71 父の想い 3
不思議そうに、千方が秀郷を見た。
「父上は、朝廷の意に逆らって出世を拒否して来られたお方かと思っておりました。
従四位下は将門討伐の恩賞として当然のもので、都に上れば、更に位階も上がり参議にも列する機会が有りながら、坂東の地に留まり、その力を養って来られたのでは無いのですか?」
秀郷が「ふふっ」と笑った。
「そんな風に思っておったか。やはりまだ若いな。世の中と言うものはそんな甘いものでは無い。もし麿が上洛していたとしたら、疾うの昔に、下野藤原家は無くなっておった」
「どういうことでしょうか?」
「朝廷が麿に褒美を与えたのは、やむ無く渋々じゃ。折あらば足元をすくってやろうと虎視眈々と狙っておるのよ。
下野に根を張っておる限りはそう簡単に潰されることは無い。もし、あの時、麿が太政官の命に従って上洛していたとすれば、まず、太政官の意を汲んだ下野守が任命され、麿が留守にしている下野内の人脈をずたずたにし、麿の勢力を奪うことから始まり、最後は何かの罪を着せて麿を殺すか流罪にするかしたに違いない。もちろん、千晴や千常も流されることになったであろう」
「そんな! 朝廷とは、そんな悪辣なことを考えるところなのですか?」
「悪辣な? ふふ、珍妙な言葉を使いおるのう。悪と言ってしまえば、今の世の中、全てが悪じゃ。そんな考えでおったら、いずれ誰かに嵌められて短い生涯を終えることになるぞ」
「はい」
と無意味な返事しながら、千方は昔陸奥に居た時、朝鳥に言われた言葉を思い出した。
『誰から見ても正義、誰から見ても悪などというものは存在しません。力を持った者から見ての正義や悪が世に罷通り、歴史にもそのように残って行くというもので御座いますよ』
朝鳥は、確かそんなことを言っていた。
『父がもし上洛していたとしたら、藤原秀郷は、冤罪により処罰され、悪人として歴史に名を残すことになっていたのか』
そう思った。
「生き残る為には、あらゆることに気を配り、考えて手を打って行かねばならん。戦場で太刀が折れたり失ったりした時、落ちていれば、敵の太刀であろうと、拾って戦うであろう。己の力が足りなければ、利用出来る物は何でも利用せねばならん。
麿の目から見れば、千晴も千常も、まだ心許無い。千常は近くにおるゆえ、危ういと思えば注意も出来るが、都におる千晴に付いては、その機会も無い」
「高明様の許に在る限り、都の兄上に災いが降り掛かることも御座いませんでしょう」
「こたびの働きでは、少しは大人に成ったかと思うたが、六郎、やはり、そのほうは能天気のようじゃな」
「は? どう言うことで御座いますか」
言われた意味が分からず、不思議そうに千方が尋ねた。
「今宵は泊まって行け。離れて暮らしていたゆえ、汝には、色々と教えることも出来なかった。そう思って朝鳥を付けたが、まだまだ、世を渡って行く為の知恵が身に付いているとは思えん。
今宵は物語などして遣わそう。麿の話から、何か得るものがあるやも知れぬ」
「それは願っても無いことで。麿も、父上のお話を、一度ゆっくりと伺いたいと思うておりました」
「良い機会じゃ。麿もいつまで生きておるか分からんでのう」
「何をお気の弱いことを。父上は、初めてお目に掛かった頃より変わってはおられません」
そうは言ったが、千方は、父の外見や動作に、やはり老を感じていた。
従って来ていた夜叉丸と秋天丸は郎党長屋に泊めて貰うこととし、秀郷の居室に場を移し、酒など運ばせた上人払いをして、ふたりは向かい合っていた。
浅めの四角い注ぎ口と籐の吊り手の付いた陶器を火に掛けて温めた酒を、千方が秀郷のカワラケに注ぐ。
「暖酒は良い。寒くなって来るとこうして飲むのが何よりじゃ」
「麿も頂きます」
そう言って、千方は、自分のカワラケにも注いだ。
「今、朝廷を動かしている藤原北家の祖は、房前候の三男・真盾の流れ。我が祖・魚名は同じ房前候の五男じゃ。
そう言う意味では、我等も同じ北家と言えないことも無いが、北家が力を得たのは、真盾の三男・内麻呂からじゃ。そして、忠平の父・基経からは、帝を凌ぐ力を持っておる」
「はい。それは存じております」
父の盃に酒を注ぎながら、千方が頷く。
「良う学んでおるのう」
「我が血筋ながら、藤原が今までどれだけの者達を陥れて来たか、分かるか?」
「いえ」
「数え切れぬ。下は、下級司人から、上は皇太子、帝までじゃ。同族とて、都合の悪い者は葬る。
我が祖・魚名侯もその犠牲となったひとりだ。
後に桓武の帝に寄って冤罪であったことが宣され、罪に関わる記録も抹消されて太政大臣を贈られたが、死んだ後ではな……」
「嵌めたのは北家の者達ということですか?」
「誰がやったか実際には分からん。だが、北家以外の誰が出来る。当時右大臣だった魚名侯を嵌めるなどという真似が……
麿は心根の上では鳥取の一族と思うておると以前申したことが有ったな」
