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17 傷

 左足を爪先立(つまさきだ)ちにして引き()りながら(やぶ)から出て来ると、そこに、犬丸と姉の芹菜(せりな)が居た。


「何をしておる?」


 千方が問い掛けた。犬丸は、


「へへへ」


と笑って、背に隠していた五本の矢を前に出し千方に見せた。


 そして、


「藪の中の矢は拾っておきました。…… まだ一本残っておりましたか?」


と言う。


 千方は、さては、どこかで見ておったなと思った。


『ならば最初から出て来て手伝え』


 と思ったが、それは口に出さなかった。


「済まぬ。拾ってくれておったか。助かったぞ」


「足はどうした?」


 芹菜(せりな)が千方に聞いた。


「竹の小枝を踏み抜いたが、大事無い」


「後で高熱を出して死ぬ者もおる。放って置かぬ方が良い」


「そんな大袈裟(おおげさ)な傷ではないわ。(まむし)に噛まれた訳ではないからな」


「そう言っていて、十日ほどで死んだ者もおる」


「脅かすな」


「いえ、それは本当ですわ。前の年、死んだ者がおります。

 木の枝を踏み抜いて放っておいたら、何日もしてから体が突っ張って弓のように反って死んでしまいおりました。まるで狐に()かれて狂ったようでしたわ」


 そう言ったのは犬丸だった。


「この裏に小川が流れている。早く行って傷口を洗った方が良い」


 犬丸の()げ足を取ることもせず、芹菜(せりな)は真剣な表情をしている。


「分かった。そうすることにしよう」


 芹菜(せりな)が支えようとしたが、千方は何と無く気恥ずかしくて、


「犬丸肩を貸してくれ」


と言って犬丸に近付いた。


 透かされた芹菜は、一瞬目を泳がせた。

 しかし、何気なさを装って、犬丸から五本の矢を受け取り、矢筒の置いて有るところに行って納め、それらを背負って歩き始めた。


 林を抜けて少し下ったところに小川が流れている。澄んだ水が山から下って来る勢いを保って岩に当たって飛沫(しぶき)を上げている。


 その水音は弓を引いていた千方にも聞こえていた筈だ。しかし、意識の内には無かった。


 流れに逆らって泳いでいる小魚が、(こけ)でも(ついば)んでいるのか岩に口を付けては流されて少し離れ、(ついば)む為にまた近付く。


 犬丸の肩を借りて水辺まで下りた千方が足を洗っていると、矢筒を置いて一度姿を消した芹菜(せりな)が戻って来た。


 何か草を手に持っており、それを水で(すす)ぐと手早く揉んで、


「足を出して」


とややぶっきらぼうに言う。


 水辺の岩に腰かけて足を水に漬けていた千方が水から足を上げると、その足先を持って自分の膝の上に乗せ、取り出した布で軽く拭く。


 反射的に千方はなぜか足を退()こうとしたのだが、芹菜(せりな)はそれをぐっと押さえ付ける。


 芹菜(せりな)太腿(ふともも)の柔らかい感触を千方は足首の裏に感じた。


「動かねえで」


「いや、…… 済まん」


 千方は、なぜかどぎまぎしている自分に気が付いた。そして、それを犬丸に気付かれるのではないかと案じた。


「犬丸。見ておったのか、弓の稽古を」


と、芹菜(せりな)には無関心を装って、犬丸に話し掛けた。


「ええ、まあ」


 その辺をうろうろと歩き廻っていた犬丸が答える。


「思ったより、あの弓はきついな。あれほど張りが強いとは思わなかったぞ」


大和(やまと)の弓は甘いと、(さと)の大人達は言うとります」


「そうか。まあ、そう言われてもやむを得んな。腕がぱんぱんに張っておる。

 これでも弓には自信があったのだが、あの強い弓を、ああ次から次に引くのでは持たぬわ」


古能代(このしろ)様は、弓も太刀打ちも馬も誰にも負けません。言う通りやっておれば、きっと、上手(うも)うなりますわ」


競馬(くらべうま)は見せて貰ったが、そうか、古能代(このしろ)は太刀打ちも強いのか」


「はい。何でも、阿弖流爲(アテルイ)の再来とか大人達は言うております」


「そうか、阿弖流爲の再来か……」


 そんな会話を犬丸と交わしながらも、草の汁を足に塗り付けている芹菜(せりな)の意外に柔らかい手の感触を、千方は感じていた。


 ふとその横顔を見ると、何か(なつ)かしいものを感じた。顔の輪郭が母・露女(つゆめ)に似ているのだ。


 母の肌は透き通るように白い。それに比べて芹菜(せりな)の肌は褐色である。だが、母も芹菜(せりな)も同じように漆黒(しっこく)の豊かな髪を持っている。


 残念なことに、ふたりともこの時代の美意識からすると、美人ではない。むしろ、男には人気の無い方なのだ。

 

