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60 古能代と小鷺

 古能代(このしろ)が遺体を寝かせ再び手を合わせると、娘が近寄って来て同じように手を合わせ、(ふところ)から櫛を取り出して老人の髪を整え始めた。


都留儀(つるぎ)殿の娘御(むすめご)か?」


 古能代(このしろ)が聞いた。


 娘は古能代(このしろ)を見て少し微笑み「はい」とだけ答えた。


 古能代(このしろ)は、その後は何を言っていいのか分からず、老人の髪を()き、衣服を整える娘の姿をただ黙って見詰めていた。なぜかしら胸が騒いだ。



「ふふ、あの時、吾はどうしていいのか分からず、ただ仙老の衣服や髪を整えておりましたが、段々やることが無くなって来て、郎党達が早く来ぬかとそればかり思っておりました。

 だって、何も言って下さらないんですもの。女子(おなご)の吾から何を言って良いのかも分りませんでしたから…… そのうち、腹が立って参りました」


「吾も何を言って良いのか分からなかったのだ。今だから申すが、ドキドキしておった」


「まあ! でも怒ったような顔をされていました」


「この顔は生まれつきだ」


阿弖流爲(アテルイ)という方は、きっと女子(おなご)にはやさしい方だったと思いますよ」


「吾は阿弖流爲(アテルイ)では無い」


「でも、そっくりなのでしょうね。実際に会ったことの有る仙老がそう思ったのですから」


「その辺りのことは今でも良く分からぬ。命尽きる寸前に、想いが形となって見えたのかも知れぬ。たまたま、そこに吾が居ただけじゃ」


「吾は、(なれ)阿弖流爲(アテルイ)の生まれ変わりと思いとう御座います」


「首を()ねられることになるのか?」


「もう! そのような意地の悪いことを…… なにゆえ仰のるのですか? 嫌いで御座います」


「済まん。そう怒るな」


 古能代(このしろ)が、恐らく他の誰にも見せたことの無いような情けない表情を作って、小鷺(こさぎ)に詫びた。


    

 小鷺(こさぎ)は初婚では無い。

 十六歳の時、安倍(あべ)家の有力な郎党の息子と夫婦となった。しかし、その男は間も無く戦いで死んだ。子は授かっていない。

 その後、都留儀(つるぎ)は幾つもの縁談を小鷺(こさぎ)に持ち掛けたが、小鷺(こさぎ)は首を縦に振らなかった。


 都留儀(つるぎ)の娘であり、見目も悪く無く、心持も優しい小鷺(こさぎ)を何とかしようという郎党は、数多く居た。しかし、小鷺(こさぎ)の心を掴む者は居なかった。


 そうしているうちに、小鷺(かさぎ)も歳を重ね、当時としてはもう乳母桜と見られる歳になっていた。

 さすが都留儀(つるぎ)も諦めて、舘で安穏(あんのん)に一生過ごさせてやろうという気になっていたのだ。


 古能代(こなしろ)陸奥(むつ)にやって来たのはそんな頃のことだった。

 阿弖流爲(アテルイ)の血を引いていると確認した時、安倍(あべ)陸奥(むつ)蝦夷(えみし)を統率するに当たって、大きな力になるとは思った。


 だが、()うに娘盛りを過ぎた小鷺(こさぎ)を無理矢理押し付けようとすることはさすがに(はばか)られた。

 どうせなら、若い妹達の誰かを古能代(このしろ)(めあわ)せたいと思った。


 普段から仙老の身の回りの世話をしていた小鷺(こさぎ)を同行させたのは、なんらかの意図を持ってのことでは無かった。言わば、自然の成り行きである。


 古能代(このしろ)を見た仙老が興奮の余り命を落としたのも、予期せぬ出来事であったのはもちろんのことだ。

 だが、その事態に至り、仙老の遺体の前に並んだ二人の姿を目にした時、(かす)かな予感が都留儀(つるぎ)の脳裏に走った。


「吾と雄熊(おぐま)は所用が有る。郎党共が来るまで、ここに居てやって下され」


 咄嗟(とっさ)に、古能代(このしろ)に言い残してその場を離れた。雄熊(おぐま)に所用など心当たりはなかったが、父が自分に何か用が有るのだろうと思った。


 特に命じずとも、小鷺(こさぎ)は仙老の遺体を放ったまま、その場を離れてしまうような女では無い。自然と古能代と共に残ることになった。

 小鷺(こさぎ)が十代の娘の頃であったなら都留儀(つるぎ)も、阿弖流爲(アテルイ)の血を引いているとは言え、よそ者の古能代(このしろ)と二人きりで残すようなことはしなかったろう。

 そうした積み重ねが、古能代(このしろ)小鷺(こさぎ)を近付ける切っ掛けとなったのだ。


 かと言って、その場で古能代(このしろ)小鷺(こさぎ)が親しくなった訳では無い。


 古能代は『都留儀殿の娘御むすめごか』と聞いただけで、後はしかつめらしい顔をして黙っていただけだし、小鷺(こさぎ)は、どうして良いか分からず、郎党達が早く来てくれぬかと思っていただけだ。


 ふたりが接近するには、その後、暫くの時を要した。

 一瞬にして燃え上がる恋も有れば、時を掛けて熟成されて行く恋も有る。古能代(このしろ)小鷺(こさぎ)の恋は、自然さを失わぬ速さで熟成されて行った。 


 しかし、その過程をここで追って行くことはしない。

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