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19 古能代・若き日の葛藤

 その頃、古能代(このしろ)は朝鳥を訪ねていた。


「おお、古能代殿か。いかがじゃな、六郎様は?」


「いや、まだ、どうのこうのと言う段階では御座いませぬ。遊びのようなもので御座います」


「そうか…… そのような所では話も出来ぬ。ま、上がられよ」


 土間に立ったままの古能代(このしろ)に朝鳥が言った。


「いえ、吾はここで失礼致します…… 少しお疲れのようなので、それだけお伝えしておこうと思いまして」


「そう言えば朝餉(あさげ)の時も無口でおられたのう。分かり申した。甘い顔を見せる訳には行かぬが、心しておこう」


「では、吾はこれで」


「そうか…… ご苦労で御座った」


 朝鳥は古能代と一度ゆっくりと話をしたいと思っていたが、何とも取っ付きの悪い男だなと感じた。


 舘からの階段を下りながら、古能代(このしろ)は一度、(さと)の風景を見渡した。



 古能代(このしろ)にも生まれ故郷を離れた経験が有る。千方とは違い、もう大人になっていた十七歳の時、古能代は生まれ育ったこの(さと)を後にした。


 しかもひとりではなく、弟の支由威手(しゆいて)それに(さと)の若者三人も一緒だった。


 古能代(このしろ)を除く四人は、(いず)れも、秀郷(ひでさと)の郎等になれると言うことに心(はず)ませていた。


 しかし、古能代(このしろ)の心にはそれとは違った思いがあった。父・祖真紀(そまき)と離れられる。この(さと)から出られる。それが嬉しかった。

 幼い頃から父との確執が有り、祖真紀を憎んでいた。それから逃れられさえすれば良かったのだ。


 下野国(しもつけのくに)は九郡(足利郡(あしかがごおり)安蘇郡(あそごおり)梁田郡(やなたごおり)都賀郡(つがごおり)河内郡(かわちごおり)芳賀郡(はがごおり)那須郡(なすごおり)寒川郡(さむかわごおり)塩谷郡(しおやごおり))より成っている。


 秀郷(ひでさと)は当時、安蘇郡(あそごおり)・佐野に(きょ)を構え、国府の有った都賀郡 (つがごおり)(現・栃木市田村町)にも舘を持って、下野少掾しもつけのしょうじょうとしてその間を行ったり来たりしていた。


 現在、栃木県佐野市の唐沢山(からさわやま)には、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が築いたとされる唐沢山城跡があり観光名所になっているが、この時代、山城を造る者など居なかった。

 実際には十五世紀後半の戦国時代に、秀郷(ひでさと)後裔(こうえい)である佐野氏が築いたものと思われる。


 延長(えんちょう)八年(九百三十年)。


 臣籍(しんせき)に生まれた唯一の天皇である醍醐(だいご)天皇が九月二十二日に崩御(ほうぎょ)し、十一月に僅か八歳の朱雀(すざく)天皇が即位した年であり、伯父である藤原(ふじわらの)忠平(ただひら)摂政(せっしょう)として権力を掌握した年でもある。


 翌、延長(えんちょう)九年四月二十六日に承平(じょうへい)と改元され、この五年後の承平(じょうへい)五年には、あの承平(じょうへい)天慶(てんぎょう)の乱が始まる。


