58 危うき勝利と虚しさと 2
突如、堤の上に現れた数十の兵達が一斉に矢を射掛け始めた。
「盾を頭上に構えて防げ! 矢傷を負ったら後方に退き、すぐに措置せよ! 命を無駄にするな!」
忠頼は兵を励ます。
前方の一隊は頭上に盾を掲げ、後方の者達が堤の上の敵に向かって矢を射掛ける。しかし、やはり上から狙う方が有利だ。
それに、敵の毒矢が威力を発揮し、敵ひとりを倒すのに三倍の負傷者が出る。その負傷者も放って置けば死に至る為、後方に避難させ、すぐに治療しなければならない。
安倍の陣営は混乱し始めた。もし、数倍の敵が堤上に居たら、恐らく崩壊していただろう。だが、幸いにも敵の数はそれほど多くは無かった。
「来るぞ!」
忠頼がそう叫ぶのと、五十ほどの一団が出入り口から飛びだして来たのは、ほぼ同時だった。堤上からの援護が続く中で、飛び出して来た一団も騎射しながら疾駆して来る。
忠頼は五十程の兵を堤上の射手に当たらせ、残りの兵を率いて、こちらも騎射しながら一団目掛けて突撃を開始した。一隊が狐支紀らの行く手を塞ぎ、他の兵達が敵の横から襲い掛かる。
矢合戦は接近戦に変わり、敵味方入り乱れて馬上での打ち合い、飛び掛かり共に落馬しての取っ組み合いがあちこちで展開される。
堤上の敵が姿を消した為、それに対していた兵達も合流して戦いは安倍軍有利に展開して行く。
間も無く大勢は決した。何とか逃げようとする者に複数の兵が追い縋り討ち取り、戦意を喪失した者を捕える。
仲間が毒矢の餌食になったことへの恨みからか、捕える際に、殴る蹴るの暴行を加える光景もあちこちで見られる。
蹄の音に忠頼が振り返ると、古能代と千方達が戻って来るのが目に入った。
「夜叉丸が矢傷を負った。吸い出しては置いたが、既に毒が廻っているかも知れぬ。念の為、兵達と一緒に手当てを頼む」
近付いて来た古能代が、忠頼にそう頼んだ。
「大丈夫。これしきのこと、もう心配ありません」
夜叉丸が強がる。
「黙って言う通りにしろ!」
古能代が、いつに無く強い調子で言った。
その時、
「忠頼様。狐支紀を捕えました!」
と、兵の一人が忠頼に報せを齎した。
そして間も無く、後ろ手に縛り上げられた狐支紀が、手荒く兵達に引き立てられながら忠頼の前に連れて来られた。
引き据えられた狐支紀は、忠頼を睨み上げる。傷は負っていないようだが、酷く殴られたのか、顔の左半分が腫れあがり、唇が裂け、出血している。
「殺せ!」
狐支紀が忠頼に向かって叫んだ。
「色々聞くことが有る。そう簡単には殺さぬ」
「盗人の小倅に話すことなど無いわ!」
「余程殺されたいと見えるな…… 連れて行け。逃すでないぞ」
「はっ」
と返事をした兵のひとりが、狐支紀の背中を思い切り蹴った。
「うっ」
と声を出した狐支紀だったが、そのまま引き立てられて行った。
「被害は?」
古能代が忠頼に尋ねた。
「死んだ者が七人。毒が回って危うい者が三人ほどおります。他に、矢傷を受け手当をしている者は三十を超えると思います」
「毒矢とは始末が悪い。致し方有るまい」
「手当には万全を尽くせ。良いな」
忠頼が兵の一人に命ずる。
「はっ」
たかが五十人ほどの敵を相手に、七人もの死者を出してしまった。更に、舘から千方に従って来た郎党達のうちの三人を含めて十人。
まずい戦をしたものだと忠頼は思った。もし、千方達が来ないで、背後の敵に気付くのが遅れていたらどうなったか分からない。数の力で勝ったものの、実質負け戦同然だ。毒矢のせいには出来無い。
辺りを見回すと殺伐とした戦いの後の光景が広がっている。
踏み荒らされた大地。数多くの矢が散らばり、蕨手刀を握り締めた敵の死体があちこちに転がっている。味方の死骸は兵達が既に運び去って一か所に安置して有る。
乗り手を失った馬の一部はいずれへか走り去ったが、残りは兵達が集めて回っている。
山裾の木陰では、傷付いた兵達が、或いは横たわり、或いは座って仲間の治療を受けている。
『思い出すのは、笑っている顔、必至で何かをやっている顔、家族と過ごしている時の顔』蠟のように皮膚が変質した遺体の顔を覗き込みながら、忠頼は、ついさっきまで生きていた郎党達の生前の姿を想い浮かべていた。そして、その後ろにある数十人の家族の姿。
『人とは、死ぬ為に生まれて来るものなのかも知れぬ。そして、遅かれ早かれ、吾もいずれこうなるのだ。…… それまでに何が出来るか?』
ずっしりと重い何かが忠頼を押し包んでいた。
「忠頼殿。塞ぎ込んでいてはならん。兵達が見ておる」
古能代にそう言われ我に帰った忠頼は、矢継ぎ早に指示を出し始めた。
「輜重を馬に積み替えて、荷車を空けよ! 死んだ者と怪我をした者をそれぞれの荷車に乗せ、捕えた敵は、数珠繋ぎにして馬に引かせろ!」
早くも死臭を嗅ぎ付けて、多くの烏が上空を旋回し始めている。一部は大胆にも、兵達が動きまわる近くに舞い降りて、死骸を突き始める。
その烏達を追い払いながら、兵達が二人ひと組になって、通行の邪魔になる場所に転がっている敵の死骸を崖下に蹴落とす。
