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41 二荒山大明神

 少し時刻を(さかのぼ)る。その日の朝餉(あさげ)を終えた時刻。


 田沼にある秀郷(ひでさと)の舘を訪ねる者達が有った。

 それは、武蔵国(むさしのくに)草原郷(かやはらごう)郷長(さとおさ)草原久稔(かやはらのひさとし)。その娘であり千方の母である露女(つゆめ)、その弟で千方の叔父に当たる豊地(とよち)の三人である。


 三人は、秀郷(ひでさと)の郎等に案内(あない)されて舘に入った。

 奥の間に通され少し待たされたが、やがて秀郷(ひでさと)が現れる。


「良う参った。久稔(ひさとし)殿」


 秀郷(ひでさと)は、まず久稔(ひさとし)に声を掛けた。


此度こたびは思いも掛けぬことでお招きにあずかりまして、望外の喜びを感じております。これも(ひとえ)に将軍様のお陰。この久稔(ひさとし)、生涯この御恩を忘れることは御座いません」


 秀郷(ひでさと)はとっくに鎮守府将軍の職を離れている。 正確には『(さきの)将軍様』と呼ぶべきであろう。

 しかし、当時の習慣としては、このような場合、配下の者は、面と向かっては『(さきの)』などとは付けない。それ以上の職に就かない限り、いつまで経っても『将軍様』と呼ぶのである。


「大袈裟なことを申すな。実はな、これ(すべ)て千常の段取りよ。千寿丸(せんじゅまる)を迎えに行った直後から準備を始めておった。

 麿のところへも何度来居(きお)ったことか……」


「左様で御座いますか。では、千常の殿にも厚く御礼を申し上げねばなりませぬな」


露女(つゆめ)


 ふいに秀郷(ひでさと)が呼び掛けた。


「久しいのう。いや、一瞥(いちべつ)以来と申すべきかな?」


「はい。殿にお会いするのは、これで二度目で御座いますから」


 (おもて)を上げた露女(つゆめ)が答える。


「恨んでおるのか?」


 露女(つゆめ)はゆったりとした表情で微笑んだ。


「何でお恨みすることが御座いましょう。千寿丸(せんじゅまる)がご一族として認められ、立派に元服すること。この十四年間持ち続けた唯一の望で御座います。

 それが(かな)おうとしている今、何の不足が御座いましょう」


「そうか。捨て置いたにも拘わらず、それで他の男に嫁がなかったという訳か……」


「はい。嫁げば、千寿丸(せんじゅまる)は、その方のお子ということになってしまいますゆえ」


「強い女子(おなご)じゃ。全ては子の為という訳か。寂しいとは思わなんだか?」


「千寿丸だけでは御座いません。父に取っても(さと)に取ってもそれが幸いとなります」


(おの)がことは考えぬか?」


「考えます。殿方は、弓矢で周りの者達を護ることで心が満たされることが御座いますでしょう。(わらわ)女子おなご殿方(とのがた)のようには弓矢は使えませぬ。(おの)が出来ることで役に立てればと思うております。それで心が満たされます」


天晴(あっぱ)れな物言いよのう。…… のう久稔(ひさとし)殿」


「恐れ入ります。このようにずけずけと物申す娘ゆえ、もう、ぐっしょりと冷や汗をかいております。申し訳も御座いません」


「ふふふふ。考えて見れば、村岡五郎のせいかも知れぬな。

 あの折、村岡五郎が乱に関わって来ておれば、麿も、もっと足繁く草原(かやはら)に通っておったかも知れぬ。

 遂にあの男が腰を上げなかったばかりに、草原(かやはら)とも露女(つゆめ)とも疎遠になってしもうた。

 千寿丸(せんじゅまる)にしても、近くにおりながら気持ちの中では彼方(かなた)に置いてしもうた。許せ」


「もったいない。この度のことで、何もかも(むく)われます。重ねて御礼申し上げます」


「暫し休むが良い。今日のうちに宮に参る」


 立ち上がり歩き出した秀郷(ひでさと)が、ふと立ち止まって振り向いた。


露女(つゆめ)……」


「はい」


 (おもて)を伏せて秀郷(ひでさと)を見送ろうとしていた露女(つゆめ)が顔を上げる。


「この舘に移る気は無いか?」


「…… もったいないお言葉では御座いますが、どうか、草原(かやはら)に捨て置かれますよう。その分、千寿丸(せんじゅまる)のこと、宜しくお願い申し上げます」 


「ふん…… そうか。今更よのう。あい分かった。思うままに致せ」


 三刻(一時間半)ほど後、秀郷(ひでさと)は数人の一族の者、郎等、草原(かやはら)の者達を引き連れて宮(現・宇都宮)に向かった。


  二荒山大明神ふたあらやまだいみょうじん下野国(しもつけのくに)河内郡(かわちごおり)池辺郷(いけべごう)(みや)の地に()り、現在の宇都宮市の中心部(馬場通1の1の1)、(うす)ヶ峰(標高約百三十五メートル)の山頂に鎮座する。