 古能代(このしろ)達は、秀郷(ひぢさと)の郎等のひとり三輪七郎国時みわのしちろうくにときに連れられて佐野に向かった。


 だが、案内されたのは、佐野近くの低い山の中に建てられた小屋だった。こんな処も、千方の有様(ありさま)とどこか似ていた。


「ここが、汝等(なんじら)(ねぐら)だ。明日より、盗賊の探索をやって貰う。今日はゆるりと休むが良い」


 そう言い残して国時(くにとき)は帰ってしまった。


「おい、どうゆうことだっぺ。我等は(だま)されたのか?」


 古能代(このしろ)のひとつ年下の弟、支由威手(しゆいて)が言った。


「何期待しとった。舘に行って郎等の格好をさせて貰えると思っとったのか?」


 古能代は冷静だった。と言うよりも、(さと)を出られたことに満足していたのだ。郎等に成ることに、さほど期待を持ってはいなかった。


「そういう約束ではねえか。だから(さと)出て来たんだ。秀郷(ひでさと)は、やっぱり、我等を蝦夷(えぞ)と思うて愚弄(ぐろう)しておるんじゃ!」


何で騙(だま)す必要がある。盗賊の探索をする為の人手を出せと言われても、我等、逆らえる立場ではねえっぺ。

 あんお(かた)、決して甘いお方ではねえと聞いておる。何かお考えがお有りなんだべよ」


「兄者は、親父と離れられれば良かんべが、我等はそうは行かね。あんな山ん中で一生過ごし、()ち果てたくは無かったのよ」


「出られたではねえか」


 古能代(このしろ)はぼそっと言った。


「こことて、同じようなもんだろうが」


「なら、()えれ」


と言われても、帰れるものではないと支由威手(しゆいて)も分かっていた。(さと)の者達の期待が懸かっている。


秀郷(ひでさと)様さ、信じて見るっぺよ」


 威手李裡(いていり)という若者が言った。


「そんだけの働き見せてやるっぺ」


 翌日から、盗賊探索の仕事が始まった。


 とは言っても戦いに参加する訳では無い。

 国時(くにとき)がやって来て、その日探索する山を指示する。

 山中に入り、馬の足跡や奪った荷駄を運んだ(わだち)の跡を探す。焚火(たきび)の跡や人が分け入ったように草がなぎ倒された跡なども手掛かりとする。


 しかし、一日中山中を探し回っても、何の手掛かりも得られない日も多い。それに、逆に発見されて襲われる危険、賊ばかりでは無く、熊や猪に襲われる危険もある。

 しかし、それは、彼等に取っては、むしろ望む処だった。思わぬ所で狩りが出来るかも知れないし、賊とも戦ってみたいという気持ちに心は(はや)っていた。 


 しかし、偶然の狩りは兎も角、彼等に命じられていたのは賊の(ねぐら)を探し当てたならば、手を出さず国時(くにとき)に報告することのみだった。


 古能代(このしろ)達の情報に基づき秀郷は兵を繰り出し、群盗討伐の成果を上げて行った。


 古能代以外の四人には、別の不満も(つの)っていた。


 探索初日のことだ。国時の(もと)に五人が戻って来た時のこと。 


「いや~、な~んにも見つからん。駄目だな今日は」 


 立ったまま支由威手(しゆいて)が国時に言った。 


「吾は殿より(なれ)共の差配を任されている身だ。報せを(もたら)す時は膝を突け」


「はあ~っ? なんて?」


「左膝を突き、右膝を立て右の(こぶし)を地に付けて、まず、 


『申し上げます』


と言うのだ。


 その上で、


『手前が見て参ったところ、これこれこうで御座いました』


と報せを致すのだ」


「何で?」


 支由威手(しゆいて)は挑戦的に言った。


「殿の郎等に成りたいのではないのか?」


(なれ)の郎等に成りてえ訳ではねぇ」


「上役に仕えることは殿に仕えることと同じだ。そのようなことで殿の御前(おんまえ)に出られるとでも思っておるのか?」


 支由威手(しゆいて)は、国時(くにとき)(にら)み付けながら近寄ろうとした。 


 その時、


「やめねえか!」


古能代(このしろ)支由威手(しゆいて)を怒鳴った。


 支由威手はしぶしぶと退く。


御差配(ごさはい)様に申し上げやす。我等が見て参ったとこでは、何も見つかりませんでした」


 言われた通りの所作(しょさ)を取って、古能代(このしろ)が報告した。


「うむ。左様(さよう)かご苦労であった。…… 『申し上げやす』では無く『申し上げます』だ。分かったか?」


「ああ、分かった」


「『ああ』では無い。腹から息を吐きながら『はっ』とひと(こと)申せば良い」


「はっ」


「うんうん、それで良いぞ古能代(このしろ)

 