  

 大和(やまと)の、特に京の都で美人として連想されるのは深窓の姫君である。庶民は滅多にその顔を見ることは出来ないから、それは、ほとんど想像の世界となる。

 上品で控え目な(まなこ)を持ち、色はあくまで白く、(ほお)はふっくらとしていて、豊かな長い黒髪を持つ。胸や腰回りは肉付きが良く豊かで柔らかでなければならない。

 季節に寄って定められた色を重ねた十二一重(じゅうにひとえ)の裾を扇のように広げ、(こう)の香りを漂わせながら、肉厚で小さな唇、即ち"おちょぼ口"から時折ふっと小さな溜息(ためいき)を突く。それが理想の美女なのだ。


 だが坂東には、実際にはそんな女性は居ない。しかし、都の姫の心象(しんしょう)は男達の中に出来上がっているから、少しでも、それに近い女性を求めようとする。


 千方の母・露女(つゆめ)は若い時から活発な女性だった。

 身分を気にすることも無く、奴婢(ぬひ)に混じって立ち働く。もちろん、たかが郷長(さとおさ)の娘だから、姫君ではない。

 しかし、その身分なりのお嬢様振りが求められる訳だが、伏せ目勝ちどころか無遠慮に大きな目で相手をまともに見る。

 頬は削げて(あご)(とが)っていて鼻は下品に高い。唇はおちょぼ口どころか薄くて横に広がっている。

 肩や腰にむっちりとした肉付きは無く、木の枝のように細い体をしている。取り柄()と言えば、色が白いのと豊かな黒髪を持っていることくらいか。だから、男達にも余り人気が無かった。


『千方を(はら)んだ時、周りの者は疑ったが、月足らずの出産でも無く露女(つゆめ)の身持ちも固かったので、秀郷は吾子(わがこ)と認めた』


と書いたが、実は、モテなかっただけのことなのだ。手短に説明する為『身持ちが固い』と言う表現を使ったに過ぎない。


 女性に過度な貞操が求められるようになったのは、儒教思想が普及した遥か(のち)の時代からのことであり、この時代は性に対しての考え方がもっと大らかだった。

 夜這(よば)いは当然の習わしであり、むしろ、年頃になっても男が通って来ないならば、親が心配したほどだ。そんな時代に、露女(つゆめ)には通って来る男も居なかったのだ。


 武蔵守(むさしのかみ)を兼ねていた秀郷(ひでさと)は、草原(かやはら)からそう遠くない西の街道を通って、何度も下野(しもつけ)武蔵(むさし)を行き来していたが、一度として、草原(かやはら)に足を向けることは無かった。


 土地の有力者と結び付くことを太政官(だじょうかん)が警戒していた為、無用な言い掛かりを付けられない為の配慮が有ったと言えば聞こえが良いが、露女は郡司(ぐんじ)の娘などではない。たかが、郷長(さとおさ)の娘なのだ。太政官(だじょうかん)が目くじらを立てるほどの相手でも無い。要は}秀郷ひでさとに、露女(つゆめ)に会いたいという気が余り無かったのだ。


 一方、蝦夷(えみし)には深窓の姫君への願望などは無い。だが、漠然とした時代的な美的価値観の共有というものは有ったのかも知れない。


 それに、芹菜(せりな)は口が悪い。

 相手が男だろうと遠慮無くずけずけと物を言う。だから、敬遠する男も多い。

 しかし、犬丸が言うほど男に相手にされない訳ではなく、露女カ(つゆめ)と比べれば、それなりに人気はあるのだ。働き者で気立てが良いと思っている男も居るのだが、当の芹菜(せりな)は全く気付いていない。


 もう気付かれただろうか? 平安の目で見れば、決して美人とは言えないこのふたり。現代の目から見れば、色白と小麦色の肌の差はあっても、世代こそ違うが、実は二人とも、大きな瞳を持ち鼻筋の通ったスレンダーな美女なのだ。


 だが、残念ながら平安美女は下膨(しもぶく)れのおかめ顔でなければならない。

 ふたりの、(ほお)から(あご)にかけての逆三角形のラインも、贅肉の付いていない体も、この時代の男達から見れば、貧相にしか見えないのだ。


 現代の男達が見たら思わず振り返るほどのこのふたりも、平安時代に於いては残念ながら醜女(しこめ)でしかない。

 ふたりは生まれる時代を間違えたという訳だ。


   


「もう良いぞ」


 芹菜(せりな)は、布の端を噛んでぴっと裂くと、千方の足の甲から土踏まずにかけて二回りほど回し、手早く縛った。

 措置を終えると、芹菜(せりな)は、少し乱暴に千方の足を膝から下ろし立ち上がった。


「世話を掛けた。礼を申す」


 千方が芹菜(せりな)に言った。


「犬丸もそうじゃが、(わらべ)は良う怪我をする。手当は慣れておるから気にするな」


 ”(わらべ)”と言われて千方は相当気落ちした。いや、傷付いた。

 自分では、精一杯、大人振っていたつもりなのに、芹菜(せりな)に”(わらへわ)”と言われ、()きになって反論したくなったが、それこそが(わらべ)なのだと気付き、口には出さずに済んだ。

