36 密命
古能代二十七歳と成っていた或る日、国時がやって来て、
「郎等の出で立ちにて、お舘に同道するように」
と皆に申し渡した。
「えっ? お舘に行けるのか?」
支由威手が聞いた。
「そうじゃ。名も大道国影と名乗るのじゃ」
忘れ掛けていた名であった。
『いよいよ、正式な郎等として認められるのか?』
と思った。
「何の為のお召し出しで御座るか?」
そう聞いたのは古能代だった。
「言うても汝達には分かるまい。
殿はこの度、天下の謀叛人をお討ち為さる決意を固められた。今はそれ以上の詮索は無用じゃ」
「名は?」
「平将門」
確かに、世間とは隔絶された環境に在る古能代らに取っては知らぬ名であった。
山を降り、舘への道を辿る。
兵の招集や糧秣の調達の為に走り廻る郎等達。
農夫達や女達がそこここに、三人、五人と集まり何やら話し合っており、騒然とした雰囲気が漂っている。
見たことも無い大きな建物。張り巡らされた築地塀。数え切れないほどの人の波。
五人は馬上からきょろきょろと辺りを見回しながら進んだ。さすがの古能代といえどもその例外では無かった。
五人は舘近くの郎等長屋に連れて行かれたが、四人をそこで待たせ、国時は古能代のみを伴って舘に向かった。
裏口から入ると、
「ここで暫し待て」
と言い残し、国時は戻って行った。
古能代は辺りを見回した。
張り巡らされた築地塀。その外に見える数々の甍。郷とは全く違う世界だ。
ふいに、奥から立派な身形をした五十代と見える男が現れた。
太い泥鰌髭を蓄えている。会ったことは無かったが、それが秀郷であることは古能代にはすぐに分かった。
座って左膝を突き、右の拳を地に突いて頭を垂れる。
「面を上げよ」
頭上から秀郷の声が響いた。
古能代が顔を上げると、茫洋とした雰囲気を漂わせた秀郷が古能代を見ている。
「殿とお見受けいたしました。始めて御意を得ます。大道古能代と申します。お見知り置きを……」
「ふん。なかなか様になっておるな」
「恐れ入ります」
「それに、中々の面構え。…… 国時から聞き及んでおろうが、この度、平将門と言う謀叛人を討つことにした。その戦に加わって貰う」
「有り難き仕合せ」
「そのほうらは、信濃より駆け付けてくれる望月兼家殿の隊に付けることにする」
「ははっ」
と返事をしたが、国時を通して下知すれば済むことを、なぜ、わざわざ秀郷自ら命じる必要が有るのかと思った。
古能代の心を読んででもいるかのように秀郷が続けた。
「じゃがな、それは表向きのこと。そのほうに特に命じることが有る。しかと承れ」
「はっ」
と古能代に緊張が走る。
「麿は、こたびの戦で、謀叛人将門を討つ。その勝算は十分に有るし、その為の準備も抜かり無い。
だがな、戦とは何が起こるか分からぬものじゃ。現に、負ける筈の無い戦に敗れて滅び去った者もおる。
もし、我等が崩れ去り、或いは敗れた時、やり方は問わぬ。何としてでも将門を殺せ。それが命じゃ。それまで討死は許さん。
途中で望月殿の陣を抜けるも勝手。それについては望月殿にも話して置く。出来るか?」
「はっ、しかと承りました」
古能代は、秀郷が引き上げるか、或いは次の言葉が有るのかと下を向いたまま待っていた。
秀郷は暫く黙って古能代の様子を見ていた。
秀郷がもう引き上げたかと思って古能代が顔を上げると、秀郷と目が合った。
「但し、手柄は望むな」
「はっ?」
秀郷の言葉の意味が分からなかった。
「例え首尾良く将門を討ち取ったとしても、その手柄は然るべき者のものとなる。
そのほうの手柄とはならんということじゃ。…… どうじゃ、やる気が萎えたか?」
正直、萎えた。
『しかし、考えてみれば、朝廷にその存在を隠し続けている蝦夷の郷の者の手柄を報告する訳には行くまい。所詮、我等はそんな者達なのだ』
そう思った。
「参れ!」
秀郷が奥に向かって声を掛けた。
出て来たのは、髭剃り後の濃い、古能代より幾つか年下に見える若者だった。
「五男の千常じゃ」
秀郷が言った。
「大道古能代に御座います」
千常は「うん」という言葉だけで答えた。
「手柄として朝廷に報告することは無くとも、そのことは麿が覚えておる。そして、もし麿に万一のことが有った時には、この千常が引き継ぐ。どうじゃ?」
何一つ具体的な恩賞を約束する言葉では無い。
秀郷自身からの恩賞として、所領や身分を与えることを、ちらつかせることは幾らでも出来る筈だ。後から惜しくなれば、秀郷の立場であれば、幾らでも惚けることが出来る。
それを敢えて言わず『信じるか?』と言っているのだ。やる価値は有りそうだと思った。
「有り難き仕合せ。身命を賭して、その命に報じる所存に御座います」
「そうか。下がって良い」
「はっ」
将門との最終決戦となった北山の戦い。
「軍使として将門の許に参ってくれ。
『まだ陣立が整わぬゆえ、整うまで待って欲しい』と伝えよ」
と秀郷は古能代に命じた。
言葉はそれだけであったが、古能代に向けられた秀郷の目は、
『将門の面体風貌、しかと目に焼き着けて参れ』
と言っていた。
北山を登りながら古能代は思った。
将門を殺るどころか、吾は間も無く死ぬことになるのではないか?