 その後も国時(くにとき)は、言葉使いや所作(しょさ)に付いて、あれこれと口煩(くちうるさ)く言って来る。

 支由威手(しゆいて)を始めとして四人の若者達は、古能代(このしろ)が黙って従っているので仕方無く従っているものの不満を募らせていた。


 十日ほど()ったある日のこと。

 国時が引き上げて行った後の小屋で、四人は車座になってああでもないこうでもないと愚痴っていた。

 古能代(このしろ)は奥まった辺りで、腕枕をして、彼等に背を向けて横になっている。 


 支由威手(しゆいて)が立ち上がって、


「良いか、命じられたら『はっ』とひと(こと)返事をし、ただちに言われたことをやれば良い。余計なことは申すな。分かったか」


国時(くにとき)口真似(くちまねまね)をし、八の字(ひげ)を触る仕草(しぐさ)をした。


「はっ、御差配(ごさはい)様」


と三人が声を合わせて返事をした後、大笑いをする。


「けっ! 何が『はっ』だ、空威張(からいば)りしおって、そのうち思い知らせてやる」 


「どうしてやっぺいか?」


「そうよな…… ?」


 三人は思案顔で支由威手の方を見ている。


「殺すか」


 こちらに寝返りを打った古能代が突然そう言った。


「えっ?」


 思わず三人は我に帰る。


「あ奴ひとりくらい簡単に殺せるだろう。殺して逃げればいい。

 郷には帰らん。いっそ盗賊にでも成るか。面白可笑(おもしろおか)しく暮らせるではねえか」


 これが、他の誰かが言ったことなら、皆悪乗りして、


「そりゃいい。どうせなら、京に上って大盗賊になるっぺ」


などと言葉だけで()さ晴らしをするに違いない。


 しかし、古能代(このしろ)が滅多に軽口など言う男でないのは、皆良く知っていた。

 誰もが背筋が寒くなるのを覚えた。


「…… けんど、兄やん。(さと)はどうなる? 我等が、あ奴を殺して逃げたら……」


「うん? 焼かれんべよ。(さと)(もん)達は皆殺しになるかもな」


「本気なのか、古能代(このしろ)


 そう問い(ただ)したのは、古能代(このしろ)と同い年の℃沙記室(さきむろ)だ。


(なれ)達がその気なら、やる。嫌か?」


(さと)(もん)達が皆殺しになると言われてはの……」


国時(くにとき)に従うのも嫌、殺して逃げるのも嫌。一体、(なれ)達は何がしてえんだ。

 このまんま郎等の衣装を着させて貰って舘へ連れてって貰えば満足か? 何が出来る?  まともな口も聞けねえ。郎等としての振舞(ふるまい)も出来ねえ。笑われるだけでねえか! 笑われるだけならまだいい。我等が蝦夷(えみし)と知れたらどうなる? (さげす)みの目が待っているだけだ。そうなりゃ、結局反乱するしか有るめえ。


 蝦夷(えみし)の反乱なんぞ、昔から数え切れねえほどある。蝦夷なんて結局そんなもんだってことになる。

 …… 支由威手(しゆいて)(なれ)、郎等に成りてえと言ったな。郎等に成るってことは、がんじがらめに縛られるってことだ。口の利き方から立居振舞(たちいふるまい)まで縛られるんだよ。それが嫌なら郷へ帰えれ! 


 だが、(なれ)はそれも嫌だと言ったでねえか。(なれ)達は何がしてえんだ。それも考えられねえほど頭ん中、(から)っぽなのか?」


 無口な古能代がこんなにまくし立てることは珍しい。


(なれ)達は考えもしねえことだろうから、もうひとつ教えてやんべ。


 我等は試されているのよ。使いものになるかどうかをだ。我等が反乱することなど無いと秀郷(ひでさと)様が思っていると思うか? そんな甘いお(かた)ではねえ。反乱を起こすことも有ると思っているに違えねえ。そん時、最初に死ぬのは国時(くにとき)だ。

 そんなことは計算済みだろうし、国時(くにとき)自身も覚悟している。だから、山ん中で我等五人に囲まれていても恐れずに、ずけずけ言って来る。あの男を見縊(みくび)ってはなんねえ。


 我等の反乱を恐れて五人も六人も監視を付けたりしたら、我等に仕事をさせる意味がねえべよ。だから、あ奴はそん時は死ぬ覚悟をしておる。それが郎等ってもんだ」


 それだけ言うと、古能代(このしろ)は再び寝返りを打って奥を向いた。もう誰も言葉を発する者は居ない。


 そのうち、それぞれがこそこそと己の寝場所に行き、黙って横に成り、己の心と向かい合って眠れない夜を過ごすことになった。


    


『ひとの定めなどというものは分からぬものだ。あの時、もし皆が賛同していたら、吾は今頃、盗人(ぬすびと)頭目(とうもく)であったかも知れぬ。

 元より、この(さと)など跡形(あとかた)も無く消えていたことだろう。その数知れぬ(うら)みを背負って、吾は極悪の(やから)と化していたに違いない。いや、とうの昔に殺されていたかも…… 


 どちらでも良かったのだ。郎等だろうが、盗人だろうが。ただ、不満を言うことだけしか出来ぬ奴らに腹が立っただけだ』


「あんれ、今日はもう和子(わこ)様のお相手は終わりかの?」


 郷道(みち)に下りて歩いていると、畑から戻る者達が声を掛けて来た。


「ああ、吾の仕事はな」


「ご苦労さんで」

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