30 伽に来た娘
秀郷は将門という男に付いて考えていた。
「単なる愚か者かも知れぬ。たまたま今回の戦には勝ったが、いず潰れされるだろう」と思った。
源護の三人の子息を悉く殺してしまったのだ。護は大きな痛手を蒙ったろうが、何としても将門を討とうとするに違いない。
前常陸大掾として隠然たる力を保持していた男だ。その上、国香、良兼、良正、この三人の将門の伯父達は揃って護の娘を妻としている。
高望王(平高望)の子達でさえ、護の力を必要とした結果だ。
上野、常陸、上総の三国は親王任国である。筆頭官は守では無く太守と言う官職として必ず、天皇の子である親王が補任される。
上野、上総と共に親王任国である常陸国の大掾という役職は、他国で言えば介に相当する官職である。
退任後もその影響力を残していた。
太守は当然、遥任として現地には赴任しなかった為、実務上の最高位は次官の介であった。大掾はそれに次ぐ役職ということになる。
その上、同じ皇孫と言っても、源氏と平氏とでは格が違う。
源氏は天皇の子又は孫が臣籍降下したものであるのに対し、平氏は三世以降の王と呼ばれる皇孫が臣籍降下したものである為だ。
中でも一字名源氏は、初めて臣籍降下した嵯峨源氏か次の仁明源氏のうち、一世が臣籍降下した者に限られる。
仁明源氏のうち二世が降下した者の中に一字名は居ない。
数が多くなりその有難味が薄れその身分も低く成りつつあった皇孫の中でも、一字名源氏は貴種と見られていた訳だ。
だから、常陸、下総、上総に勢力を広げつつあった平高持望の子らも、進んで護との縁を結んでいたのである。
良兼、良正の二人にしてみれば、この度の戦で護の相婿である長兄の国香をも失っている。
護に対する義理からも将門を討たない訳には行かないだろう。
『なぜ護の息子達は将門を襲ったのか?』
秀郷がそんなことを考えている時、置いてある襖(板状の衝立の両面に裂地を張着けたもの)の陰から、
「お邪魔しても宜しゅう御座いますか?」
という女の声がする。
「誰か?」
と問うと、
「久稔の娘・露女と申します」
と答えた。
『他人を近付けるなと申して置いたのに』
と思うが、久稔の娘とあらば、追い返す訳にも行かない。
襖をずらして見ると、女がひとり平伏している。
「何用かな?」
こんな時刻に女がひとりで来るからには、その意味は分かっているが、そんな気にもならないので敢えて尋ねた。差し障りなく帰したかった。
「伽に罷り越しました」
面を伏せたまま、露女は答えた。
「うん。それは忝い。じゃが、情けないことに、寄る年波でのう。少々疲れておる。今宵は早く休ませてもらえぬか? 久稔殿にもそのように伝えてくれ」
「それならば、お背中などお擦り致しましょう。お疲れも取れると思いますが……」
「うん? 有り難いがそれには及ばぬ。寝れば疲れも取れる」
「それでは役目が果たせませぬ。お休みになられるまで、どうか……」
『これ以上断ると角が立つな。確かにこの娘の面子も有ろう。酒も入っていることゆえ、そのうち寝てしまえば良い。
例え眠れなくとも、寝た振りをすれば良いか』
秀郷はそう思った。
「分かった。ならば、背など擦って貰おうか」
「有り難き仕合せに御座います」
そう言って面を上げた露女の顔を見て秀郷は驚いた。夕暮れ時の猫のような大きな目で、まっすぐに秀郷を見ている。
普通の男なら思わず目を剥いて声を出してしまう処だ。だが、さすが大狸の秀郷、眉ひとつ動かさず物憂げに、
「頼む」
とだけ言って腹這いになった。
「では、失礼致します」
そう言って躙り寄る。
露女は秀郷の背に手を掛けた。声は艶の有る良い声である。
『この女何なのだ』
と秀郷は思っていた。生まれ持った顔は仕方無いとしても、仮にも伽に出るのに、紅も引かず白粉ひとつ塗っていない。己の欠点を隠そうともしていないのだ。その心根が分からない。
元来、露女は色白なのだが、白粉を塗らない顔は、夜には黒ずんで見える。何を思ったか、そんな素顔で秀郷の前に出た。
だから秀郷は、『その心根が分からない』と思ったのだ。
元々、今、女子を抱きたいと思って居る訳ではないから『まあ良いわ』と思い、考え事をしながら寝てしまおうと思った。
しかし、背を揉む力が意外と強い。下手では無いのでそれなりに気持ち良いのだが、いわゆる”痛気持ちいい”というやつで、眠るには差し支える。
「もそっと緩くても良いぞ」
「痛う御座いますか?」
「いや、そういうことでは無い」
「殿、ひとつお聞きしても宜しう御座いますか?」
「何じゃ」
「先日、常陸国で平将門とか言う方が、前常陸大掾様のご子息らに待ち伏せを受け、逆に討ち取ってしまったということですが、何故ご子息方は将門殿を討とうとされたので御座いましょう?」
「なぜ、そんなことを聞く? 久稔殿に聞いたのか?」
「いえ、父から聞いた訳では御座いません。噂を耳に致しました」
「女子の身で戦などに興味が有るのか」
「戦に興味がある訳では御座いません。聞けば、将門殿の伯父方は皆、前常陸大掾様のご息女を妻としているそうですが、その方々が将門殿に討たれた訳でも無いのに、なぜ御子息方は将門殿を討とうとされたのか、それを不思議と思うただけです」
『う?』
と秀郷は思わず声を出した。実は秀郷もそれを不思議に思い、調べさせていた処なのだ。
『待ち伏せを受け逆に討ち取ったということは、将門側も武装をしていたということだ。
では、なぜ将門は、武装して下総から常陸に向かったのか?
水守(現・つくば市)に住む伯父の良正を攻めようとしていたのか? 野本では方向が違うだろう。
又、それを防ごうとして待ち伏せたと言うには、扶達、護の子らが三人揃って将門を待ち伏せ討ち取ってしまおうとする動機としては弱い。
それに、将門と伯父達の関係はそこまで悪化していたとは思えない。
やはり、平真樹が絡んでいるに違いない』|秀郷はそう考えていた。




