プロローグ
「……ねぇ、海藤さん」
「どうした、真司」
「今日、俺、研修だって聞いてきたんですけど」
「そうだな、そう伝えた」
「研修の内容は」
「目の前に何が見える」
「マシンガンを持ったヤクザが見えます」
「そいつらを潰す」
「マジすか」
「マジだ」
――どうしてこうなった
2050年の日本は、就職活動においては近年まれにみる売手市場の年だったと言って良いだろう。
内定率はこの30年で過去最高を記録し、ニューストップに上るのは景気のいい話題ばかりだ。
暴力的な気温にもかかわらず、かっちりとスーツを着たアナウンサーが、喜ばしいですね、と当該のニュースを締めくくった。
「喜ばしいことあるか、俺を見てモノをいいやがれ」
スマホを見ながらひとりごちる俺の目に映るのは、お祈りメールの山、山、山。
「やばいな、一次選考すら通らない」
額を流れる汗は、不採用の焦りかクーラーが壊れて蒸し風呂状態の部屋の中にいるせいか。両方だ。考えるまでもない。
「クソッ」
ベッドに飛び込もうと思ったが、やめた。汗だくの状態で寝ころぼうが、不快感しか得られない。
水風呂でも入ろう。イライラが多少は解消するだろう。採用のほうはどうにもならないが、不快の原因の一つくらいは消しておきたい。
べったりと張り付いた汗が気持ち悪い。服を脱ぐにも難儀する。ああ、そういえば洗濯もしていなかった。ちくしょう。段取りの悪さに自分でもイライラする。
芋虫のように体をくねらせ、やっとこ服の上を脱ぐ。アナウンサーは政治家の贈賄事件のニュースを読み上げ始めたところだった。
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キュルキュルと不快な音を上げながら、ハンドルを回す。
シャワーの水は、火照った体を急速に冷やしていく。
頭から盛大に水を被りつつ、俺は目を瞑りながら考える。
「どうしてこうなったのか」
わかりきっている。過去の過ちのせいだ。誰のせいにもしようのない、自分だけの過ち。
あの時ああしておけば。なぜあそこであの行動ができなかったのか。
思考は碇を外した小舟のように、行ったり来たりを繰り返す。
終着点を持たない問答は、結局体の震えとともに終わりを告げた。
たっぷり5分間は冷水を浴び続けていたようだ。いくら真夏といえども、体が冷えることにはしょうがない。
「結局、どうだろうと頑張るしかないよな」
水を浴びた程度で何が変わるわけではないが、まぁ気分転換にはなったと気持ちを奮い立たせる。
気落ちしている暇があれば、エントリーシートの一つでも書かねばなるまいと、俺は昨日も使ったタオルで体をふきながら、決意を新たにした。
裸のまま部屋に戻ると、スマホが点滅している。
既存で面接を受けていた会社は、全滅したはずだと思いながら、ロックを外す。
点滅の原因はメールだった。
宛先:夜明け株式会社
題名:【一次選考合格のお知らせ ならびに最終面接のご案内】
本文:この度は、履歴書のご提出、誠にありがとうございます。
書類選考の結果、佐渡嶋様には、ぜひ次の面接に進んでいただきたいと考えております。
面接に進んでいただける場合は、メールにてご返信いただければ、
日時を追ってご連絡いたします。
「おっ、おおっ?」
まさか。
シャワーを浴びたせいか?と勘違いするほどに、タイミングの良いメール。
夜明け株式会社。聞いたことがない。もちろん申し込みなどした覚えもないが、おそらく記憶違いだろうとかぶりを振る。
ゆうに200社は会社にエントリーシートを書いた。単純に頭から抜け落ちてしまっただけかもしれないし、もしかしたら間違えて送ってしまったのかもしれない。
そんなこと知ったことではないのだ。まずは一次選考の合格を喜ぼう。何もかも、それから考えればいいじゃないか。
ふと、開け放していた窓から風が吹いた。カーテンを巻き上げるほどの強い風が、裸体をなぜる。
この気持ちよさは合格のうれしさか、湿った金玉を風が乾かしたからか。両方だ。考えるまでもない。