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35 重い心・佐野へ

「急ぎお報せせねばならぬことが起こりましたゆえ、祖真紀(そまき)を同道の上お舘に戻るお許しを頂きたい」 


との朝鳥の口上を携えて、その日のうちに佐野の千常の舘に使いが走った。


 この頃、秀郷(ひでさと)は形の上では隠居して唐沢山(からさわやま)西麓の田沼に舘を建てて引き移り、佐野の舘には千常が入っていたが、実態的にはその影響力を十分に保持していた。


 前年の春、最初に千方が連れて来られたのは佐野の舘だった。


 戻って来た使いの男は、意外な千常の(めい)を朝鳥に伝えた。


祖真紀(そまき)の他、古能代(このしろ)千寿丸(せんじゅまる)、それに夜叉丸(やしゃまる)ら六人の(わらべ)達も同道せよ」


と言うものだった。


「六郎様は兎も角、六人の(わらべ)達も同道せよとはどう言うことか?」


『事の次第を聞いた上なら、(わらべ)達にも旋風丸(つむじまる)のことについて問い(ただ)すつもりということで納得できるが、何が起こったかは伝えていない筈だ。或いは、仔細を聞かれて、この男が喋ったのか?』


「殿に何か聞かれたか?」


 朝鳥が、使いの男に問い(ただ)す。


「いえ、何も…… 。申し付かったことのみお伝えしただけです」


「そうか…… いや、ご苦労であった。戻って休むが良い」


 翌朝、千方、朝鳥、祖真紀(そまき)夜叉丸(やしゃまる)秋天丸(しゅてんまる)、犬丸、鷹丸(たかまる)鳶丸とびまる、竹丸の九人、更に(さと)の男四人を加えた十三人は佐野に向けて出立した。


 (わらべ)達は、初めてこの(さと)を出、しかも佐野の舘に行けるということで心の中は躍り上がらんばかりにわくわくしていたのだが、既に起こった事件に付いて聞かされていたので、務めて静かにしていようとは思っていた。


 しかし、そこは子供、犬丸などは溢れる笑みを抑え切れず誰かに話し掛けたくて仕方が無い。

 一方、夜叉丸(やしゃまる)は自らの高ぶる気持ちを抑えながら、竹丸が何か馬鹿なことを言い出すのではないかと目を光らせていた。


 一行が(さと)の出口の手前に差し掛かった時、秋天丸(しゅてんまる)が馬の歩みを速め、千方に近寄って来た。

 何かと思い千方が顔を見ると、秋天丸(しゅてんまる)は黙ったまま顔を右上に向け、崖の上に視線を投げた。


 釣られて千方が秋天丸(しゅてんまる)の視線の先を追うと、そこには芹菜(せりな)の姿が有った。 


 冷たい風に吹き晒されて着衣が小刻みに揺れる中、岩の上にすっくと立った芹菜(せりな)が千方らを見降ろしている。


 じわっとした何かが、千方の胸を覆った。


『話したかった』と思った。


 事件後慌ただしく、常に朝鳥や祖真紀(そまき)と一緒だったので、芹菜(せりな)とは会っていない。


『話したら何と言ってくれただろうか?』と思った。


『仕方あるまい。それとも、自分が死んだ方が良かったとでも思っているのか? 殺さなければ殺された。ならば、悩むことなど何も無いではないか』とでも言ったか。


 或いは、年頃から言って意外と旋風丸(つむじまる)と親しかったかも知れない。もしそうなら、気持ちはもっと複雑だろう。いずれにしろ、一度話したかった。


 千方はそんなことを考えながら、ぎりぎりまで首を回し、芹菜(せりな)の居る崖の上に視線を送っていた。


 (さと)を出るまでの一行は、(さと)の男二人が先導し、次に朝鳥と祖真紀(そまき)、続いて千方、(わらべ)達、古能代(このしろ)、最後にまた(さと)の男二人という順であったが、いつの間にか祖真紀(そまき)が後ろに下がり、一列でしか進めない(みち)に差し掛かる頃には、古能代(このしろ)の前に居た。


 それに気付いてはいたが朝鳥は、


『麿の(そば)では気が重いだろうし、古能代(このしろ)と話したいこともあろう』


と思い、敢えて声を掛けたりはしなかった。


 千方はと言うと、この(さと)を出ることに余り感慨を覚えてはいなかった。


 この(さと)を出るということよりも、祖真紀(そまき)を出来る限り(かば)いたいという思いを募らせていた。

 その一方で、己自身の心情は(さと)の者を殺してしまったという悔いにさいなまれていたのだ。


 何処に連れて行かれるのか分からない不安な気持ちのまま辿(たど)ったこの路も、逆方向から進むと見える景色も違い、千方には全く別の路のようにも思える。


 武蔵(むさし)に帰る訳では無いので、懐かしさに想いを馳せることは無い。内容は違うが、先が見えないということに於いては、来た時となんら変わらない状況だ。


 細い杣道(そまみち)を進み、崖にへばり付いたような危うい路を抜けて、やっと馬二頭が並んで歩けるほどの道に出た時、祖真紀(そまき)古能代(このしろ)の側に馬を寄せて来た。しかし、何を話し掛ける訳でも無く、黙々と並んで進む。


