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2 隠れ郷 2

 着いたのは、山に囲まれた猫の(ひたい)ほどの盆地だった。


 三十~四十軒の家が点在し、わずかな畑が囲む。


 家の作りはいわゆる竪穴式(たてあなしき)である。

 中心の柱から円錐状に、(かや)を懸けた屋根が地表まで届いている。


 畑や家の中、或いは草陰から、湧き出るように人々が集まって来た。

 中には、山から馬を駆って駆け降りて来る者も居る。老若男女合わせて七十~八十人にもなった。


 一行が中心の広場に着いた頃には、皆、(ひざまづ)いて迎えていた。


 幼い子供達だけが、物珍しそうに見たり、駆け回っては互いに顔を見合わせたりして、意味も無く笑い転げている。


 妙な違和感を、千方は覚えていた。

 武蔵や他の下野(しもつけ)(たみ)とはどこか違う。着ている物や持ち物も見慣れない物が多い。

 山の民だからだろうかと、千方は思った。


「殿。ようこそお()で下されました」


 (おさ)らしき者が進み出て、深々と頭を下げる。


「うん。皆、息災(そくさい)か。食に不自由はしておらぬか」


 千常(ちつね)が馬上から、鷹揚(おうよう)に尋ねる。


「いえ.お陰様で、皆不自由無く暮らさせて頂いております」


重畳(ちょうじょう)じゃ」


 千常が馬から飛び降りると、ひとりの若者が走り寄って、馬の(くつわ)を取る。千方と朝鳥も下馬し、それぞれ(さと)の若者に手綱(たづな)を手渡した。


「お疲れになりましたで御座いましょう。まずは、お休み下さいませ」


 奥の小高い所に、防風林のように周りの木を残し、林を切り開いたのであろう一角が有り、木々の間から、床も周りの柱も有る建物が見える。


 掘立小屋に近い造作だが、竪穴式(たてあなしき)住居ばかりの(さと)の中では特別な建物なのであろう。

 郷長(さとおさ)の住まいか、あるいは千常が訪れた時の為に、特別に建てられたものなのかも知れない。


「ではご案内(つかまつ)ります。どうぞ、こちらへ」


「いや、済まぬがゆっくりもしておられぬのだ。色々と忙しゅうてな。早々(そうそう)に立ち帰り、段取り致さねばならぬことも有る」


「このような山深き所までお運び頂き、おもてなしも出来ぬままお帰りとあらば、心苦しゅう御座います。

 夕餉(ゆうげ)には、心ばかりの粗肴(そこう)も用意致しますゆえ。ごゆるりとお過ごし頂ければ」


「済まぬ。そうもしておれんのじゃ。こう見えて、なかなか忙しゅうてな」


「ならば、山里のことゆえ、(にわか)なことには猿酒、山の木の実などしか御座いませぬが、せめて、一口なりとお召し上がり頂ければ」


「うむ。馳走になろう。ここで良い」


 早速、郷長(さとおさ)の指示で(むしろ)が敷かれ、女達は舘に走り、そこに用意してあったものを持って戻って来る。

 膳が用意されたとは言っても、言葉通りささやかなものだ。


 千常と朝鳥の膳には、木の実を盛った”かわらけ”(土師器(はじき)の皿)、木をくり抜いた荒削りな(わん)に猿酒。

 千方の膳には多めの木の実と水の入った(わん)が並べられた。

 もちろん、この時代、未成年飲酒禁止と言った法が有った訳では無いが、子供の飲むべきものでは無いと言う認識は有った。


「川の魚など、すぐに焼かせますゆえ、(しば)し、お待ち下さいませ」


「いや、それは良い。また馳走(ちそう)になろう。日の暮れぬうちに戻らぬとな」


左様(さよう)で御座いますか…… 」


 郷長(さとおさ)が至極残念そうにそう言ったとき、山から迷い出て来たのか、一羽の(うさぎ)(くさむら)から現れ、体を丸くし、立ち止まって辺りを見回している。


 皆がそれに気付き、千方は『((うつく)し)(可愛いな)』と思った。


 猿酒を口にしていた千常が不意に言った。


「走っている(うさぎ)を馬上から射ることが出来る童はおるか?」


 一度頷いた郷長(さとおさ)がひとりの(わらべ)と視線を合わせた。

 そして右手で合図すると、後ろの方に控えていた男が、すぐに(うさぎ)の後方に木の枝を投げた。

 驚いた(うさぎ)は村の中心に向かって走り出す。


 と思うが早く、郷長が目配(めくば)せをした(わらべ)。即ち先ほど馬で山から下りて来た中のひとりの(わらべ)が、ひらりと馬に跳び乗り、(うさぎ)を追うように走り始めた。

