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13 昔語り・蝦夷の英雄現る

 ふたりを案内し住まいに戻った祖真紀(そまき)は、千方に正面の熊の毛皮を敷いた席を勧め、昨夜と同じように、朝鳥と向かい合って坐った。

 昨夜は席を外していた祖真紀(そまき)()が草を煎じた飲み物を(わん)に入れて運んで来たが、すぐに外に出て行った。


「もう、百五十年近くも昔の話になります。五代前の先祖から語り継がれているこの(さと)の始まりについての伝承で御座います。まずは、お聴き下され」


祖真紀(そまき)が話し出した。


「うむ」


と朝鳥は身を乗り出す。


「我等の祖先は、その頃、大和(やまと)との戦いに疲れ果てておりましたそうです。陸奥(みちのく)胆沢(いさわ)という地でのことで御座います」


「百五十年前の陸奥国(むつのくに)胆沢(いさわ)……」


 朝鳥には思い当たることが有るようだ。


「みちのくの胆沢(いさわ)(もっと)もそれは大和(やまと)風の呼び名で御座います。なんでも『道の奥』が『みちのく』と(なま)ったようですが、我等は”日高見国(ひたかみのくに)”と呼んでおります。

 言い伝えに寄れば、遠い昔、我等の祖先は、坂東から遠く尾張(おわり)の方にまで住まいおりました。しかし、大和(やまと)に追われ東へそして北の地へと追い込まれていました」


「坂東には、元々蝦夷(えぞ)が住んでおったのか? 」


 千方が驚いた様子で尋ねた。


「はい、左様で。

 ですが、大和(やまと)がいきなりやって来て、武力で我等の祖を追い払ったと言うことでは御座いません。恐らく、我等の祖と大和(やまと)(たみ)()み分けて、互いに交流があった時期もあったので御座いましょう。

 ただ、我等と大和では大きく違うところが有り申した。大和はひとりの大王(おおきみ)(もと)に纏まって行きましたが、我等はそれぞれの(おさ)(もと)細かく分かれたままで、崇める神も違えば、祭も衣服も様々でひとつの纏りとなることはありませんでした。

 言葉さえ違う者達もおったので御座います。それぞれがそれぞれの生き方をしていたので御座います」


大王(おおきみ)とは、(いにしえ)(みかど)のことで御座います」


 朝鳥が千方に説明した。


「大和は人も増え、上からの命令もあり、次第に我等の祖の住む土地を侵すようになったそうです。


 その際、


『その方達は未開の者共であるから、好き放題に生きておるが、人は秩序をもって生きなければならない。

 我等は米の作り方や人としての守らねばならぬことを教えるので、(すなお)に従い、礼を身に着ければ、大和(やまと)臣民(しんみん)としてやろう』


 そのようなことを言って来たそうで御座います。


 誇り高い我等の祖は、当然そんな話には乗らなかったと思います。すると大和(やまと)は、武力を以て我等の祖を追い払おうとして来ました。

 先ほども申し上げました通り、我等の祖は小さな部族に分かれており、お互いの連携も無かったので、次第に東へ北へと追いやられたのです。


 戦いに敗れ、大和(やまと)に下った者達も多くおりました。しかし、一旦下った者達の多くが、反乱を起こしました。


 それは、自分達の祭や毎日の行いを認めて貰えず、すべて大和(やまと)風にするよう強制されたばかりでなく、大和(やまと)(たみ)と同じく口分田(くぶんでん)を与えるので、野蛮な狩りなどせず農作業に専念するようにと言いながら、多くは、()せて、米どころか桑さえも育たないような土地を与えたからで御座います。


 ……いや、申し訳御座いません。大和人(やまとびと)である六郎様や朝鳥殿にはこんな話は面白くは御座いますまい」


「いや、我等が思っていたこととは大分違うが、(みこと)らから見れば、そういうことであったのかのう」


 朝鳥がそう言って頷いた。

 これを、大和側から見るとどうなるか、日本書紀にこんな記述がある。


『中でも最も強いのが蝦夷(えみし)である。蝦夷は男と女が雑居して暮し、親子の礼儀を知らない。

 冬は穴に住み、夏は木の上で暮らしている。

 (けもの)の皮を着て動物の血を好み、兄弟は仲が悪くて争ってばかりいる。

 山を登る時は鳥のように速く、獣のように野原を駆けまわっている。


 人から恩を受けてもすぐに忘れるが、人に恨みを持つと必ず仕返しをする。

 自分の身を守ったり、仕返しをするためいつも頭の髪に矢を差し、刀を隠し持っている。


 仲間を集めては、朝廷の国境に侵入して農家の仕事を邪魔し、人を襲っては物を奪ったりして人々を苦しめている』


 これは、景行天皇(けいこうてんのう)蝦夷(えみし)の平定に向かう息子の日本武尊(やまとたけるのみこと)に語ったとされる有名な言葉である。


 しかし、もちろん、日本武尊(やまとたけるのみこと)は架空の人物だし、この文章自体も、日本書紀編纂に際して、漢籍の記述を引き写したもので、全く架空の描写で蝦夷(えみし)の実態ではない。


 蝦夷(えみさし)とはこんなに野蛮な者達だと言うことを強調し、自らを正当化しているに過ぎない。


 蝦夷の方にしてみれば、平和に暮らしていたところに、いきなりやって来て植民を始め、言うことを聞けと言われた訳だから反発しない方がおかしい。

 だが、当時の蝦夷(えみし)祖真紀(そまき)の言葉に有る通り、少数の集団が分立している状況だったから、組織立った抵抗運動は出来なかった。


 一方の大和(やまと)王権側も、大部隊を動員して、軍事力で制圧したという訳でもない。植民をするために柵を設け、蝦夷を追い出し、小規模な抵抗を制圧しながら、従うなら許すと説諭(せつゆ)を加えて行ったのである。


