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28 身代わりの申し出

 義重(よししげ)は考えていた。 


「お舘様ほどの目先の利く方が何故(なにゆえ)あのような無謀なことを考えられるのか」


 下野(しもつけ)の国府が手を出せなかったと言っても、それは下野(しもつけ)の中に居てのこと。一歩、下野(しもつけ)を出れば何が起こるか分からないではないか。

 (とし)のことは目を(つぶ)るとしても、もし、千早(ちはや)秀郷(ひでさと)と一緒にいるところを捕えられればどうなるか分からない。(るい)は自分ばかりで無く、久稔(ひさとし)にも及び草原(かやはら)が滅ぶということにも成り兼ねないのだ。  


「一体何を考えておられるのか?」


 どうにも気が進まない。


『だが、断ることは出来る』と思った。露女(つゆめ)が替わりたいと申し出ているからだ。


 あくまで辞退したとしても角は立たないだろう。だが、草原(かやはら)が危険に(さら)されることに変わりは無い。どう考えても無謀だ。そんな危険を冒して何の得が有るのか。


 父や伯父にも相談してみたいと思ったが、秀郷(ひでさと)(おとな)うことは例え身内であっても口外する訳には行かない。娘のことはさて置き、無謀なことはやめるよう諫言(かんげん)すべきかも知れない。そう思った。


 土間で奴婢(ぬひ)と共に夕餉(ゆうげ)の支度をしていた千早(ちはや)が、膳を持って上がって来た。


「お父様。何か浮かぬ顔をしておいでですね。新田の開発に何か(さわ)りでも出たのですか?」


 腕組みをして考え込んでいる義重(よししげ)に言った。義重(よししげ)の住まいは、久稔(ひさとし)の舘近くに有る掘立式の建物だ。妻と二人の娘は出掛けていた。 


 (ちな)みに、掘立(ほったて)式とは、礎石を用いず、土にじかに柱を埋め込む建て方である。瓦を載せた重い建物などをこの方式で建てたら、たちまち歪んでしまう。萱葺(かやぶき)板葺(いたぶき)であれば何とか持つ。しかし、柱が根腐りする為耐用年数は短い。柱の根本には松脂(まつやに)を塗って腐食を防ぐが完全に防ぐことは出来ない。


 都の基準では、それなりの者の家の敷地は一戸主(へぬし)という単位で約百三十六坪(四百五十平方メートル弱)ほどの広さがある。


 田舎で都の公卿(くぎょう)のような豪邸を建てる者など居る訳もないが、土地自体は容易にに手に入る。だから、敷地面積だけを比べれば、土豪の舘も公卿達に負けては居ないが、建物は比べるべくも無いほど粗末なものである。


 義重(よししげ)くらいの郎等の住まいとなると、敷地も狭く三分の一ほどである。

 それでも、現代の庶民の住宅と比べれば広いと言えるし、竪穴式住居たてあなしきじゅうきょが主流の地方に於いては良質な住まいではある。


   

 古代には、この辺りまで海が入り込んでおり、それが退()いた後も武蔵(むさし)には多くの河川や湿地が残ったため東西の交通が困難であり、北の東山道(とうさんどう)から南下せざるを得なかった。その為、武蔵(むさし)は北から開けた。


 和銅(どうわ)三年(七百十年)頃、武蔵国造むさしのくにのみやつこの乱で献上された南部、多氷(おおひ)(現・東京都府中市)に国府が置かれた。


 当初は水上交通が中心で、陸路が整備されていなかった為、比較的交通が発達し大国であった毛野国(けぬのくに)を経由する東山道(とうさんどう)に属し、東山道武蔵路(むさしじ)が設けられたのだ。


 宝亀(ほうき)二年(七百七十一年)十月二十七日に、


東山道(とうさんどう)の派遣官吏が上野国(こうづけのくに)武蔵国(むさしのくに)下野国(しもつけのくに)と経由するのは日程が延びて非効率だが、これを東海道に属させて相模(さがみ)、|武蔵、下総(しもうさ)と経由すると効率的である』


との旨の太政官(だじょうかん)の奏上を受け天皇が宣下(せんげ)し東海道に移され、陸路が整備された。


 そんな訳で、武蔵(むさし)の中では早く開けたことと湿地が多いことで、草原(かやはら)の辺りには、他の地区と比べて、竪穴式住居たてあなしきじゅうきょよりも掘立高床式住居ほったてたかゆかしきじゅうきょの方が多くあった。


 義重(よししげ)の住まいもそうした中の一軒であり、僅かだが自前の田畑を持ち奴婢(ぬひ)を抱えている。


    