 山で狩りでもしていたのか、その手には既に短弓が握られていた。

 (うさぎ)は急に走る方向を変えたりして、何とか逃がれようと必死だが、馬上の(わらべ)は上手く誘導し、皆の良く見える場所に追い出した。

 そして、放った矢は(たが)わず(うさぎ)の首を射抜いた。


(むご)いことを』


と千方は思ったが、女達も含めて、皆、大喝采である。


 (わらべ)は馬から跳び降り、(うさぎ)の首を貫いている(やじり)を折り、矢を抜いた後、それを自らの(ひたい)に当てて天を仰ぎ、祈りでも捧げるように片膝を突いたまま暫く項垂(うなだ)れていた。

 そして立ち上がると、左手で馬の(くつわ)を取り、右手で耳を持って(うさぎ)をぶら下げたまま歩いて戻って来た。


「見事であった。名は何と申す」


 (わらべ)は言い(よど)んでいる風に見えた。


「姫王丸に御座います」


 他の(わらべ)が、大声で言った。

 姫王丸は、その方向を見て、キッと(にら)んだ。


「何? 姫王丸とな」


 千常は思わず吹き出しそうになったが()えた。

 その(わらべ)、鋭い目をした色黒の子であったのだ。


「わっぱ。その名は気に入っておるか?」


 (わらべ)は黙っている。

 すると、さっき姫王丸と教えた(わらべ)が、


「この間、つい邪揄(からか)って『姫』って呼んでしまったら、本気で殺されそうになりました」


と言った。


 あちこちで笑い声が起こった。


「そうか。いずれ郷一番の(たけ)き者に成るであろう男には、ちと似合わん名じゃのう。

 麿が名を付けて遣わす。今日よりは『夜叉丸』と名乗るが良い」


「やしゃまる?」


「そうじゃ。気に入らぬか?」


「いえ、気に入りました」


 姫王丸、いや夜叉丸は力強く答えた。


 本人以上に喜んでいると見えるのが、先程の童だった。


「名は?」


と千常が聞く。


「犬丸」 


 (わらべ)は顔中で笑った。当時としては、良く有る名だ。


「そうか。良い名じゃ。犬は強き者を表す」


 犬丸は照れて、


「いや~ぁ…… そんなに強くはありませぬ」


「そうか、では、夜叉丸の次に強いのは誰か?」


 犬丸ばかりで無く、子供達が一斉にひとりの童を指差した。

 だが、その先に居たのは、小柄で風采(ふうさい)の上がらぬ童だった。

 童は、少し得意げに心持ち顔を上に向けた。


「そうか。そちゃ強いか」


と千常は納得の行かぬ様子だ。


「人は見掛けだけでは分かりませぬ」


「なんと…… 言いおるのう、小童(こわっぱ)《こわっぱ》」


「これ! 」


郷長(さとおさ)が慌てて童を制し、


「申し訳も御座りませぬ。世間知らずの山童(やまわらべ)のことゆえ、どうか、お許しを」


と取り(つくろ)った。


「いや、構わぬ。面白きわっぱじゃ。名は?」


 見掛けに寄らず、利発な子だと思った。


「しゅてんまる」


 本来は『秋天丸(しゅうてんまる)』なのだが、その父がなぜかそう呼んでいたので、本人も含めて、いつの間にか皆が『しゅてんまる』と呼ぶようになってしまったのだ。


酒呑丸(しゅてんまる)? これは又、荒々しき名よのう」


 千常にはそう聞こえた。

 そう思い込んだのは、猿酒を飲んでいたせいであろうか。


 大江山から出て、当時、都を荒らし回っていた盗賊の頭、鬼とも呼ばれる『酒呑童子(しゅてんどうじ)』のことが頭を(よぎ)り、千常には、そう聞こえたのだ。


「ところで夜叉丸(やしゃまる)、見事であった。何か褒美をやろう。欲しい物は無いか?」


