70 父の想い 2
「待ち兼ねておった」
泥鰌髭を扱きながら、秀郷が言った。
正面に胡坐を掻いて坐っている秀郷の前に、同じように胡坐をかいて座り、両の拳を床に突いて、千方が頭を下げる。
「佐久から戻ったばかりか?」
「兄上に報告し、直ぐに参りました。」
「その様子では吉報と見えるが、手勢はいかほど連れて参った」
「五十ほど率いて参りました。貞義殿から、父上にくれぐれも宜しくと言付かって参りました。何とか収まりました」
「そうか、それは上々」
「朝駆けと称して舘を出、外に伏せて置いた手勢と合流し、舘に引き返し一気に決着を付けました」
そう秀郷に報告する。
「やはり、切羽詰まっておったか」
「はい。そのようでした。しかし、伯父の兼光を捕らえ、一味を一掃することが出来ました。
どちらに着くか迷っていた者も多かったようですが、兼光方の主な者が捕らわれたことにより、皆、貞義殿に服従致しました」
「なぜ父上が事態をご存じだったか、不思議がっておりました。そして、兼家殿からの依頼が有ったのかと何度も質されました。
その辺については、麿も詳しい事情は分からず、ただ、父の命に寄って参った迄とお答えして置きました。事実詳しい事情は伺っておりませんでしたので」
「そうか。実はな、兼家殿が甲賀郡の郡司と成って近江に移ってより、望月の家は貞義殿の父・兼貞殿が跡を継いだが、些細な揉め事が始まって、兼貞殿の死後、それが大きくなって来ておったようだ。貞義殿の代となって、抑えきれぬ程になっていたものと見える。
もちろん、海野、根津という滋野三家としての後ろ盾は有るが、内輪のことで弱みを晒したくは無かったのであろう。何より、兼家殿に聞こえてはとの想いが有り、困り果てていたのであろう。
尤も、兼家殿は疾の昔に知っておった。
あの男近頃、郡司で在りながら細作をも生業としているようじゃ。都や諸国の様子を調べ、それを己の為に使うだけでなく、必要とする者に売り込んでおる。 かと言って、郡司たる者が、そう簡単に信濃くんだりまで兵を出す訳にも行かず、思案しておったようだ。
貞義殿に危険が差し迫っている様子と報せて来たのは、兼家殿の郎党と成っている祖真紀の弟・大道国影という者だ。元の名は支由威手と申し、国時の配下だった者だ。…… 汝が行った時、驚いておったろう、貞義殿は」
為たり顔で秀郷が千方を見た。
「はい。兵を隠して、夜叉丸と秋天丸のみを連れ、父上からの使いと言うことで、貞義殿に会いました。
人払いをして貰い、訪れた目的を話すと貞義殿は驚きましたが、段取りに同意してくれました。
翌朝、朝駆けと称して信頼出来る者達だけを連れて舘を出、外に伏せて置いた我が手勢と合流し、舘に引き返し一気に決着を付けました」
「千方。大きくなったのう。五郎も安心して任せたのであろう」
秀郷が笑みを漏らし、感慨深げに言った。
「それはどうか分かりませぬが、麿の方は必死でした。早々と気付かれ、逆に一気に事を起こされて、貞義殿が殺されたり、人質に取られたりするようなことになっては元も子も無くなってしまいますから」
「だが、上手くやれた。今まで、無駄に修羅場を潜っては来なかったということじゃ。
教え事には行かぬ。その場の状況を読み取って、いかに速やかに判断を下し、適切な行動を取れるか。慎重さと機敏さ。この一見矛盾するふたつのことをどう使い分けられるか。それが出来なければ失敗しておったろう。見事じゃ」
「恐れ入ります。父上にお褒め頂いたのは、初めてのことに御座ります」
秀郷は少し目を剥いた。
「う? そうであったか」
その表情が可笑しく、思わず千方は吹き出しそうになった。
「父上がお望みのように、下野藤原家の力を、坂東一帯、伊豆、信濃にまで伸ばして行きたいと思っております。官位・官職には余り興味が有りません」
「青い! 麿が従四位下であったればこそ、今の麿が在り、汝達が在るのだ。今の世の中、官位・官職が無ければ何も出来ぬ。官位・官職には余り興味が無いなどと軽々しく申すで無い」
「ご教授、しかと心に留め置きます」
「人ひとりの力など知れたものじゃ。時には他人の力を頼み、時には利用することも出来ねば、ひとりの力で出来ることなどたかが知れておると思え。だが、他人を当てにしてはならん。最後は己のみ。そう言う覚悟も忘れぬこと。しかと覚えておくが良い。やれる限りのことをやって駄目な時、それが己の定めと言うものじゃ」
「お教え肝に命じます」
「ところで、五郎がのう、汝を養子にしたいと申して来ておる」
秀郷がそう切り出した。
「その件なれば、兼ね兼ね兄上からも言われておりますが、……」
「草原から連れて来た時より、そのつもりであったのであろう。
草原は豊地が継ぐのだから、問題は有るまい。千常は、汝に後を継いで貰いたいのじゃ。汝に取っても良きことであろう。
庶子の六男の儘では碌な官職にもあり付けぬであろうが、麿の直系の孫で、嫡嗣である藤原太郎と言うことに成れば、将来は五位も望める立場となる」
「父上が爺様ということになってしまうのですか?」
「混ぜっ返すな。家系の上のことじゃ」
「今では、兄上には嫡子・太郎がおるでは御座いませんか」
「二歳の童(数え年のため、満では一歳数か月)じゃ」
「もし、兄上に何か有った際には、熊丸が成人する迄は麿が後見し、伯父として家督を預かるということで宜しいのでは?」
「望月の例も有る。伯父では乗っ取ったと言われ兼ねぬ。成人したら返すなどと言っても信用されまい。だから、五郎はそなたをきちんと養子にし、後を託そうと思っておるようじゃ」
「ならば、猶子(養子とは異なり相続を目的としないという建前)ということにして頂けませんでしょうか?」
「実際問題としては、養子も猶子も変わらぬわ。 汝がそう望むなら、猶子でも良い」
「もうひとつお願いが御座います。
麿は、藤原六郎という名乗りが気に入っておりまして、引き続きそう名乗ることをお許し下さい」
秀郷は少しムッとしたように横を向き、少し間を置いてから、改めて千方を見た。
「こんなへそ曲がりとは思わなんだな。千常の猶子となれば、朝廷への届け出も必要だし、公の場では『太郎』と名乗らなければならんのじゃ。その上で跡継ぎを誰にするかは五郎が決めること」
「申し訳有りません。父上に逆らうつもりなど毛頭御座いません。しかし、実の子に継がせたいと思うのは人として当然。
預かることはあっても、麿も、熊丸を差し置いて継ぎたいとは思いません。そういう気持ちを、今はっきりとさせて置きたいのです」
秀郷はまじまじと千方の顔を見た。
「汝には欲が無いのか、それとも、その歳でもう、将来の保身を考えておるのか?」
「欲は有ります。兄上の片腕と成って、父上のお望みのように、下野藤原家の力を、坂東一帯、伊豆、信濃にまで伸ばして行きたいと思っております」
「その為に嫡子とすることが必要と、五郎は思っているのだ。麿が従四位下であったればこそ、今の麿が在り、汝達が在るのだ。
何度も言うが、今の世の中、官位・官職が無ければ何も出来ぬ。嫡子と庶子では朝廷の扱いが違う。
己ひとりの力など知れたものと申した意味がまだ、良く分かっておらぬと見えるな」




