表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/74

26 露女 1

 その後も千方は芹菜(せりな)との逢瀬(おうせ)を重ねていた。


 芹菜(せりな)は変わったかと言うとそうでもない。相変わらず男言葉を使い、相手が誰であろうと言いたいことを言っている。そして良く働く。

 だが、()いて言えば、ぎすぎすした雰囲気が取れて、人柄に丸みが出て来たと感じる者は多くなって来ていた。


 芹菜(せりな)と千方は、誰も知らぬことだと思っていたが、そう思っているのは当人達だけで、実は(さと)中の者が知るところとなっていたのだ。


『もう誰もおらん』


と言った芹菜(せりな)の見方は間違ってはいなかったが、前後の状況を聞けば、誰も推測が出来ることであったのだ。


 だが、それを悪く取る者は無く、芹菜(せりな)揶揄(からか)う者すら居なかった。

 誰がと言うことでは無く、この(さと)の娘の誰かが、千方の種を宿すこと、と言うよりも秀郷(ひでさと)の血を引く子を生むことはこの(さと)に取って願ってもないことだったからである。


 もし、その子が生まれれば(さと)全体で守り育てることになるだろう。郷人(さとびと)の誰もがそれを歓迎している。

 それは、この(さと)の将来と安全の保障に大きく関わって来ると思われるからである。

 蝦夷(えみし)とは、それほど不安定な環境に置かれた人々とも言えるが、実は、大和人(やまとびと)とて、力有る者に頼らなければならないという点に於いては大差無い状況にあった。


 現に千方の母の実家である草原(かやはら)氏もそんな不安定な環境の中に在った。


 元々草原(かやはら)(さと)の辺りは、古代より土師(はじ)氏の支配する地域であった。


 土師(はじ)氏はその名が示す如く、土師器(はじき)と呼ばれる弥生式土器の生産を生業(なりわい)とした氏族である。

 草原(かやはら)の辺りにも(いく)つもの(かま)を持ち勢力を誇っていたが、次第に品質的に上の須恵器(すえき)に取って替わられ、勢力を失って行った。


 そんな頃、|土師氏の南に居た私市(きさいち)氏が勢力を伸ばし始めた。


 私市(きさいち)とは元々皇后の生活費を賄う為の部曲(かきべ)である。


 敏達(びたつ)天皇の頃、豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)が皇后になってから、皇后領として皇后の為の部曲(かきべ)として私部(きさきべ)が設けられた。

 大和と結ばれる磐船(いわふね)街道筋に有り、現在の大阪府・交野市(かたのし)の辺りである。


 この私市部(きさいちべ)から出た日下部黒山(くさかべのくろやま)が、坂東に下り、この地(現・埼玉県大里郡さいたまけんおおさとぐん)付近を私市(きさいち)と名付けた。


 私市(きさいち)氏は鷲宮神社(わしみやじんじゃ)(現・久喜市鷲宮)を氏神とし大田郷(おおたごう)に勢力を扶植して行った。


 私市(きさいち)氏は埼玉郡(さいたまごおり)草原(かやはら)(現・埼玉県加須(かぞ)市中央)の辺りに文字通り草刈り場を確保するようになるが、六代目・則家(のりいえ)の弟・忠家(ただいえ)私市(きさいち)氏から別れ草原(かやはら)氏を名乗り、この地に定住した。


 草原(かやはら)氏は次第に土師(はじ)氏を東に追いやり、この地を治めるようになった。従って、草原(かやはら)氏は後の私市党(きさいちとう)の一角を成す氏族ではあるが、千方の祖父・久稔(ひさとし)の代には本家・私市(きさいち)氏との縁も薄れ周りの氏族の圧迫を受ける立場にあった。


 埼玉郡(さいたまごおり)の南から西は、国造(くにのみやつこ)の系譜を引く郡司(ぐんじ)武蔵武芝(むさしのたけしば)が治める足立郡(あだちごおり)であり、安定した力を持っていた。

 埼玉郡(さいたまごおり)の中にも、武蔵武芝(むさしのたけしば)の一族が笠原(かさはら)(現・鴻巣(こうのす)市笠原)に根を張っており、他にも、村岡五郎こと平良文(たいらのよしぶみ)源宛(みなもとのあつる)など強力な土豪がひしめいている。