(いくさ)に出たい」


「そうか。いずれ望は叶うであろう。今はこれを(つか)わす」


 千常は、小刀を腰から外し、左手で差し出した。


 兎をそこに置き、進み出た夜叉丸が、両手で受け頭を下げる。

 夜叉丸は、千常に背を向けて元の位置に下がりながら、その小刀を縦にし、横にして眺め、抜いて見つめた後、(さや)に戻した。


「これで、敵の(おさ)を突きます」


 夜叉丸は、千常の方を振り返り、貰った小刀を、横にして前に突き出し、強く言った。

 表情の乏しい童だったが、それでも誇らしげな気持ちが読み取れた。


 代わって郷長(さとおさ)が進み出る。


「殿、夜叉丸に代わり、厚く御礼申し上げます。必ずや、殿のお役に立つ男になりましょう」


「いや、夜叉丸ばかりでなく、酒呑丸(しゅてんまる)も犬丸も、この千寿丸(せんじゅまる)の役に立たせたい。

 既に伝えてある通り、千寿丸を三年の間この(さと)に預けるゆえ、夜叉丸に負けぬ男に育てて貰いたい。

 (おさ)、宜しく頼み置く」


 千方は驚いた。

 父との対面どころでは無く、三年もの間、自分はこんな所に置き去りにされるのか。そう思うとひどく気持ちが滅入った。


「承知致しております。朝鳥殿と力を合わせ、必ずや、ご期待に沿うように致しましょう」


 千方より驚いたのは、朝鳥の方だった。


(おさ)、麿と力を合わせてとは、どういうことか?」


 郷長(さとおさ)は、千常の方を見て、どう答えるべきか目で問うた。


(なれ)もここに残れ」


「飛んでも無い。殿おひとりでこの山里からお帰し申す訳には参りませぬ」


「朝鳥よ。今日より、その方の(あるじ)は千寿丸じゃ」


「殿~っ」


 珍しく、朝鳥は必死になった。


「朝鳥殿。殿は(さと)の者共がお送り申し上げますゆえ、ご案じ無く」


 そう、郷長(さとおさ)が口を挟んだ。


「黙れ! ……いや、口を挟まんでくれ長。…… 殿! こんな所に三年もの間おったのでは、(ほう)けてしまいます。

 なんぞ、この朝鳥にお気に召さぬ処でも御座いますのか」


 珍しく()きになっている朝鳥の顔を、千常は静かに見詰めていた。

 そして、やがて言った。


「朝鳥、三郎のこと、気の毒であった」

 そう言われて朝鳥は、虚を突かれたように戸惑った。


    

 天慶(てんぎょう)三年(九百四十一年)二月一日のことである。千常二十四歳。秀郷(ひでさと)ら連合軍は、常陸掾(ひたちのじょう)藤原玄茂(ふじわらのはるもち)率いる将門(まさかど)軍の先鋒と対峙(たいじ)していた。


 千常は、尿意を催し、陣幕を潜って裏に出た。気付いた日下部(ぬさかべの)三郎・是光(これみつ)がそれを追って陣幕を潜った時見たものは、小用(しょうよう)()す千常の後ろから忍び寄る敵の姿だった。


「殿~っ! 」


と叫びながら走り寄り、振り向いた敵のひとりを斬り伏せたが、もうひとりに斬り掛かられ、(やいば)を合わせた途端に、三人目に脇腹から深く刺し抜かれたのだ。


 是光(これみつ)の声を聞き、陣幕を引き倒して、武者達が駆け出して来た。数人は千常を囲んで守り、他の者は敵に討ち掛かって行った。

 そして、五人居た敵をことごとく討ち取り、残敵を求めて草原に分け入り、林の中に入って行った。


 千常を守る為に取り囲んだ武者達の中に、朝鳥も居た。千常に走り寄る時、血に染まって倒れている我が子をちらと見たが、五人目の敵が倒されるまで、朝鳥は千常の傍を離れなかった。