舘に戻った後、尋問が行われたが、狐支紀は毒突くばかりで、肝腎なことは何も喋らなかった。しかし、部下の何人かが、拷問を受け、口を割った。
立て籠もっていたのは百二十人ほどだ。最初から安倍を誘い出し討ち取ることが目的だった。
半分ほどが背後に回り、後ろから矢を射掛け、動揺を誘い、機を一にして堤上から援護しながら討って出る。それで勝てると狐支紀は踏んでいたようだ。
まず、少人数の何組かが、後方の見張りに背後から近付き、声を出させずに殺す。そして秘かに包囲軍に近付き一気に矢を浴びせる。まさか背後から攻撃を受けると思っていない安倍軍は、それで大混乱に陥る筈だった。
「どうやって後ろに廻った!」
吊るされて打ち据えられ、血だらけになった男に忠頼が問うた。
「洞窟が…… 有る」
「洞窟? 馬が通れる程の洞窟が有ると言うのか?」
「馬は…… 馬は、前以って出口の近くに…… 隠して置いた。
洞窟は…… うっ…… 洞窟の狭い所は、…… 人ひとりが這って通れるほど……」
「元々有ったのか?」
「外は二つの洞窟を繋いだ。…… 互いに近くまで続いていたのでわずかの距離を掘って繋いだ。
…… それが…… それが、堀の近くまで続いていて、深さも十分だったので、中から穴を掘って、そこまで繋いだ。三年掛かった」
「…… ふ~ん。降ろして手当してやれ。回復したら案内させる」
そう言い残して外に出た忠頼だったが、首筋に寒気を感じていた。
もし、全てが狐支紀の作戦通り進んでいたら、包囲軍は壊滅していたかも知れないと思った。背後の敵のうち三十ほどは逃げ延びた。その探索をしなければならなかった。
戻った晩、夜叉丸は、やはり体に廻った毒の影響が出て苦しんだ。幸い命を失うには至らなかったが、更に三人の兵が死んだ。
「郎党、兵を多く失い、申し訳も御座いません」
都留儀の前で頭を下げ、忠頼が詫びている。
都留儀はそんな忠頼を少しの間見詰めていたが、
「やむを得ぬ仕儀じゃ。汝の罪では無い。残された家族には出来るだけのことをしてやるが良い」
と静かに言った。
「すぐに、残党狩りに出ます。包囲に加わっていた者達は休ませて、留守を守ってい居た者達を連れて行きたいと思います」
「汝も疲れておろうが」
「何の。吾は大丈夫です」
「そうか。頼もしく思うぞ」
突いた両手を膝に戻し、忠頼は何かを想うように空を見詰めた。
「いかがした?」
「父上。ひとつだけ伺って宜しいでしょうか?」
「何か?」
「朝廷とは争わぬことが、大鹿様の遺訓であり、安倍の家訓と言うことは分ります。…… しかし、それは蝦夷同士で争うということなのでしょうか?」
都留儀は訝しげに忠頼の顔を見た。
「何が言いたい。吾は争いを無くす為に努めて来た。だが、それでも従わぬ者は出て来る。それは討たねばならぬ。争いたくて争っている訳では無い」
「…… お叱りを受けるかも知れませんが、従わせようとするからではないでしょうか?」
「この奥六郡を纏めなければならぬ。それが、大和の介入を招かぬ為の唯一の方法だ」
「仰ることは分ります。しかし、我等の力が強くなることで、それに反感を持つ者も出て来て居るのでは?
実際、郎党達の中には、安倍以外の者達を下に見て、偉ぶる者もおるようです。言い聞かせてはおりますが、全てに目が行き届く訳ではありません」
「郎党達も命懸けで働いておるのじゃ。多少のことは大目に見てやらねば着いて来ぬ」
忠頼は、都留儀を見詰めていた視線を下に移した。今言い争ってみても仕方が無いと思ったのだ。
「では父上、探索に行って参ります」
「うん。大儀じゃ」
都留儀が頷く。
「良いか! 狐支紀の残党共、一人残らず探し出すのだ。だが、それ以外の者達に乱暴はならぬぞ、良いな!」
兵達が一斉に、
「はっ」
と答える。
多くの死者を出してしまったことが、忠頼の胸に棘となって刺さっている。叛いた者を討っても、また別の者が叛く。何十年もその繰り返しだ。
何かが間違っているのではないか。常日頃忠頼の心の奥に流れていた感情が狐支紀との戦いを機に、奔流となって溢れ出していた。
駆けながら忠頼は考えていた。
『大和とは争わぬと安倍が家訓を掲げていることが、安倍を大和の回し者と見る者を増やしているのではないか。
それは、始めから安倍の背負った宿命とも言えるが、今よりも遥かに厳しい状況の中で大鹿が取った方法は、力で抑え込むことでは無かった。
その姿勢が阿弖流爲の部下達の心に響いて、協力を得ることが出来、状況を変えることが出来たのだ。父上はそれを忘れているのではないか?』
『蝦夷が蝦夷を討つ』
そのことに忠頼は、言いようの無い違和感を覚えていた。
『結局、大和の思惑通りに我等は踊らされているだけではないのか? 大和の奴婢の如くなることが、唯一の道なのか? 蝦夷の誇りを失って、血だけを残して何の意味が有るのか?』
そうした心の揺れを隠して、今やるべきこと、即ち、狐支紀の残党狩りに忠頼は向かう。