秀郷は、『将門はそんな男では無い』と言っていたが、例えば、郎等のひとりが興奮しただけでも殺される可能性は有る。
恐ろしく無いと言えば嘘になるが、それは心の持ちようで抑えられる。
だが、ここで死ぬことには悔いが残る。父親への憎しみだけを抱いて、何も信じず、何も目指さず、ただ心の赴くままに生きて来たことに悔いが残る。
五年前、山賊の手から救って貰った出来事以来、父への憎しみは徐々に薄れて来ていた。だが、心を一杯に満たしていた憎しみが薄れると共に、心の隙間が広がって行った。
郷を出たかったというだけで今ここに居るが、他の者達のように『郎等になりたい』と強く望んでいる訳では無い。
ならば、何の為に生きるか、何を目指して行けば良いのか、それが全く無い。だから、死ぬことへの恐怖もそれほど大きく無いのかも知れない。
だが、古能代の心に棘のように刺さっている事がひとつ有った。
もしあの時、支由威手達が賛成していれば、郷が滅ぼされることも承知の上で、国時を殺して出奔し、盗賊になろうと本気で考えたことだ。
父・祖真紀ばかりでは無く、郷の者達全てが殺されても構わぬと思ったのだ。
その底知れぬ冷たさが己の心の奥底に有ることに、今は恐怖を感じている。
やはり、父の子だ。吾も狂っていたのかも知れない。そう思った。
支由威手達四人の普通の若者達の当然の判断が吾を救ってくれた。そう思うと彼等への感謝の気持ちも湧いて来ていた。
あの者達の夢を叶えてやりたい。その想いが、心の隙間をわずかに埋めてくれた。
だから、将門の暗殺を引き受けた。己自身に対する褒美など望んではいなかった。
五~六人の武将格の者が床几に腰を降ろし、その周りを二十人ほどの武者が立ったまま取り囲んでいる。
数を読まれぬ為か、他の兵達は木々の間や反対側の斜面に身を隠すように待機している。
将達の後ろでは、将門の旗印である『繋ぎ馬』を描いた幟や旗が何本も激しく風にはためいており、全ての厳しい視線が登って来る古能代一人に注がれていた。
弓を構えて古能代に向ける者は居なかったが、立っている武者達の全てが、左手でしっかりと太刀の鞘を掴み、いつでも抜ける体勢を取っている。
頂上に着くと古能代は軽く立礼し、すぐさま腰を落として左膝を突き、右の拳を突いて口上を述べた。
「御大将・平将門殿に、主・下野の押領使・藤原秀郷より申し遣って参りました口上を申し上げます」
「待て、下郎。帝の御名を口にすること、罷りならん! 口上は麿が聞く」
そう言って立ち上がったのは、何とも言えぬ風体の男だった。
派手な緋縅の鎧の脇から萌葱色の長い袖を垂らしている。兜ではなく立て烏帽子を被り、顔は女のように白粉を塗った上に、額には短い眉を描き、唇には紅まで引いている。
口を開くと黒く塗られた歯が、白い顔の中に不気味に浮かび上がる。
公家など見たことも無い古能代は、『なんだこの化け物は!』と思った。
もし、化け物で無かったとしても、こんな格好で戦場に出て来る奴は狂人に違いないと思った。
「どうした。苦しゅう無い。麿への直答許す」
他に誰も声を掛けては来ない。
仕方が無い。どうせ皆に聞こえるのだからと思い直して、古能代は続けた。
「誠に見苦しきことながら、我が軍には未だ陣形が整わず、正々堂々の戦いまで暫しのご猶予を賜りたいとの主からの申し出に御座います」
「ふ、何と? 陣形が整わぬと? 秀郷、無様よのう。ほっ、ほっほっほ」
「はっ、はっはっはっ。これぞ天佑神助。こ奴を斬り殺し、今、すぐ総攻撃を掛けましょうぞ!」
立ち上がった武将のひとりがそう叫んだ。
「待て! 忘れたか、宮(現・宇都宮)での戦いの折、秀郷の罠にまんまと嵌ったことを……
秀郷は大狸じゃ、わざわざ『陣形が整わぬ』などと報せて来る処をみると罠に違いない」
もうひとりの武将がそう制した。
「何を言うておる。戦は機が大事だ。幻影に怯えて機を逃すようなことが有ってはならん!」
その時、中央に座っていた将が突然立ち上がった。
「例え罠であったとしても、蹴散らして見せよう。だがな、麿は小狡い戦はせぬ! 暫し待つ。戻って秀郷に早々に陣を敷けと申し伝えよ」
『これが将門か』と古能代は思った。
大男である。引き締まった体に沢瀉威の鎧を着け、兜の下に見える顔は浅黒い。
勇猛そうでありながら、どこか影のある顔。
その姿を古能代は、しっかりと頭に刻み付けた。




