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33 旋毛丸 1

 年の瀬が近付いていた。


 千方にしてみれば、いきなりこんな山郷(やまざと)に取り残されて心易(こころやす)い者とて居ない。

 のんびりと育っていた身が、筋肉痛になやまされながら弓や乗馬や太刀打たちうちの毎日。不安も大きく、気が()入ることも多くあった。

 だが、千方は持ち前の適応力でそれを乗り切った。


 朝鳥との多少の心の葛藤は有ったにしても、郷人(さとびと)達にも好意的に受け入れられ、まずは平穏(へいおん)な毎日ではあったと言えよう。


 半年を過ぎる頃には、古能代(このしろ)や朝鳥と稽古するよりも(わらべ)達と過ごすことが多くなっていた。


 狩や川遊びもしたが、太刀打(たちう)ちの稽古も(わらべ)達とすることがあった。


 千方自身驚いたことであったが、(かな)わないと思っていた夜叉丸(やしゃまる)秋天丸(しゅてんまる)とも、いつの間にか互角に戦えるようになっていたのだ。


 最初は遠慮しているのかと思ったが、千方が勝った時、負けず嫌いの秋天丸(しゅてんまる)が悔しがる(さま)を見ているとまんざらそうでもないらしい。

 夜叉丸(やしゃまる)の鋭い打ち込みも十分に受け止められる筋肉が千方には付いていた。

 乗馬と弓についてはそう一朝一夕(いっちょういっせき)に皆に追い付くことは出来なかったが、随分(ずいぶん)と腕は上げていた。


 何度目かの狩に行った時のこと、上から見ると絶壁としか思えない所を乗馬のまま下ると言う。


 もちろん、実際には絶壁と言うほどでは無い。

 スキーで初めて高いところに連れて行かれ、下を見るとまるで垂直の崖に見え、こんな所を下ったら転げ落ちるのではないかと思った経験を持つ人も多いと思う。そのように、上から見ると斜面は実際よりかなり急に見える。

 その為、下を見た千方の心に恐怖心が生まれた。それを敏感に感じたのか、馬も落ち着きが無い。


『無理だと言ったら皆はどう思うだろうか?』


 そんなことを思っていると、


「馬に任せて下さい。馬はこのくらいの所は何度も下っています。馬とて転げ落ちたくは無いからちゃんと下ります。


 無理に操ろうとすると馬が(おび)えてとんだことになります。


 馬を信じて気持ちを楽に持って下さい。(あと)は、前に転げ落ちぬよう背を思い切り反らしていれば良いのです」


 秋天丸(しゅてんまる)が、そう言ってくれた。


「そうか。分かった」


 恐怖心が消えた訳ではないが、みっともない姿を(さら)す訳には行かない。

 言われた通りにして、それで落ちたらそれはその時のことだ。そう腹を決めて大きくひと呼吸すると、千方は、馬を落ち着かせる為に首の辺りを何度か軽く(たた)いてやり、


「頼むぞ。この命(なれ)に預けた」


と言った。


 夜叉丸(やしゃまる)が先頭を切って下り、他の(わらべ)達が下って千方と秋天丸(しゅてんまる)が残った。


「さ、行かれませ。吾が見届けます」


 秋天丸(しゅてんまる)が笑顔で言った。


「うん。着いて参れ。秋天丸(しゅてんまる)、遅れるでないぞ」 


 秋天丸(しゅてんまる)は吹き出すのを(こら)えて、吐いた息で「ははっ!」と答えた。


 そんな冗談が通じるほど(わらべ)達とは馴染(なじ)んでいたし、何と無く主従の雰囲気が出来上がりつつあった。


 芹菜(せりな)のことも含めて全てが上手く行っていた。


『三年の間、千寿丸(せんじゅまる)をこの(さと)に預ける』


と言う千常の言葉を聞いた時の衝撃など今はすっかり忘れて、千方はこの(さと)での毎日を楽しんでいた。

 辛いことと言えば、冬となると、武蔵(むさし)より冷たいこの(さと)の風くらいのもので、他に(うれ)いることなど何も無かった。


 鍛練のきつさは、すでに千方の中で快感に変わっていた。  


   

 だが、ひとの人生に於いて良いことばかりが続くことは無い。順調に行っていると思っている時に限り思わぬ災難が突然降り掛かって来たりするものだ。

 それが大きいことか小さいことかを問わなければ、むしろ、災難は必ずやって来る。


 千方は時折ひとりで郷中(さとなか)気儘(きまま)に歩くことがあった。


 山や(やぶ)に分け入る時、草や小枝を払うのに必要だから蕨手刀(わたびてとう)を一本腰にぶら()げている。だが、身を守る為にという意識は全く無かった。

 この(さと)の中で、千方に危害を加えようと思う者など居る筈も無かったし、外部から誰かが入り込んで来る心配は無い。


 危険と言えば崖から落ちたり山で迷ったりする地形的なものか、猪や熊に襲われることくらいだろう。それらに付いては、千方も十分に注意し、決して無茶な行動は取らなかった。