 宮は二荒山大明神の門前町として栄えていたが、この時代まだ、後の下野(しもつけ)の覇者・宇都宮氏の影は無い。


 因みに、二荒山(ふたあらやま)とは日光の男体山のことであり、『宇都宮』とは『移しの宮』から来ているとも言われる。


 宮の戦いを前にして、秀郷(ひでさと)は二荒山大明神に戦勝祈願をしている。

 その折、陸奥国(むつのくに)の黒川で打たせた毛抜形太刀けぬきがたのたちを奉納したが、その時、宮司(みやのつかさ)は、


「『吾霊力(わがれいりょく)この太刀に込めん。(なんじ)この太刀振るわば怨敵(おんてき)の首を得ることになろう』との御神託(ごしんたく)が有り、大明神様はこの太刀を改めて秀郷(ひでさと)殿に与えるとのお()()しに御座います」


と言って、太刀を返して寄越した。


 そして、秀郷(ひでさと)はその太刀を使って将門(まさかど)の首を討ったのだ。

 戦勝後、秀郷(ひでさと)はこの神社に、大枚(たいまい)の寄進をした。そういうことで、秀郷(ひでさと)に取ってこの神社は縁もあり縁起の良い神社なのである。


 折り返しも無く一直線に山頂まで続く長い階段を一行は登って行く。


「ふ~っ。麿も歳かのう? 息切れするわ」


 中段に差し掛かった時、秀郷(ひでさと)が言った。


「何の…… 殿に着いて行くのは大変で御座います」


 国時(くにとき)秀郷(ひでさと)以上に息切れしながら答える。


 やっとのことで山頂に着き神門を潜ると、冬と言うのに薄らと滲んだ汗を拭き、続く者達の到着を待った。


 広場を挟んで一対いっつい狛犬(こまいぬ)が護る神明造(しんめいづくり)の社殿が(そび)える。


 神明造は奥行きより幅が大きく、高床式(たかゆかしき)倉庫から発展し、穀物の代わりに神宝を納めるように変化したと考えられている。

 左右対称で、左右方向には偶数本の柱が配されており、柱と地面の間には礎石も土台も無く掘立柱。屋根は茅葺(かやぶき)である。


千寿丸(せんじゅまる)と申す子のこと、|五郎(千常)は随分と力を入れておるようですな」


 秀郷(ひでさと)のすぐ下の弟であり、秀郷(ひでさと)に最も忠実な弟でもある高郷(たかさと)が言った。


武蔵守(むさしのかみ)も退任した今、太政官(だじょうかん)は、武蔵(むさし)からも、この秀郷(ひでさと)の影響力を排し、下野(しもつけ)に封じ込めようとしておる。(くさび)を打ち込んで置く必要がある」


大田郷(おおたごお)は兎も角、確かに草原(かやはら)郷に付いては今のままでは心許無(こころもとない)い状況ですな。そこで、落し(だね)のことを思い出したという訳か。兄上、あの折、作っておいて良う御座いましたな」


 高郷(たかさと)は可笑しそうに笑った。風貌は秀郷(ひでさと)と良く似ている。


「勝手と思う者もおるであろうな」


「露女と申しましたな。あの女子(おなご)で御座いますか?」


「うん。不満は申さぬが、心の底は分からぬ。この度の元服に付いても、五郎はえらく熱心であったが、ずっと捨て置いたことが気に掛かって、すぐには返事せなんだ」


「これは兄上らしくも無い。打つべき手を打つに当たって女子(おなご)のことなど気になさるとは。

 露女(つゆめ)とて、子の元服をこのように立派にして貰えるのですから不足は御座いますまい」


「全て読んでおるのよ。あの女子(おなご)はな……」


()れなさったか?」


「うん? 何を申すか、(たわ)けたことを。もはや色気など無いわ。…… ただ、側に置いて色々話してみるには面白い女子(おなご)かも知れぬと思ったまでよ。だが、断られた」


「はっはっはっは。兄上の申し出を断るなど…… それを聞いただけでも、並の女子(おなご)では無いことは分かりますぞ」


「もし、麿が腹を立てて、首()ねると申したら、表情も変えず『左様さようで御座いますか』と首差し出すやも知れぬ女子(おなご)じゃ」


「これは、また……」


 高郷(たかさと)が驚きとも笑いとも取れる複雑な表情を見せた。


 その時、禰宜(ねぎ)と数名の(はふり)を従えて宮司(みやのつかさ)が走り出て来た。


「これは将軍様。このように早いお着きとは思わず、階下までお出迎えもせず申し訳御座いませんでした」


「何、気にすることは無い。年を取ると気が()いてな。約束の刻限よりも大分早く来てしもうた。この階段を登って、やはり歳だなと思うたぞ。

 戦勝祈願に訪れた時には苦にもならなんだのにな」

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