 その直後、敵が逆落(さかお)としに攻撃を掛けて来た為、悲しんでいる間も無かった。朝鳥は鬼神の如く敵を斬りまくった。


 その姿を見て、若き日の千常は胸が張り裂ける思いだった。

 (おの)が油断の為に、朝鳥に取って、掛け替えの無い子の命を失わせてしまった。

 それだけでは無い。是光(これみつ)は、幼き日の千常の遊び相手でもあったのだ。

 だが、他の遺族に対する弔意(ちょうい)と同じ程度の言葉を掛けたのみで、ことさら、大袈裟(おおげさ)に詫びることは出来なかった。


 怖いもの知らずだった千常に、(おの)が行動に付いての慎重さが出て来たのは、それからだった。


    


「もう、九年になるか。是光(これみつ)の働き見事であったな。

 この命救われた。麿の油断であった。許せ」


 そこまで言ったのは初めてだった。千常の心の内を朝鳥は知った。


 だが、朝鳥は黙っていた。


 千常は兼ね兼ね気になっていた。

 三男を討死させた後、まるで死に場所を求めているかのように思える(ふし)が朝鳥には有ったのだ。


 二人の娘は、朋輩(ほうばい)《ほうばい》の子と(めあわ)せ、子も出来てそれなりに暮らしているが、朝鳥には、男子の運が無かった。


 長男は子供の頃川で溺れて死に、次男・是貞(これさだ)は十七歳で(やまい)の為早世(そうせい)している。そして、三郎の戦死。その上、その半年後には、長年連れ添った連れ合いも(やまい)の為亡くしていた。


 承平(じょうへい)天慶(てんぎょう)の乱以降、(いくさ)と言えるものこそ無かったが、他氏との()め事や小競(こぜ)り合い、更には群盗との戦いなど日常茶飯事であった。


 そんな時、若い者を後目(しりめ)に、朝鳥は真っ先駆けて飛び込んで行くのだ。

 元々(ごう)の者ではあったし戦功も多かったが、千常は危ういものを感じていた。


「三郎を帰してやることは出来ぬが、この千寿丸(せんじゅまる)を三郎と思って、もう一度育ててみてはくれぬか」


 涙こそ見せないが、朝鳥は感じ入った様子で黙っていた。

 感激して、礼の言葉を重ねるなどということをする男では無かったが、千常は朝鳥の気持ちを充分に察していた。


「殿、お受け致します」


 千常も(くど)くは言わない。


「そうか。頼むぞ。では帰る。馬を引け!」


 千常はもう立ち上がっていた。


 千常の行動は素早い。そして、人に任せられることは任すが、自分でやった方が良いと思うことは、些細(ささい)なことまで自分でやる。

 そのせいで、いつも、やたらと忙しく動き回っている。

 この日の段取りも、使い役の郷の者を使って、郷長(さとおさ)にはその意を充分に伝えてあったものと見える。

 だから、それ以上の話は必要無いのだ。

 千常の心中に有った目的は、既に果たされていた。


 慌ただしく、千常は帰り支度に掛かる。

 若者の一人が急ぎ足で、千常の馬を引いて現れ、他に六人の(さと)の男達が騎馬で現れた。

 乗馬しようとする千常に、朝鳥が駆け寄った。


「殿」


「まだ何か有るか?」


「もし、千寿丸(せんじゅまる)様が、殿に弓引くような男に育った時は、いかが致しましょう?」


と小声で言った。


 千常はにやりと笑った。


「今日より、千寿丸(せんじゅまる)(あるじ)ぞ。

 朝鳥。その時は、千寿丸共々この首取りに参るが良い。

 だが、麿はそんな心配はせぬ」


「千寿丸様をどうお使いになるおつもりか?」


「麿の懐刀(ふところがたな)武蔵国(むさしのくに)に打ち込む(くさび)。そんな答で満足か?」


「ははっ」


 郷長に促された千寿丸(せんじゅまる)が近寄って来た。

 気持ちはやはり沈んでいるが、もはや(あきら)めてここに残るしかないと覚悟を決めていた。


「兄上、お気を付けて」


「うん。千寿丸。如何なる時も、父上の子であること。そして、この千常の弟であることを忘れるで無い。良いな。さらばじゃ」


 郷長(さとおさ)はまた深々と頭を下げる。


 去って行く一団を見送りながら、千方、朝鳥、それぞれの胸にそれぞれの想いが渦巻いていた。


 そして、この郷での三年の歳月が、このようにしてゆっくりと流れ始めた。

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