 勝手知ったる範囲を、気儘(きまま)に歩き廻るだけである。


 或る日、山中の小路をぶらぶらと歩いている千方の前にひとりの(わらべ)が立ち塞がった。


 いや、(わらべ)と言うよりもはや大人と言っても良いかも知れない。

 千方達とて、もう元服しても良い歳頃である。やはり、(わらべ)と言う表現は当たらないかも知れない。


 その千方よりひとつかふたつ年上と見える男には、七か月程前、千方がこの(さと)に来た時一度会っている。

 その時でさえ、旋風丸(つむじまる)はひとり飛び抜けて大人びて見えた。その後、(わらべ)達と過ごすことが多くなってからも、旋風丸(つむじまる)の姿をその中に見ることは無かった。もはや(わらべ)達と遊び廻る歳では無いのかも知れないと思っていた。


 急に現れた旋風丸(つむじまる)に、一瞬千方は驚いたが、すぐに笑顔を作った。

 しかし、旋風丸(つむじまる)は無表情のまま千方の前に立ち塞がっている。


一瞥(いちべつ)以来じゃのう。何をしておるのか?」


 千方の問いに旋風丸(つむじまる)は鼻で笑った。


(なれ)を待っていたのよ」


「用が有るのか?」


「有るとも。(なれ)がこの(さと)に来てより、ずっとこの機会を待っていた。殺す為にな」


 瞬間、千方は身構えた。


 ふざけているのか、本気で言っているのか、それを判断しようと千方は目まぐるしく頭を回転させていた。


「何と申した?」


 探るように言った。


「ふっ」 と笑うと、旋風丸(つむじまる)蕨手刀(わらびてとう)を無言で抜き放った。


「待て! 訳を言え。麿に何か恨みが有るのか? 申せ!」


(なれ)などに恨みは無い。(くや)しいが秀郷(ひでさと)千常(ちつね)には近寄ることも出来ん。身代わりになれ!」


「どういうことだ。父上や兄上に恨みが有ると申すのか?」


「一番殺したいのは祖真紀(そまき)だ。


 だが、それも、今の吾ではどうにもならん。


 …… 吾の(てて)はな、秀郷(ひでさと)に尻尾を振った祖真紀(そまき)に殺されたのじゃ。


 日高見民(ひたかみのたみ)の誇りを失うなと言う先祖の言葉を忘れ、秀郷(ひでさと)の飼い犬に成り下がった祖真紀(そまき)を、吾は絶対に許さん。(てて)を殺した祖真紀(そまき)を許さん! 


 秀郷(ひでさと)や千常や祖真紀(そまき)に手を出すことは出来んが、(なれ)を殺すことは出来る。

 (なれ)を殺せば祖真紀(そまき)も只では済まんだろう。それが、吾に出来る精一杯のことだ!」


 言い終わるや否や、旋風丸(つむじまる)は凄まじい勢いで千方に斬り掛かって来た。


 咄嗟(とっさ)に身を(かわ)した千方も蕨手刀(わらびてとう)を抜いて構えた。


 千方に(かわ)された旋風丸(つむじまる)は一瞬身を泳がせたが、すぐに体勢を立て直して、また斬り掛かって来た。


 もはや、ものを考えている暇など無かった。


 二太刀目を払って、そのまま旋風丸(つむじまる)(ふところ)へ飛び込んだのは覚えている。

 気が着くと、腹を斬り裂かれた旋風丸(つむじまる)足許(あしもと)に倒れていた。


 血に染まった旋風丸(つむじまる)の腹の傷口からは、内臓が僅かに飛び出している。千方の頭の中は真っ白になっていた。 


 旋風丸(つむじまる)が現れてからあっと言う間に起こったことが、幻覚なのか現実なのかも判断が付かない。


 茫然としていた時間がどのくらいだったのか千方には分からない。


 やがて風の冷たさに、はっとして我に返った時、蕨手刀(わらびてとう)が自然に手から離れ地に落ちた。夢中で反応しただけで、殺そうと思って斬り掛かった訳では無い為か、手指の硬直は起こっていなかったのだ。その代わり、体中が小刻みに震え始めた。


 それが、恐怖心に寄るものなのか寒さに寄るものなのかも分からない。


 はっとした千方はしゃがみ込んだが、目に飛び込んで来た旋風丸(つむじまる)の腹の傷口と飛び出している内臓から目を背け、旋風丸(つむじまる)の顔を覗き込むようにして、


「しっかりしろ!」


と叫んだ。


 旋風丸(つむじまる)(うめ)いているだけで言葉にはならない。


 周りを見回したが、元より誰も居ない。


 千方は混乱していた。無理も無い。あとひと月足らずで十五に成るとは言え、まだ子供だ。古能代(このしろ)でさえ十七に成ってから始めて経験したことである。

 まして、古能代(このしろ)の場合、相手は山賊であったが、襲われたとは言え、千方が斬ったのは、顔見知りのこの(さと)の者だ。 


 今どうするべきかも分からない。大量の血と傷口からはみ出した内臓が目に焼き付いて離れない。千方は激しく嘔吐(おうと)した。


 旋風丸(つむじまる)(うめ)き声が耳に付いて離れない。這うようにして、襲われた杣道(そまみち)から下の道に下りた。


「誰か()らぬか! 誰か()らぬか!」


 千方は声を限りに叫んだ。


 畑から五人ほどの男女が飛び出して来た。


「あんれ、六郎様、どうかなせえましたか?」 


 三十代と見える男が聞いた。


古能代(このしろ)を呼んでくれ、頼む」


「お召物に血が付いているではねえですか。何がお有りになった?」


「襲われて人を斬った」


「えっ! 襲われなさったと? 一体、誰に?」


 男は、千方が人を斬ったと言うことよりも、襲われたということに強く反応した。

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