69 父の想い 1
天歴六年(九百五十二年)。約束通り三年の歳月を過ごした隠れ郷より、千方は佐野の千常の舘に移った。
朝鳥は自宅に戻り、夜叉丸ら五人は郎党長屋、千方は対屋の一角に部屋を与えられそれぞれ生活するようになっていた。
古能代は、芹菜の死後一年ほどして祖真紀を継ぎ郷長となり、先代の|祖真紀はその後『長老』と呼ばれている。そして、尚も隠然とした力を保持していた。
犬丸は、郷の日常の細々したことに関わる仕事をし、新・祖真紀と郷人との意思疎通を図る一方、祖真紀と千常、千方との間の連絡役も果たしている。
陸奥の吉利については、千方からの依頼に基づき、秀郷が貞盛に依頼し、退任・帰国の際に、雑色に紛れさせて連れて来る旨の内諾まで得たのだが、それを告げられた夜叉丸が飽くまで辞退した為、実行されず、そのままになってしまった。
千常は、交渉事、争い事、公の行事などあらゆる場所に千方を同行させ、その際の千方の行動について厳しく指導し、時には拳を振うこともあった。
そして、近頃では、交渉事や争い事の処理を任されて、千常の代理として、千方が単独で赴くことも増えていたが、多くは負担の軽い事案に付いてであった。
だが、今回は、秀郷からの指示に寄る難しい対応を迫られる問題の処理を任されることになった。
或日、千方は秀郷から、田沼の舘に呼び出された。
「六郎。信濃に行って貰いたい」
と、秀郷が千方に告げた。
「畏まりました。で、御用向きは?」
「うん。望月の家は今、甥の貞義が継いでおるが、兼家殿の弟、つまり、|貞義殿に取っては伯父に当たる兼光と言う者が、貞義殿を殺して家督を乗っ取ろうとしておる」
「それは、容易ならざることで御座いますな」
「何時ことが起こらんとも限らぬ状況じゃ。直ちに信濃に飛び、対処致せ。連れて行く人数は己で判断致せ。千常が承知しておる」
「はい。畏まりました。いま少し詳しいことをお教え頂けますか?」
「味方は少ないと思え。事は秘して段取りし、一挙に行う必要がある。出来るか?」
『試されている』そう悟った。
「畏まりました。急ぎ立ち戻り、準備出来次第、直ちに出立致します」
引き受けはしたものの『殆ど情報も無い状態でやり遂げられるだろうか』と言う不安が有った。しかし、田沼から佐野に戻る途中、古能代が現れた。郷人を一人伴っている。
「父上の命で参ったのか?」
と千方が聞く。
古能代には珍しいことだが、
「どうで御座いましょう」
と、古能代は千方の質問をはぐらかす。
轡を並べて佐野に向かいながら、
「信濃に着いて来てくれるのか?」
と千方が問う。
「申し訳有りませんが、それは出来ません」
「矢張な」
「代わりにこの者を同行させます。信濃の事情に一番詳しい者に御座います」
そう言って、同行の郷人を残し、馬首を巡らせて帰って行った。
『父が手配してくれたのか』と思った。
古能代が残していった男は、弧徒化と言う男だった。長く信濃に潜入しており、信濃の事情を知り尽くしている男だという。
『信濃の事情に付いて聞かれたことは、何でも答えよ。但し、聞かれぬことに付いて話したり、助言してはならん』
秀郷に、そう命じられていた。
佐野に着く迄に千方は、貞義方、兼光方それぞれの人数、舘に詰めている時刻、舘周辺の地形などを弧徒化から聞き出した。
兼光の性格、戦歴なども聞いたが、他人を驚かすような逸話も持たぬ平凡な男であり、戦歴も乏しいと言う。にも関わらず兼光に心を寄せる者が多いのは、矢張、郎党たちと長い付き合いが有ったからだろう。
逆に言えば、貞義はまだ、郎党たちを掌握しきれていないのだ。
佐野に着く迄の間に弧徒化から得た情報を元に、連れて行く郎党の数を五十と決め、佐野に着くなり、それを千常に伝えた。
千方がその件に関し相談を持ち掛けて来ると思っていた千常だったが、弧徒化からの情報を元に、既に、千方が自ら判断をしていたことと、その数が適切であることに、千常は満足した。
秀郷から指示はあったが、弧徒化と言う情報源が有り、佐野に着くまでの時が有りながら、尚も判断が付かず、相談を持ち掛けて来るようであれば、千方の将としての資質に問題が有ると考えざるを得ない。千常は、表情には出さなかったが、内心ひと安心していた。
信濃への道を辿る途上、千方は出来る限り、弧徒化から、色々と情報を聞き出した。佐久に近付くと、千方はまず、弧徒化から予め聞き出しておいた森に向かい、そこに兵を隠した。そして、夜叉丸と秋天丸のみを連れ、貞義の舘に向かった。
舘に近付くと、まず、秋天丸を舘に走らせ、秀郷からの『代替わりの祝の品』を届けに来た旨を告げさせた。
一人の郎党が門で出迎えており、千方ら三人はその案内で貞義の居室まで通る。夜叉丸は予め用意した祝の品を持って千方に従う。
途中ですれ違う郎党たちの表情に、千方は注意を払っていたが、警戒心を顕にした視線を注いで来る者は居なかった。
型通りの挨拶を済ませ、祝の品を披露する。貞義は丁重に礼を言い、泊まって行くよう勧める。時を選んでの訪問であり、それも、千方の計算のうちである。
酒宴となり場が和んで郎党達が代わる代わる千方に挨拶に来て名乗る。そして、秀郷の近況に付いて尋ね、健勝と聞いて世辞を並べる。
酌を受けながら千方は、弧徒化から得た情報を元に、その男が敵か味方かを判断している。
時が過ぎ、殆どの者が席を外した。
残っているのが味方のみと確認したが、千方は、その者達を含めて、人払いを貞義に依頼した。
敵が居るうちに人払いを頼めば当然疑われる。かと言って、味方のみを残して長い間留め置けば、矢張、何か相談していると勘繰られることになる。それで、その者達も下がらせるよう依頼したのだ。
人払いをして貰い、訪れた目的を話すと貞義は驚いたが、直ぐに理解し、段取りに同意してくれた。
地方の兵の郎党とは、都の貴族の家人や従者たちとは違い、その殆どが自作農である。単に力の有る者、立場の有るものを中心に集まっているに過ぎないとも言える。力関係が変化すれば、従う相手を変えることもまま有る。
望月に付いては、滋野三家と言う強力な背景があるので、全く別の者が上に立つことは難しい。
翌朝、千方と貞義は、朝駆けと称して信頼出来る者達だけを連れて舘を出た。そして、外に伏せて置いた手勢と合流し、舘に引き返し一気に決着を付けた。
信念を持って兼光に従っていたものは少なく、大方が、長年の付き合いだけで従っていた者達だったので、状況不利と悟ったとたん、兼光を見捨てた。