「はい。初めての対面の折、そう伺いました」
「だが、藤原を名乗り、その血を引いている以上、やはり、祖である魚名候のことは気になり、何人かの学者に依頼し、調べて貰った。
桓武帝即位の年に右大臣に上った途端、冤罪の為失脚し、配流地に赴く途中で病に倒れた。
摂津に有った別荘に留まり治療を行うことを許され、二年後には都に戻ることは出来たが、そのまま亡くなった。さぞ、無念なことであったろうと思う。
亡くなって間も無く、桓武帝は、魚名候に左大臣の官職を贈り、右大臣免官に関する詔勅や官符などを焼却させ、その名誉を回復させた。
つまり、冤罪であり、帝の下した処分が誤りであったことを、事実上認めたことになる。しかし、帝が謝罪することまでは無かった。
当時、即位したばかりの帝の立場はまだ不安定で、何よりもまず、権威を確立せねばならぬお立場にあったからであろう。従って、濡れ衣を着せられた経緯も、誰が魚名候を嵌めたかも一切明らかにされなかったし、調べた限り、それについての文書も残っておらん。
当時の北家の氏長者・永手は、魚名候が嵌られた三月前に死んでおり、真楯の三男・|内麻呂は、まだ従五位下に過ぎず、とても、右大臣を葬れる立場には無かった。
怪しいのは、永手の嫡男・藤原家依という男だ。
称徳朝から光仁朝に掛けて急速に出世し、参議になっていたという。
桓武帝が即位した年には、従三位・兵部卿に叙任されている。
ところが、魚名候の冤罪が晴れた後、後任の参議であった大伴家持、藤原小黒麻呂、藤原種継らが次々と中納言に任ぜられる傍らで、家依は参議から昇進出来ないまま、四年後に四十三歳の若さで死んだそうだ。
発覚後,直ぐに犯人を罰することは、讒言に惑わされて魚名候を失脚させた帝ご自身の過ちを広く世間に晒すことになる。
当時まだお立場が危うかった帝にすれば、とても出来ぬことであったのであろう。
家依には、魚名候を陥れる策を弄しても出世したい理由が有ったと思われる。
父の永手は、光仁帝の擁立に際しては、式家の良継、百川兄弟と共に功績が有ったが、光仁天皇の皇太子に付いては、山部親王(後の桓武天皇)を推した良継、百川らの反対を押し切って、井上内親王を通じて天武系の血を引く他戸親王を立てようとしたと言われている。
その永手は桓武帝即位前に死んでいる。しかし、永手の所業に恨みを持った桓武帝が家依の出世を止めたということでは無く、即位半年後の十月には、正四位上だった家依を従三位に引き上げておる。
魚名候が流罪となったのは六月だから、十月の昇進は、或いは、魚名候が}氷上川継の乱に加担していると訴えたことに対する褒美の意味だったかも知れぬ。
後に、冤罪であったことを知った帝は、魚名候の名誉回復だけを行ったと考えることが出来る。そして、家依は飼い殺しにし、ほとぼりの覚めた四年後に、密かに抹殺したのではなかろうかと思うのだ。
家依の出世が急に止まり、若死にしたというだけでは無い。つまり、家依の昇進がぴたりと止まったのは、その父・永手に対する桓武帝の怒りからでは無く、家依自身に原因があったと考えるのが自然だろう。
桓武帝の治世では出世出来ないだろうと勝手に思い込んでいた家依が、出世を焦って魚名候を誣告し、その結果昇進したが、二年後に魚名候が亡くなった丁度その頃、何かの切掛けで、冤罪であることが発覚した。
麿はそう考えるに至った。証は何一つ無いがな」
「その家依とやらが罪を犯しても、北家が伸し上ることに障りは無かったということでしょうか?」
「永手の流れがその後、日の目を見ることは無かった。代わって、永手の弟・真楯の三男・内麻呂が伸し上ったのだ。妻を桓武帝に差し出してな」
「はあ?」
「内麻呂の最初の妻は、百済永継と言って渡来系の女子でな、後宮で女嬬を務めていたが、帝に見初められ、内麻呂は妻を差し出したのだ。そして、その後急速に出世した」
「出世の為なら、他人を陥れることも、妻を差し出すことも何でもやる。そんな者達なのですか?」
暗い顔になり、千方が嘆息した。
「朝廷と藤原の歴史は、裏切りと粛清、讒言と保身に満ちておる。それが下々にまで広がったのが今の世じゃ。
国司を通じて国中から富を吸い上げ、贅沢三昧の暮らしをしている公卿達。奴らがやがてはこの国を亡ぼす。そう言う麿も国司として、奴らの収奪の片棒を担いでおった。麿も含め、この世は悪だらけよ」
そう言って秀郷が自嘲気味に笑った。
「そんな」
「だがな。こんな麿でも、この世を変えてやろうと本気で思っていた時期が有った。分かるか?」
「承平の乱の頃のことで御座いますか?」
「聞きたいか? 当時のことを」
「はい。至極興味が御座います」
「うん」
と頷くと秀郷は、
「誰ぞ在る!」
と郎党を呼び、ひとりが現れると、
「薄暗くなって参った。灯りを持て。それと、酒の代わりもな」
と命じた。