 その“説諭”に応じない者達を、“まつろわぬ者”として排除して行く。言わば、緩やかな侵略を古代より繰り返していたのだ。


 朝鳥が、


「六郎様」


 と千方に呼び掛けた。


「なんじゃ?」


将門(まさかど)をどう思われますかな?」


「将門?」


 千方はなんのことやら分からず、朝鳥と言う男、突然分からぬことを言い出す男だなと思った。


「父上が討った朝敵であろう」


「はい、左様で。千晴(ちはる)の殿からの便りに寄れば、京での大殿の評判は、それはそれは大したもので、都を震え上がらせた朝敵を討った大将軍ということで、(わらべ)に至るまで知らぬ者は無いほどだそうで御座います」


()も有ろう」


「何でも、近江(おうみ)の辺りで大百足(おおむかで)を退治したという話まで、(まこと)しやかに語られているとか」


「父上は近江(おうみ)に行かれたのか?」


「いえ、少なくとも将門追討(まさかどついとう)後は、西国(さいごく)畿内(きない)などには足を踏み入れてはおりませぬ。そんな所へ行ったら、それこそ太政官(だじょうかん)の思う壺に御座います。

 将門(まさかど)の方は都でその首を(さら)されましたので、鬼のような形相をした絵が描かれているそうに御座います。


 ところが、ところがです。この坂東には、討たれたのは実は影武者で、将門(まさかど)は今も生きていて、山に隠れて世直しの策を練っていると信じている者達もおるのです。

 下総(しもうさ)常陸(ひたち)武蔵(むさし)足立郡(あだちごおり)辺りには多いと聞きます」


「何と、()しからんではないか。そのような者共、何故(なにゆえ)ひっ捕えんのか」


 千方は()きになって言った。


(たみ)達が待っているのは将門(まさかど)では御座いません。(たみ)達の苦悩を救う、架空の救世主に御座います。

 

 将門(まさかど)の乱が成就して(まつりごと)を実際に行っていたとしたら、あるいは、(たみ)たちの怨嗟(えんさ)(まと)になっていたかもしれません。そう思えばこそ、大殿は将門(まさかど)を討ったのです。都には都の思惑があるように、坂東には坂東の思惑が有ります。まして、大和(やまと)蝦夷(えぞ)ではものの見方が逆であっても不思議では無いと言うことで御座います」


 朝鳥の言うことは、千方には良く分からなかった。しかし、何やら、草原(かやはら)の祖父が言っていたこととどこか似ていると思った。


「続けられよ、祖真紀(そまき)殿。決して不快とは思うておらん」


「それでは、お言葉に甘えて続けさせて頂きます」


 祖真紀がまた話し始めた。


大和(やまと)は我等が祖先の反乱を恐れました。その対策として、恭順(きょうじゅん)した者達を従わぬ者達と戦わせること、反乱の恐れのある者達をばらばらにして、各地に分散させることなど、我等の祖達の力を削ぐことに力を入れ始めたのです。

 そして、反乱の規模が大きくなると、大軍を以て制する策へと変わって参りました。

 それに連れ、(ようや)く我等の祖も、複数の部族が連合して大和に当たるようになって参りました。


 伊佐西古(いさしこ)諸絞(もろしま)八十島(やそしま)乙代(おとしろ)といった首長達が、徐々に部族を纏め、今までより多くの集団で大和(やまと)に当たるようになりました。


 一旦、大和(やまと)に下った者達が、その扱いに耐え切れず反乱を起こし、我等の祖の許に戻って来たことが、大和(やまと)を知るための貴重な情報源となりました。

 ですが、やはり、それぞれの立場と思惑があり、ひとつになったとは言えませんでした。しかし、その後間も無く、皆をひとつに纏めることが出来る偉大な男が現れたのです」


「今も語り継がれるあの男じゃな」


 朝鳥が口を挟んだ。


「はい。大和(やまと)では、賊の首魁(しゅかい)として語り継がれているので御座いましょうが、我等に取っては一大英傑で御座います。


 その名を阿弖流爲(アテルイ)と申します。

 

 阿弖流爲(アテルイ)はある首長の息子でしたが、若い頃から、その武勇を他の部族にも知られる勇者でした。

 しかし、ただそれだけでは無く、自分の損得を超えて、困っている部族があればこれを助け、自ら出来ないことは他の首長を口説(くど)いて助けるよう促す。

 そして、首長達を積極的に尋ね親交を深め、一致して大和に当たることが必要なことを、折に触れて説いて回わったそうです。

 互いに敵対する部族を仲直りさせようとして、暗殺されかかったこともあったそうで御座います。


 阿弖流爲(アテルイ)の話に耳を傾ける首長が徐々に増え始め、伊佐西古(いさしこ)諸絞(もろしま)ら大物首長達も阿弖流爲の後押しをしてくれるようになり、遂には、阿弖流爲(アテルイ)の父も息子の力を認め、まだ壮年だったにも拘わらず首長の座を阿弖流爲(アテルイ)に譲り補佐に回ったそうです。


 こうして、我等の祖達も、すべてとは行きませんでしたが、(ようや)日高見(ひたかみ)の者達が団結して大和(やまと)に対抗するようになったので御座います。


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