63 衣川・安倍舘
忠頼は、それ以来、高巳丸を養子にしたいという件については、一言も発しなかった。
ひと月ほどが経ち、秋の気配が漂って来ていた。
「都留儀殿の好意に甘えて、すっかり長逗留をしてしまいましたな。
季節ももう秋、陸奥の冬はあっと言う間に来るそうで御座います。十日後には立つことに致しましょう」
朝鳥が千方に言った。
「陸奥は良き所じゃ。名残惜しいが、いつまでおる訳にも行かぬな」
「真に名残惜しゅう御座います。陸奥には強き者が大勢おります。悔しいことに、太刀打ちでも、弓でも、競馬でも、まだ一度も勝てていない者がおります。十日の間に何としても勝ちたいものです」
「秋天丸、相変わらずじゃのう」
「ではまず、吾に勝つことだな」
夜叉丸が、からかうように言った。
「なに~。ようし、今勝ってやる。庭に出ろ」
秋天丸が勢い良く立ち上がった。
「これ! やめぬか、戯け者めが」
朝鳥が制する。
「この}三月で、六郎様の弓の腕は驚くほど上達致しました。のう、秋天丸」
秋天丸の意気込みを空かすかのように夜叉丸が言った。
「う? ああ、確かに我等も驚く程に」
仕方無く秋天丸が応じる。
「そう思ってくれるか。実は、吾ながらここのところ、急に腕が上がったと思っておった。秋天丸の申す通り、ここでは学ぶものが多いからかのう。…… だが、まだまだ汝達二人には及ばぬ」
「いえいえ、近々、我等も追い越される程の勢いで上達しております」
「秋天丸、余り褒めすぎてはいかん。何しろ、すぐ、その気になるお方じゃからな」
ムッとしたように千方が朝鳥を見る。
「そのほうも郎党なら、たまには世辞くらい言って、少しは主の機嫌を取ろうとは思わぬのか?」
「守役で御座いますゆえ」
朝鳥はシラッとした表情で答えた。
その顔を見ていた千方だが、やがて表情を崩す。
「ふふっ。食えぬ男よの。草原の爺様を思い出すわ」
「それは光栄に御座います」
「朝鳥。これからも宜しく頼むぞ」
「は?」
「汝の言う通り、麿は調子者のようじゃ。吾ながらそう思う。しっかり手綱を取ってくれ」
「ふ、これは…… 六郎様、大人に成られましたな」
十日の後、いよいよ下野に帰る日が来た。
帰る途中で多賀城に寄って貞盛に挨拶しなければならない。
だが、多賀城には千方、朝鳥のみが行くことにし、古能代親子、夜叉丸、秋天丸の六人とは多賀城の手前で別れ、名取で落ち合うことにした。
「子らもおることゆえ、郎党と女子共を付け、下野までお送りしたい処ですが、御承知の通り、我等・俘囚は、簡単に陸奥から出ることは出来ません。
衣川までしかお送り出来ませんが、お許し下され」
古能代と小鷺は、前の晩に、既に都留儀への挨拶を済ませていた。
出立の朝、帰国の挨拶に訪れた千方に、都留儀が言った。
「何の。陸奥守様が人を差し向けて下さることに成ったので、ご案じ下さいますな。それよりも、長逗留となり、色々お世話をお掛け申した。
この三月、麿に取っては貴重な日々となりました。
得るものも多く、郎党達も都留儀殿の郎党達の中に、多くの知己を得たように御座います。本当にお世話になりました」
「いえいえ、碌なお持て成しも出来ず申し訳御座いませんでした。しかし、正直申し、御無事でお帰り頂くことが出来、安堵致しております」
「兄は、己の力で生き残れぬ者は死んでも仕方無いと思っておりますので、もし、この地で麿が命を落としていたとしても、都留儀殿を責めるようなことは御座いませんでしょうが、ご迷惑には違い無い。ご心配をお掛け申した」
「陸奥守様には、色々と聞かれると思いますが、我等は朝廷に恭順しており、陸奥の安寧の為に力を尽くしているとお伝え頂ければ幸いです」
「元より、そのようにお伝えする心積もりでおります」
「忝い。宜しくお願い申し上げます」
都留儀の見送りを受け、千方主従、古能代、そして、小鷺、日高丸、高巳丸の八人は安倍の舘を後にした。