 やがて、古能代の方から口を開いた。


「死ぬつもりか?」


「う?…… 全て殿のご裁可次第じゃ」


「六郎様にお怪我(けが)は無かったのだ」


「さりとて、旋風丸(つむじまる)を見抜けなかった吾の落ち度は変わらぬ」


「ふっ」


古能代(このしろ)が溜息を突いた。


何故(なにゆえ)そこまで殿に尻尾を振るのかと思ったであろう。

 あれが、佳手由井(かてゆい)では無く(なれ)であったなら、吾が死んでいたであろうな」


 旋風丸(つむじまる)の父・佳手由井(かてゆい)の反逆に触れてのことだ。


「何が言いたい?」


「もし、吾が刀工であったなら、(なれ)は一世一代の傑作よ。ただ、名刀になるか妖刀になるか分からぬ一振りであった」


「太刀には刀工の魂が入ると言うからな」


「そうだ。そのどちらも、元々我が心の中に在ったものだ。それが、(なれ)という形を取った時、吾は愕然(がくぜん)とした。(いと)しくもあり憎くもあった」


「吾は憎いだけであったよ。祖真紀(そまき)という男が…… あの時まではな。…… 

 そう言えば、山賊の洞窟で助けて貰った礼も言っていなかったな」


「ふん。(らち)も無い。礼など、(はな)から期待しておらぬわ」


「やはり、憎たらしい親父だな」


「ふふっ。(なれ)(なれ)らしい祖真紀(そまき)に成れば良い」


御免蒙(ごめんこうむ)る。吾は親父のように、ふたつの己を使い分けたりは出来ぬでな」


「皮肉か?」


「いや、感心している。吾には出来ぬことだからな」


()らざるところ有らば、それを補う者を側に置け。

 夜叉丸(やしゃまる)秋天丸(しゅてんまる)を見よ。夜叉丸(やしゃまる)(なれ)同様口の重い男だが、秋天丸(しゅてんまる)がそれを良く補っておる。六郎様の良き両腕となろう。(わらべ)ながら見習うべき処は有る」


「吾は祖真紀(そまき)などに成るつもりは無い。まだ、当分やって貰う」


「ふん。何様のつもりでおる。それをお決めなさるのは殿じゃ」 


 祖真紀(そまき)は、古能代(このしろ)の意外な物言いに、(あき)れたという表情を浮かべながらも、胸に詰まるものを感じていた。


 古能代(このしろ)は『吾にはまだ、殿に少しばかりの貸しが有るははず』と思った。


 貞盛(さだもり)秀郷(ひでさと)を頼って来た少し後、古能代(このしろ)達は秀郷(ひでさと)に呼ばれ、佐野の舘に行くことになった。




 (さと)を出て、既に十年の歳月が経っていた。この頃には、古能代(このしろ)ばかりでなく、他の若者達もすっかり、郎等としての言葉遣いや所作を身に着けていた。


 名が与えられたのはその五年ほど前のことだ。

 つまり、(さと)を出て五年を過ぎた頃には、古能代(このしろ)達五人には、既に郎等の装束も支給され、和名も与えられていた。


 支由威手(しゆいて)大道国影(おおみちくにかげ)沙記室(さきむろ)駒木時影(こまきときかげ)。いずれも国時の一文字を上に頂いた名だ。


(なれ)は一番手を焼かしおったが、何故か憎めぬゆえ、我が名の上の文字を呉れてやるわ」


 国時は支由威手(しゆいて)にそう言った。


「我等は親父殿の影と言う訳ですかな?」


 支由威手(しゆいて)(おど)けて聞いた。


「不服か?」


「いや、なんの。天にも登る気持ちで御座ります」


「ふん。良くぞ申すわ」


 悪童であった支由威手(しゆいて)でさえそれなりに成長し、国時ともそんな会話が出来るほどに打ち解けた関係になっていた。


 摩射手(まいて)広表忠影(ひろおもてただかげ)威手李裡(いていり)には広岡義影(ひろおかよしかげ)という名が与えられた。


 だが、古能代ひとりは、


「吾の名は、大和(やまと)風の名に聞こえぬことも有りませぬゆえ」


と命名を辞退した。


 名を貰い、衣装を与えられたとは言っても、その時彼等が正式に郎等として認められたという訳では無く、郎等扱いとするということでしかなかった。


 郎等の格好をして(おおやけ)の場に出ることも無く、やることと言えば、相変わらず盗賊の探索である。

 郎等の装束に袖を通してはしゃいでみたりしていたのは数日で、その後は、装束は仕舞い込まれ、(もっぱ)ら、一緒に支給された忍び装束を着ることになった。

 探索の仕事にはその方が好都合であったからだ。


 また、彼等はお互いを、相も変わらず蝦夷名(えみしな)で呼び合っていた。


 だが、仕事の内容が少し変わって来ていた。相手が少数の時は、探索だけで無く、急襲し捕縛したり、抵抗する者を斬り捨てたりすることも彼等自身で行うようになっていたのだ。


 古能代(このしろ)達はいつか賊達の間で恐れられる存在になっていた。


 そこで分かったことが二つ有る。

 一つは、"賊"と言っても、いわゆる山賊ばかりでは無く、大規模な盗賊の多くが輸送を生業(なりわい)とする業者であったり、土豪であったりすること。もうひとつは、押収した盗品の多くが秀郷(ひでさと)(ふところ)に入って行くと言うことだ。


 最近盗まれた物や、親しい者から訴えのあった盗品は持ち主に返してやるが、それ以外の物は、ほんの一部を国衙(こくが)に納めるだけで、後は殆ど秀郷の(ふところ)に入ってしまう。


 持ち主に返してやったものも、礼としてその一部が戻って来る。


 盗賊退治に力を入れるのは、(じょう)としての職務と言うよりも実利であり、この収入こそが、|秀郷《ひでさと

》の力の源泉のひとつとなっているからだ。


 正に盗人の上前を撥ねる所業であるが、再三述べた通り、それが当たり前の時代であった。

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