「う? いや違う。開発は上手く行っている」


 義重(よししげ)は不意を突かれて我に帰った。


「では、何を?」


「いや、さしたることではない。案ずるな」


「でも、そんな顔をされていては、お母様も心配します。どうぞお話し下さい」


 微笑みながら話す千早(ちはや)の顔を見ながら、


『この娘には誰よりも幸せになって欲しい』


と改めて思った。


「何、(なれ)の婿には誰が良かろうかと考えておったのよ。都の左近衛少将さこんえのしょうしょう辺りではどうかとな」


 (おどけ)けてそう言ってみた。


「まあ、途方も無いことを…… 。起きたまま夢を見ておられたのですか? 吾はお父様のような真面目で働き者…… そういう(かた)がいい」


「ふ、吾が真面目(まじめ)で働き者? そう思ってくれておったのか」


 娘の目からはそう見えていたのか。義重(よししげ)は照れ笑いをした。


   

 翌朝早く、義重(よししげ)久稔(ひさとし)の部屋に行った。()(えん)に控え、


「早朝より申し訳御座いません」


と声を掛けると


「入れ」


 すぐさま返事が有った。


 義重(よししげ)の表情をひと目見た久稔は、先手を打った。


「実は、水深(みずふか)の田のことじゃがな。(なれ)にやろうと思う。千早(ちはや)を養女にするとなれば、その実父であるその方も身内じゃ。それなりの体裁(ていさい)を整えてやらねばならぬでのう」


「いえ、そのようなお気遣を頂いて…… 、 

 その、(はなは)だ申し上げ難い事ですが……」


 久稔(ひさとし)はすぐに察した。


「…… 断りたいと申すか?」


 義重(よししげ)の顔を見て、静かにそう言った。


「娘のことはさて置き、秀郷(ひでさと)様ご宿泊のこと、お考え直しては頂けませんでしょうか?」


何故(なにゆえ)?」 


 義重の懸念は分かっていたが、久稔(ひさとし)は敢えて尋ねた。


「危険過ぎます」


「ほう……」


下野(しもつけ)の国府が、この武蔵(むさし)を始め近隣諸国からの応援を得て、秀郷(ひでさと)様を二度に渡って捕えようとしたが果たせなかったことは承知しております。   

 確かに秀郷(ひでさと)様はそれ程のお方なのでしょう。ですが、追討の官符は取り消された訳では御座いますまい。


 下野守(しもつけのかみ)様とて、ほとぼりが冷め、秀郷(ひどさと)様に油断が生じれば、それに乗じて一挙に汚名挽回を図りたいと思われるのは当然でしょう。


 下野(しもつけ)を出るということはその油断ということになりませんでしょうか?」


「もっともな考えじゃな。だがひとつ聞く。


『油断が生じれば、それに乗じて一挙に名誉挽回を図りたいと思うのは当然』


と申したが、下野守(しもつけのかみ)様がそう考えるということを秀郷(ひでさと)様は全く予想しないでいると思うか? 

 そのほう、今『当然』と申したが、そのほうでさえ当然と思うことを考えぬほど、秀郷(ひでさと)様は(うつ)けと思うか?」


「いえ、滅相も無い。そんなこと思うてもおりませぬ。出過ぎたことを申しまして申し訳も御座いません」


「そのほうに言われるまでも無く、吾は二千もの民の命と暮らしを預かっている身じゃ。

 目先の欲や思い着きでことを決めたりはせぬ」


「水争いや、境界での小競(こぜ)り合い、浮浪人を(めぐ)っての揉め事など確かに御座いますが、この草原(かやはら)が何か大きな危機に直面しているということも御座いません。では、何故(なにゆえ)今?」


「誰もが危ないと思うようになってから考えるのでは遅いのだ。色々なことを見聞きし、何が重要で何が些細なことであるかを判断し、この先何が起こるかを見通さねばならん。

 それが出来なければ滅びる。自ら手を打たねば誰も助けてはくれぬ。それが、今の坂東じゃ」


「では、何か今お心に掛かることでも?」


「いや、しかとは分からぬ。或いは取るに足らぬことかも知れぬ。だが、気になることが有る。常陸(ひたち)下総(しもうさ)辺りにな……」


   


 既に承平(じょうへい)の乱が始まっていた。


 この月、即ち二月二日。平将門(たいらのまさかど)(さきの)常陸大掾(ひたちのだいじょう)源護(みなもとのまもる)の子・(たすく)らに常陸国(ひたちのくに)真壁郡(まかべごおり)・野本(現・筑西市)にて襲撃された。