衣川までは、郎党達を従えた忠頼が同行する。他に小鷺や子らの身の回りの物と都留儀が用意した土産物を積んだ荷車とそれを引く者達、高巳丸を抱いた女が一人従う。
小鷺は大人しい性格ではあるが、やはり蝦夷の娘、男と同じような直垂を着て、ひとりで馬を操る。
日高丸は、古能代が馬に乗せて、自分の前に抱え込むようにしている。旅に出ることが余程嬉しいらしくきゃっきゃとはしゃいでいる。
千方一行は、門の所まで送りに出て来た都留儀に馬上から頭を下げ、荷車の動きに合わせながら、ゆっくりと歩み始めた。
三月ほどの滞在であったが、それぞれに取って刺激的な日々であった。
千方、夜叉丸、秋天丸に取っては、何よりも始めて戦闘に参加したことが、忘れられない出来事であったし、多くの知己を得たことも収穫であった。
朝鳥は、安倍という蝦夷の一族に大きな興味を抱いた。都留儀の本音がどこに有るのか。明け透けに語り、隠し立てせずに、何もかも見せてくれたかのような都留儀ではあったが、心の底は計り知れない。この一族がこの先どう成って行くのか、それを知る為に長生きしてみるのも悪く無いと思った。
古能代に取っては、もちろん、妻子と再会出来、下野に連れて帰ることが出来ることが何よりの喜びであることは言うまでも無い。人を寄せ付けぬ雰囲気を常に漂わせていたこの男も、やはり人間である。朝鳥や千方が気付くほどの変わりようを見せていた。
涼しいと言うよりは、少しひやりとする風を背に受けて、狩や野駆けで走り廻った山々をゆっくりと見渡しながら、千方は、ふいに芹菜のことを思い出した。そして、早く会いたいという想いが湧き上がって来た。
時々、ひとりになった時思い出すことは有ったが、強く会いたいと思うことは今まで無かった。日々の刺激と楽しさの中で、そういう気持ちを忘れていたと言っても良い。
衣川の川辺まで来た時、忠頼が馬を止め振り返った。
「如何なされた?」
轡を並べていた古能代が尋ねる。忠頼は北西の方向に有る小山を指差した。それは、高さ三十丈(九十メートル)ほどの草木に覆われた小山である。
「義兄上、あの小山をどう思われますか?」
「どうとは?」
「いえ、いずれあの上に舘を建ててみたいと思うておりまして……」
山頂に舘ひとつ建てても、回りに有る程度の平場は確保できそうではある。
「しかし、なぜあんな所に。…… 郎党達の住まいまでは建てられまい」
「郎党や村人は下の麓から川辺に掛けての平地に住まわせます。そして、郎党達は、毎日、舘まで登って来させます。足腰の良い鍛練になりましょう」
「三方向を更に高い山に囲まれ、衣川を見渡せる場所に舘を建てる…… まるで、大和が川を渡って攻めて来るのを監視する為の柵ようじゃな」
「はい。父は決して許すまいと思います。吾が当主を継いだ後のことになりましょう」
「大和に反旗を翻そうと言うのか?」
「いえ、負ける戦は致しません。当面は、蝦夷達に安倍の心意気を示すことが出来ればそれで良いのです」
「国府が放って置くまい」
「父を真似て、ひたすら恭順の意思を示し続けるつもりです。もちろん、陸奥守、鎮守府将軍には、それなりに袖の下を使う必要は御座いましょう。
懐が潤って、こちらがひたすら恭順の意を表しているのに、敢えて事を荒立てようとする者は余りおりますまい」
「下手に事を荒立てて騒乱を引き起こし、収めることが出来無くなれば、国司は責任を問われることになる。申し開きを信じた振りをして、懐を肥やし、黙って京へ帰った方が得という訳か。忠頼殿。久しく会わぬ間に強かになられたのう」
「大和と戦おうとは思いませぬが、蝦夷をひとつに纏める為には、何でもやるつもりです」
「しかし、敢えてことを荒立てようとする国司が現れることが有るかも知れぬ」
「いずれ、そういうことも有りましょう。
それまでに、どれだけ蝦夷を纏め切れるか、そういう賭けですな」
「汝の考えの中のひとつを、手助けできぬことは心苦しい」
「高巳丸のことでしたら、申した吾が間違っておりました。お忘れ下され」




