、更に川沿いに南に向かうとすれば草原(かやはら)の辺りを通ることになる。

 村岡五郎(むらおかのごろう)(良文)の動きを知る為には、草原(かやはら)は大事な拠点と思えた。僅かな縁を辿って久稔(ひさとし)殿と(よしみ)を通じておこうと思った。久稔(ひさとし)殿に取っても益の有ることと読んでの上のことじゃ。

 結局、鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)として陸奥(むつ)に}った良文(よしぶみ)は動かなかったがな。


 探った結果、麿は益々}将門まさかどに興味を持つようになった。そのうち、将門(まさかど)は伯父の良正(よしまさ)を破り、その結果、遂に良兼(よしかね)が兵を起こして良正(よしまさ)貞盛(さだもり)と連合して将門(まさかど)(いくさ)を挑んだ。

 この頃になると、将門(まさかど)の強さに驚くと言うより、良正(よしまさ)良兼(よしかね)らの愚かさに、麿は(あき)れておったがのう。

 だが、仮にも上総介(かずさのすけ)平良兼(たいらのよしかね)が兵を起こしたとすれば、事態がどう動くか分からぬ。

 細作(しのび)を放って、動きを監視させた。何と、わざわざ北上してこの下野(しもつけ)との国境(くにざかい)辺りで将門(まさかど)を向かい討とうとしていると言う報せが入って来た時には、(あき)れるのを通り越して、『馬鹿者共めが』と怒りが沸いて来た。


 この下野(しもつけ)雪崩込なだれこんで来る事態を考えねばならぬと思った。恐らくは破れ、将門(まさかど)に追われてな。

 そうなれば、貞盛(さだもり)は縁者ゆえ、良兼(よしかね)貞盛(さだもり)を通じ麿に助力を求めて来るに違いないと思った。

 麿は将門(まさかど)と戦いたくは無かった。かと言って、平氏の身内の争いに介入して将門(まさかど)に味方する訳にも行かず、佐野に引き上げることにした。

 郎党共は、下野(しもつけ)の地を土足で踏み(にじ)られ黙っていたら、この秀郷(ひでさと)の名折れになると口々に言い立ておった。秀郷(ひでさと)尻尾(しっぽ)を巻いて逃げ出したと言われたら、土豪共に軽く見られ離反する者が続出し、国府が麿の捕縛に動くかも知れぬと思ったのであろう。

『麿には考えが有る。従えぬ者は(いとま)を出すから、今この場から去れ!』と一喝して、僅かな留守居の者を残して、門を閉じて佐野に引き揚げた。幸い、去る者はひとりも出なかった。


 探らせていたところ、将門(まさかど)良兼(よしかね)らを下野(しもつけ)国府に追い込んだが、意外にも(まもる)を攻めた時のように徹底的にはやらず、下野守(しもつけのかみ)の説得に応じ良兼(よしかね)らを開放し、囲みを解いて引き揚げたと言う。

 後から知った処では、どうやら、私君(しくん)忠平(ただひら)(はばか)ってのことだったらしいがの。


 その後、土豪達の引き締めには、麿も相当骨を折った。

 天慶(てんぎょう)二年(九百三十九年)十一月のことじゃ。常陸(ひたち)の国府を襲って、将門(まさかど)が私闘から謀叛へと突き進んだ。  

 千の兵で、常陸介(ひたちのすけ)藤原維幾(ふじわらのこれちか)率いる三千の国府軍を破り、国府の印鎰(いんやく)(長官の印と諸司・城門・蔵などの鍵)を奪ったのだ。

 そして、翌十二月に入ると、この下野に兵を向けると思われるとの報せが入って来た。

 麿は本当に迷っておった。その頃になると、将門(まさかど)の力は強大に成っていたから、もはや都合良く使うなどという訳には行かぬ。良くて対等。或いは麿が将門(まさかど)の下に付くことになるかも知れぬと思うた。

 だが、取り()えずは、また佐野に引き揚げることとした。様子を見る為にな。

 前回、私闘の頃の将門(まさかど)が侵入して来た時とは違い、麿は、舘を空にし、郎党共を一人も残さず佐野に連れて戻った。

 そして、門は閉ざさず開けたままにした。当然、将門(まさかど)の兵が侵入して略奪を行うと思った。舘は踏み荒らされ、調度は奪われることになるだろうとは思った。

 だが、そんなことはどうでも良かった。まだ、将門(まさかど)を敵に回す気には成っていなかった。門を閉ざすことは、将門(まさかど)を拒否したと取られる。開けて置いて、どうぞ好きに使ってくれと言う意思を示したのじゃ。


