52 「吾も蝦夷」-大鹿と倶裳射
狐支紀を包囲して五日が経っていた。
忠頼と古能代が二百の兵を率いて包囲している。三日目、四日目と連続して夕方から激しい雨となったが、いずれも二刻(一時間)ほどで上がった。草も木もたっぷりと水分を含んで燃え難くなっている。それでも五十本ほどの火矢を堤の内側目掛けて射込んだ。
狐支紀が討って出て来てはくれぬかと、忠頼も古能代も思ったが、動きは無かった。
一方、千方、朝鳥、夜叉丸、秋天丸は郎党の案内で近くを見て回ったり、都留儀の話を聞いたりして過ごしていた。
安倍の舘は胆沢近くの山裾に有る。
その周りには二百ほどの竪穴式住居が点在しているが、山蔭にはまた別の集落があり、森を越えるとまた別の集落が姿を見せる。
それぞれは、直ぐに連絡が取れるほどの距離に配されており、俯瞰すれば、まるで現代のネットワーク図のようでさえある。
このネットワークのような集落の配置に次々と情報を伝達して行く手順が確立されているのであろう。
出陣が触れられると同時に伝令が周りの集落に飛び、そこから又その周りの集落に飛ぶという風に伝播して行き、舘から出陣した一隊を追うように合流して行く。
舘に全ての兵を集結させてから出陣するより遥かに短時間で多くの兵を集めることが出来る。
この頃の陸奥の蝦夷は『村』という単位を作っていた。『村』は現代の村とは違い、多くの集落、郷の集合体であり、ごく小規模ながら村落国家ともいうべき纏まりを見せていた。
この村の長の中には都留儀のように、大和風に『お舘』と呼ばれるようになっている者も居たが、大和の役人達は、その全てを侮蔑の意味を込めて、古くからの呼び方である『酋長』と敢えて呼んでいた。
阿弖流爲の投降後、暫くして、事実上、蝦夷の自治を認めざるを得なくなった時、大和朝廷は、蝦夷の長の中から人望のある者を選んで支配させることとしたが、その多くが実質的な蝦夷集団の支配者である『酋長』であった為、その呼び方が定着していたのだ。
だが、安倍氏はそうでは無かった。早くから大和に降り、その先兵として対蝦夷戦を戦って来て、位階をも授かっていた。
外従八位上。それが与えられていた位階である。
外位とは何か? 分り易く言えばノンキャリアである。上は五位までしか無く、それ以上の出世は望めない。そして、同じ位階であっても就ける職は、より低いものとなる。そして、例外を除いて外位の者が内位に進むことは無い。
位階は本人限りのもので相続出来るものでは無い。
しかし、比較して内位と言われる本来の位階では、五位以上の者の子には蔭位と言うものが有る、二十一歳に成ると父の位階に応じた位階が与えられるのだ。
因みに、従四位下・藤原秀郷の庶子である千方には、二十一歳に成ると従七位下が授けられることになる。
限られた家柄の者以外の者が高位に進むことを防ぐ仕組みが出来上がっていたのだ。
当時の日本は、家柄に寄り官位が与えられ、その官位に因って高い職を得ることの出来る一部の人達に寄って支配される社会であった。
律令制は唐の制度を取り入れたものだが、科挙という、試験に寄って在野の秀才を官僚に登用する制度を取り入れることは無かった。
ごく一部の大手柄を立てて大出世をした者を除いて、高級官僚は世襲に寄って独占されていたのである。
因みに、藤原忠平の長男・実頼は、二十一歳どころか、十六歳の時に元服し、その翌日に従五位下に叙されている。
投降後、大和側の思惑に寄って、再び蝦夷社会に送り込まれた安倍氏に対して、当初蝦夷側の反発は強く、裏切り者と看做され、大和人以上に嫌われ憎まれることとなった。
四面楚歌、いつ寝首を掻かれるかも知れないような毎日。それが、忠頼の曾祖父がこの地に入った頃の状況だった。
さすがに正面から戦いを挑んで来る者は居なかったが、面従腹背、陰で足を引っ張ろうとする者ばかり、誰もが安倍氏の失脚を願っていたと言っても良いかも知れない。
そんな中で、意外な者達が安倍氏の味方となる。他でもない、それは阿弖流爲の残党である。
まだ阿弖流爲が大和と対峙していた頃のこと。彼の部下の中に倶裳射という男が居た。
大和の移民の娘と良い仲になり、一旦は|阿弖流爲の許を離れて大和人の移民集落で暮らすようになったが、蔑みの目に耐え切れず妻子を連れて再び蝦夷社会に戻った。
しかし、阿弖流爲の許しを得て戻ってはみたものの、今度は仲間の蝦夷達から、大和の回し者ではないかと疑いの目で見られるようになる。
倶裳射は己の疑いを晴らす為に、大和側の情報を阿弖流爲に漏らす。
もちろん底辺に生きる者であるから、知っている情報は些細なことに限られる。それでも、蝦夷達が知らなかった情報も有り、後にそれが事実と確認されるに連れ、徐々に信用を得て行った。
己が認めて貰える道はそれしか無いと感じた倶裳射は、より大きな情報を阿弖流爲に齎したいと考えるようになった。そして、単身、大和社会に潜入し、より重要な情報を得ようとした。
ところが、前線に出張っていた安倍氏の郎党に怪しまれ捕まってしまう。
当時の安倍氏の当主は、忠頼の曾祖父の父・安倍陸奥臣・大鹿である。