 久稔(ひさとし)は、(したた)かな交渉術に寄って外圧を(かわ)して来た男だ。


 だが、歳を重ねると共にその気力にも(かげ)りが見え始め、疲れを感じるようになっていた。

 頼みとする長男・豊地(とよち)(たくま)しく偉丈夫(いじょうぶ)に育ち、温厚な人柄で郷人の評判も良い。

 だが、久稔(ひさとし)から見れば、気が優しくてひとが良く、とても海千山千の土豪達と渡り合って行けるような男には思えない。そして、次男の豊水(とよみ)は、それに加えて考えが浅いと来ている。


 唯一性格的に強く、ものを見る目を持っているのが長女の露女(つゆめ)である。この娘が男であったならどんなに良かったかというのが、久稔(ひさとし)の嘆きであった。


 久稔(ひさとし)私市(きさいち)氏に勝る強力な後ろ盾を欲していた。


 そんな折、承平(じょうへい)五年(九百三十五年)二月、伝手(つて)を頼って、秀郷(ひでさと)から、近々武蔵(むさし)に行き物見遊山(ものみゆさん)をしたいので一夜の宿を貸して欲しいという依頼が舞い込んで来た。


 藤原秀郷(ふじわらのひでさと)と言えば、武蔵(むさし)にも聞こえた『下野(しもつけ)の暴れん坊』である。


 会ったことは無いし、久稔(ひさとし)から見れば、祖母が秀郷(ひでさと)の祖母と従兄弟同士と言うだけの、誠に薄い(えにし)である。


 秀郷(ひでさと)に一夜の宿を貸すことで、国府から咎めを受ける可能性が有る。

 ここは(もっと)もらしい口実を考えて穏便に断るのが利口だろうと思った。君子危うきに近寄らずと言ったところか。


 だが、久稔はふと考えた。常陸国(ひたちのくに)上総国(かずさくに)がこのところ騒がしくなって来ている。


 何でも、平良文(たいらのよしぶみ)の兄弟達が甥の平将門(たいらのまさかど)と言う者と争っていると言うのだ。


 そしてその争いは拡大しつつあるという。兄弟に着くか甥に着くかは分からぬが、村岡五郎と呼ばれている良文(よしぶみ)ほどの(ごう)の者が、身内の争いをいつまで傍観している筈が無いのだ。


 いずれ参戦するに違いない。


 となれば、村岡(現・熊谷市)から常陸(ひたち)下総(しもうさ)に行くには、この草原(かやはら)を通って行くことになる。逆に誰かが良文(よしぶみ)を攻めようとすれば、やはり、この草原(かやはら)を通る。


 迎え撃つ良文とこの辺りで出会えば、草原(かやはら)戦場(いくさば)となり、田も畑も踏み荒らされてしまうことになる。

 本家の私市(きさいち)氏にも、間に入って双方を退()かせるほどの力は無いし、草原(かやはら)の為に村岡五郎と渡り合う気も無いだろう。まして国府などは全く当てに出来ない。


 だが、もし、追討の官符を以てさえ下野(しもつけ)の国府が(ばく)に着かせることが出来なかった秀郷(ひでさと)が後ろに控えていたとしたら、さすがの良文も簡単に兵を入れることは出来なくなるだろう。

 もし、それほどの強力な関係を秀郷(ひでさと)との間に築くことが出来ればの話だが……。


 安全策を取るか、それとも予想される危機に備えるべきか、久稔(ひさとし)は悩んだ。そして、結果の重大さを比較して秀郷(ひでさと)に一夜の宿を供することにした。

 だが、宿を貸したくらいで強力な関係が築ける訳も無い。危険を冒す以上、最大限の効果を得られるようにしなければならない。


『さてどうしたものか』 


久稔(ひさとし)は考えた。


 秀郷(ひでさと)への手土産や馳走は、もちろん精一杯の物を用意しなければならないだろう。こつこつと地道に蓄えて来た財の多くを吐き出さなければならないのは仕方ないところだ。

 だが、それだけでは弱い。やはり(とぎ)の娘を用意しなければならないだろう。

 その娘が運良く秀郷の子でも宿せば強い絆を得ることが出来る。


「ふ~ん誰にしようか」


と考える。


 露女(つゆめ)を始めとする三人の娘達は、残念ながら器量好しとは言えない。やはり、(さと)一番の器量好しと言えば、郎等のひとり高津四郎義重(たかつしろうよししげ)の長女・千早(ちはや)だろう。


 小柄で下膨(しもぶく)れのぽっちゃりした頬を持つ娘だ。性格もおっとりしていて、色は白く豊かな髪を持つ。

 それなりの衣装を着せて、どこそこの姫君と言っても、素性を知らぬ者は誰ひとり疑わないだろう。


「うん。あの娘なら秀郷(ひでさと)も食指を動かすに違いない」 


 久稔はひとりほくそえんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