 まずは静観してみよう。それが麿の結論だった。下野守(しもつけのかみ)らは、戦わず将門(まさかど)に降伏して印鎰(いんやく)を差し出したが、追放された。

 そして、将門(まさかど)はその日のうちに佐野に使いを寄越し、会いたいと言って来た。行けば従うより他に無い。従わぬと言えば殺されるだろう。


 佐野に(こも)って戦うにしても、兵を集める(いとま)も無かった。

 場合に寄っては将門(まさかど)の下に付くこともやむを得ぬことと覚悟したが、問題は、果たして謀叛(むほん)が成功するかどうかであった。


 策が無ければ、強いだけでは上手くは行かぬ。先を読む必要が有ったが、将門(まさかど)の動きが余りにも早かった為、十分な情報が得られていなかった。

 麿が策を授ける立場に成れば良いと思うた。そう思うて、翌日、将門(まさかど)を訪ねたのだ」


「将門とはどんな男でした?」


 そこに特に興味を持っていた千方が尋ねた。


大柄(おおがら)で、見るからに(たくま)しい男であった。

 その大男が、麿が尋ねて来たと聞いて奥から広間へ慌てて飛び出して来た。そして、満面の笑みをたたえ『秀郷殿、良う来て下された』と走り寄って来て、今にも麿の両の手を取りそうになった」


「はい。それで?」


 千方が思わず身を乗り出した。


「その時、咳払(せきばら)いが聞こえたのだ」


「咳払い?」


「後ろにおった公家(くげ)姿の男だ」 


興世王(おきよおう)? ……」


「その通りじゃ。一瞬動きを止めた将門(まさかど)が、笑みを消して(かが)み掛けていた身体(からだ)をゆっくりと起こし、上座(かみざ)に向かった。

 そして、こちらを向いて腰を下ろした後、取って付けたような表情を作り、ことさら重々しそうに『良う参った、秀郷殿』と抜かしおった。それで(すべ)てが読めた」


「それで将門(まさかど)を見切ったということですか」


「いや、その時はまだ、完全に見切ってはおらなんだ。ただ、この腐れ公家(くげ)を何とかしなければと思うた。この男が付いている限りは、坂東の者達が望んでいる世など作れぬとな。

『だが、この機を逃して良いのか?』と己自身に問い掛ける心が残っておった。

 麿も表情を作り、(うやうや)しく将門(まさかど)名簿(みょうぶ)を捧げた上、退席した」


「その時、朝鳥も従っていたのですね。外に出てから『愚かな』と父上が呟くのを聞いたと申しておりました。


「そうであったか。その後、将門(まさかど)上野(こうづけ)に出兵し、十九日には国府を落とした。

 そして、菅原道真(すがわらのみちざね)の霊を通じて八幡大菩薩の託宣が有ったとして新皇(しんのう)を称し、あの除目(じもく)を行ったのだ。

 将門(まさかど)除目(じもく)に付いては存じておるか?」


「はい。朝鳥から聞きました」


武蔵守(むさしのかみ)は誰とした?」


「はい。確か、武蔵守(むさしのかみ)は、なぜか任じていなかったと思います。え? まさか」


「ふん。将門(まさかど)に会うて後、麿は動かなかった。思案しておったのじゃ。

 上野(こうづけ)将門(まさかど)自身から密かに使いが参った。武蔵守(むさしのかみ)の座を用意してお待ちしておるとな」


下野守(しもつけのかみ)では無く、なぜ武蔵守(むさしのかみ)だったのでしょう?」


「麿を下野守(しもつけのかみ)にするのは危険と思うたのであろうな」


「成る程。父上の力が大きくなり過ぎるのを警戒したということですね」


「うん。…… そういうことじゃ……」


 秀郷(ひでさと)の目がとろんとしているのに千方は気付いた。


除目(じもく)を行ったことは括目(かつもく)すべきことじゃ。都には官位を受けられず長年、只働きをさせられて不満を持っている若い者達が大勢おる。

 将門(まさかど)があのまま勝ち続け、地位を確立すれば、その不満の(やから)を自陣に取り込むことが出来た。官位欲しさに都の朝廷を見限る者が続出したことだろう。

 だがな、除目(じもく)とは、朝廷のみが行えることで、それこそが朝廷…… と言うよりも公卿(くぎょう)達、更に言えば藤原北家の者達の力の正体だからな…… 

 う~、だが将門(まさかど)新皇(しんのう)などと名乗ってしまった以上、除目(じもく)を行わざるを得なかったのだ……  

 だが、それは諸刃(もろは)(つるぎ)じゃった。…… それが、将門(まさかど)を滅ぼすことになった…… う? 分かるか六郎……」


 その後、話が戻って、将門(まさかど)興世王(おきよおう)の印象、会談した時の雰囲気などに付いて話し始めたが、秀郷(ひでさと)の言葉は途切れ途切れとなり、やがて眼を閉じ、首を項垂(うなだ)れてしまった。

 そこには、もはや、下野(しもつけ)の暴れん坊としての面影も、策士・大狸と言われた男の印象も無く、ただ、酔い痴れた老人がうたた寝をする姿が有るだけだった。千方は一抹の寂しさを感じた。


 静かに廊下に出、郎党を呼んで、一緒に秀郷(ひでさと)を寝床に運んだ。

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