大鹿の前に引き出された倶裳射は、もうこれまでと観念し、大鹿を睨み付けて、
「殺せ!」
とひと言叫び、例え拷問に掛けられようと、後は何も喋るまいと心に決めた。
「大和人の身形をしているが、蝦夷だな」
と大鹿が問う。倶裳射はそれにも答えず、ただ睨み付けている。
「ふふ。飽くまで喋らぬつもりと見えるな。良かろう、望み通りにして遣わす。
まず、手足の指一本一本の爪を剥がし、目を抉り、体中に無数の浅い傷を付ける。その傷に腐った魚を磨り潰した物を塗り付けてやる。蝿がたかり、やがて蛆が沸いて悶え苦しみながら死ぬことになる。どうじゃ、それが望みか?」
倶裳射は表情も変えない。
「白状致さば、ひと突きで、苦しむ暇も無く殺してやる。どちらでも、好きな方を選べ」
大鹿は暫く黙って倶裳射の返事を待った。だが、いつまで待っても倶裳射は黙したままだ。
やがて大鹿が言った。
「皆、下がっておれ」
郎党達が出て行くと、大鹿はしゃがみ込んで倶裳射の縄目を解いた。
大鹿が何をするつもりか? 倶裳射は目まぐるしく考えたが、逃げるのは今しか無いと思う。しかし、すぐに捕まってしまうだろうとも思った。
大鹿に襲い掛かって太刀を奪い、人質にして楯として逃れるしかない。
振り向きざま太刀を掴もうとした。右手が上手く大鹿の太刀の柄に掛ったが、同時に、大鹿にその手首を掴まれていた。
構わずそのまま抜こうとした。だが、手首を捻られ、肘を上から押さえ付けられて、前に強く引かれた。倶裳射は、そのまま前につんのめった。
大鹿は倶裳射をうつ伏せに組み伏せ、裏返しに横に伸ばした倶裳射の腕の肘と手首を上から抑え付け、脇腹と手首に膝を押し付けている。
倶裳射は全く上半身を動かすことが出来なくなっていた。
「騒ぐで無い。大和の為に働いてはおるが、吾も蝦夷だ」
そう言うと、大鹿は抑えつけていた手を放し立ち上がった。
少し置いて倶裳射も起き上がり、座ったまま大鹿を見上げた。もはや、もう一度襲い掛かろうという気力は失せていた。
「汝の覚悟は、しかと見極めた。少し吾の話を聞いてみる気はないか? ……」
倶裳射は大鹿の意図を図り兼ねていた。だが、大鹿の視線に誘い込まれるかのように、思わず頷いていた。
「蝦夷とは言っても我等は俘囚だ。大和の手先となって同胞と戦い、多くの者を殺して来た。
許せぬであろう。きっと阿弖流爲も許さぬ。……好き好んで蝦夷を殺している訳ではない。…… それしか生きる道が無かった。
己が生き延びる為に同胞を殺して来たのだ。それが許せぬと申すであろう。…… だが、大和には勝てぬ。勝てぬのじゃ。…… 分るまいのう。
もうじき大和は五万の大軍をこの陸奥に送り込んで来る。阿弖流爲の本拠を一挙に壊滅させるつもりだ。
すべてが焼き払われるであろう。皆殺しになるかも知れぬ。…… このこと、阿弖流爲に伝えて貰いたい」
「何故……」
「何度も申すが我等も蝦夷じゃ。汝達は我等を許さぬだろうが、せめてもの贖罪のつもりだ。
出来ることなら投降し、この戦を終わらせて欲しい。これ以上闘っても、いたずらに犠牲を増やすだけだ。
しかし、今の阿弖流爲には分かるまい。飽くまで戦い続けるつもりであろう。…… どう判断するかは阿弖流爲次第だ。だが、伝えて置きたいのだ」
『五万の大軍で阿弖流爲の本拠を殲滅するつもり』と脅して降伏させようと言うのか? それとも、吾を解き放して、跡を付けさせるつもりか? いずれにしろ、そのまま信じられるものでは無い」
と倶裳射は思った。
「汝の思惑通りにはならぬ」
倶裳射が言った。
大鹿がさらりと太刀を抜き放った。そしてしゃがみ込み、左手で倶裳射の右手首を掴んだ。倶裳射は刺殺されると覚悟した。
ところが大鹿は、太刀の柄を倶裳射に握らせて来たのだ。
「何としても阿弖流爲に伝えて貰いたい。それには汝に信じて貰う他に無い。信じられぬとあらば、今、吾を刺し殺せ。多くの同胞を殺して来た身だ。悔いは無い」
射抜くように見詰める大鹿の目に、倶裳射は気圧された。
例え郎党達がどこかに潜んでいたとしても、この距離で自分が大鹿を刺したら、間に合う訳が無い。
『この男は本気なのだ』
そう思った。
「汝の言うことなど頭領は信ぜぬわ」
「分っておる。阿弖流爲は我等を信ぜぬだろうし、決して許しもすまい。
だから、汝に信じて欲しいのだ。そして、吾が申したこととは言わず、汝が探り出したこととして|阿弖流爲に報せて欲しいのだ」
「そう簡単には信じられぬ」
「いずれ阿弖流爲の耳にも入ることだ。だが、少しでも早く報せて置きたい。策を錬る時が必要だ」
「断ったら? ……」
少し間を置いて大鹿は立ち上がった。そして、倶裳射に握らせた太刀を静かに取り上げ、鞘に収めた。
そして、一度大きく溜息を突く。
「誰かおるか!」
郎党が急ぎ足で入って来る。
縄を解かれている倶裳射を見て怪訝そうな表情を浮かべた。
「疑いは晴れた。この者、取るに足らぬ者だ。怪しい者では無いと分かった。吾も忙しい。早々に追い出せ」
「はっ」
と返事をした郎党が倶裳射の傍に駆け寄り、襟首を掴み引き立て、そのまま路まで連れて行って突き転がした。