 しかし表情まで抑えることは出来なかった。


(ねえ)。六郎様に無礼な物言いをするな」


「ならば、後は(なれ)がやれ」


 立ち上がると芹菜(せりな)はさっさと立ち去ってしまった。


「すいません。あんな姉ですわ」


「う? いや、良き姉ではないか。(わらべ)と言われたのは正直ちと情けなかったがな」


「よう言うときますわ」


「いや、それには及ばん」


 なぜか千方は少し慌てた。


 千方に弓の稽古をさせていた場所から離れた古能代(このしろ)は、祖真紀(そまき)の住まいに向かった。


 隣に住まいを建て、ひとりで住んでいるが、食事は祖真紀(そまき)の住まいで父母と共にる。

 入口を入り土の階段を三段下りると、


「ご苦労だったな。和子(わこ)様はどうじゃった」


と母が声を掛けて来た。


「さあな…… 分からん。取り()えず矢を拾うておるじゃろう」


「無茶するでねえぞ。(さと)の童とは違うでのう」


「しとらん。しとらん。親父とは違うでのう、吾は」


 母は(わん)に盛った稗飯(ひえめし)を奥に運びながら「ふーっ」とひとつ溜息(ためいき)を突いた。


 奥の熊の毛皮を敷いた席には、祖真紀(そまき)胡座(あぐら)を掻いて(すわ)っている。


 しかし、その(かも)し出す雰囲気は、千方や朝鳥が知っている腰の低い祖真紀(そまき)とは大きな隔たりがある。

 少し陰鬱でひとを近付けぬ威厳さえ漂わせているのだ。


 母とは気軽に言葉を交わしていた古能代(このしろ)は、無言のまま祖真紀の左側の席に座る。

 母が汁と山菜を蒸したものをふたりの前に置くと朝餉あさげが始まる。しんとして、固い(ひえ)をくちゃくちゃと噛む音が聞こえるほどだ。


(うら)んでおるのか」


 やがて祖真紀(そまき)が一言漏らした。


「いや」


 古能代(このしろ)も一言だけ答える。

 また暫くの間、(ひえ)を噛む音だけが響く。


 祖真紀(そまき)は幼い頃から古能代(このしろ)を鍛えた。その鍛え方が少し異常だった。

 ある時、崖の上で太刀打ちをしていた時、追い詰められた古能代(このしろ)が足を滑らせて崖から落ちた。


 本当に運の良いことに、古能代(このしろ)崖際(がけぎわ)のすぐ下に生えていた松の枝を咄嗟(とっさ)に掴み命拾いしたのだが、翌日、祖真紀(そまき)古能代(このしろ)を、また同じ場所に連れて行って太刀打ちをしたのだ。


 この時、古能代(このしろ)は、


『今日こそはきっと親父に殺される。助かる為には、この親父を打ち殺すしかない』


 真剣にそう考えた。そして、殺す為に打ち込んだ。

 だが勝てなかった。散々に打ち据えられて翌日は起き上がることも出来ないほどだった。


 古能代(このしろ)は、


『自分はきっとこの男の子ではないのだ。本当は(かたき)の子か何かで、その(かたき)への恨みを晴らす為に自分を甚振(いたぶ)っているに違いない』そう思った。


 今は勝てぬが、いつか、逆にこの男を殺してやる。

 そう思って稽古に打ち込んだ。その稽古は(はた)から見ても、とても”稽古”などと言えるものではなかった。殺意の籠った目をぎらぎらさせて、毎日が果し合いのようなものだった。


『吾は狂っていた』


と、今では祖真紀(そまき)自身も思う。


 刀を打つ者が、たまたま質の良い砂鉄を手に入れた。まず、良い刀を打つ為に、どれほど高い温度の火を起こせるか必死に工夫し、今度はその火で熱した鉄をこれでもかこれでもかと打つ。

 打てば打つほどその強さを増して行く鉄に魅入られ、狂ったように打ち続ける。そんな心境になっていた。


 子に対する(いと)おしさという感情は、どこかに置き忘れてしまっていた。


『あの頃の吾は一体何だったのだろうか? 鬼に魅入られていたのだろうか』


 祖真紀(そまき)はそう思う。


 そんなある日、


(さと)の若者を五人ほど預けぬか。麿の郎等として育てる」


秀郷(ひでさと)が言って来た。


 古能代(このしろ)とその弟、他に三人の若者を秀郷(ひでさと)(もと)に送った。この時、古能代(このしろ)は十七歳であった。

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