 将門(まさかど)はこれを撃退し扶らを討ち死にさせ、そのまま大串(おおぐし)取手(とりで)(現・下妻)から護の本拠である真壁郡(まかべごおり)へ進軍して護の本拠を焼き討ちし、その際、叔父の国香(くにか)を焼死させていた。

 ただ、まだこの段階では身内の争いに過ぎない。他国の騒ぎと済ますことも出来る状況だった。


 だが、その騒ぎを起こしているのが、他ならぬ村岡五郎(平良文(たいらのよしぶみ))の一族であることが問題だった。


 良文(よしぶみ)従五位下(じゅごいのげ)位階(いかい)を持ち、この時、陸奥守(むつのかみ)の任に()ったと言われる。動員出来る兵力は五百に上り、草原(かやはら)の倍である。

 その上、ほとんど本格的な戦いを経験したことの無い草原(かやはら)とは違い、実戦の経験も豊富だ。良文(よしぶみ)が急遽帰国して騒動に介入するようなことになれば…… 。


 久稔(ひさとし)の話を黙って聞いていた義重は居住(いず)まいを正し、


「いやはや、深いお考えも知らず生意気なことを申しました。お許しください」


と言ったが、続けて、


「…… ですが、千早(ちはや)の養女の件に関してはご容赦願えませんでしょうか。

 ひとは分相応(ぶんそうおう)に生きるのが仕合わせなのではないかと…… 夕べ娘に教えられました」


と切り出した。


 久稔(ひさとし)義重(よししげ)の顔を見詰めながら暫く黙っていた。


 そして、やがて言った。


「話したのか?」


「いえ、何気無い話の中で娘の心が分かりました。申し訳御座いませぬ」


 義重(よししげ)(ひたい)を床に擦り付け、そのまま動かない。(しばら)くして、久稔(ひさとし)はふ~っと長い息を吐いた。


「分かった。気に()むことは無い。今まで通り勤めてくれ。新田(しんでん)のこと頼むぞ」



 朝餉(あさげ)の世話をする露女(つゆめ)の横顔を、久稔(ひさとし)は眺めていた。


 多少、刎返(はねっかえ)りの処は有るが、良き娘だと思う。良く働くし、良く気が付く。

 気の強いところはたまに傷だが、どうしようも無いという程では無い。

 だが、そう思ってくれる男がどれほど居るだろうか? やはり女子は見栄(みば)えが物を言う。そう思って見ていると、


「父上、麿の顔に何か付いておりますか?」


「いや、何」


義重(よししげ)が断って来たのでは御座いませぬか? 千早のこと」


何故(なにゆえ)そう思う?」


女子(おなご)とは良く喋るもので御座います。

 特に女子(おなご)同士では、殿方(とのがた)(かしま)しいと眉を(ひそ)めるほどで御座います。

 (らち)も無いことをとお思いでしょうが、話せば相手のことが分ります。千早(ちはや)とも良く話しますので、父上よりは千早のことが分っております」


「千早が断ると読んでおったということか?」


千早(ちはや)のことばかりではなく、千早の言葉を通して、父上がご存じ無い義重(よししげ)の顔も見えます」


「ふん、生意気なことを申す」


と久稔は言ったが、


『この娘、ひとの心を読む目はやはり持っておるな』


と思い、弟の豊地になぜその才が無いのかと残念に思った。


何故(なにゆえ)身代わりを申し出た」


「ほほほ。身代わりでは御座いませぬ。むしろ、千早(ちはや)を身代わりにしようとなされたのでは…… 。父上のお考えをお助けする為に働かなければならぬのは麿で御座いましょう。千早(ちはや)は無関係で御座います」


「自信は有るのか?」


「はい、御座います」


『本当か?』


久稔(ひさとし)は思った。


 他のことなら兎も角、男女のことにこの娘が通じているとはとても思えなかった。


「嫌ではないのか?」


「男とて、初めて(いくさ)に行くのに怖いと思わぬ者はおりませんでしょう。女子(おなご)に出来る戦いで御座います」

 

女子(おなご)に出来るいくさか? 

 …… 討死覚悟ということか……」


「いえ、死んでは何にもなりませぬ」


 意気込んでいた久稔の高揚感が下がり気味なのは仕方の無いことだった。だが、もはや露女(つゆめ)で行くしか無い。そう腹を決めて秀郷(ひでさと)に使いを出した。


 しかし、秀郷(ひでさと)の狙いは何か読み兼ねていた。


何故なにゆえ、今……』


 半時(はんとき)も考え込んでいた久稔(ひさとし)だったが、突然、


「そうか、やはり」 


と声に出して言った。


「高柳三郎はおらぬか!」 


 久稔(ひさとし)の声が舘の中に響いた。

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