専ら力量を貴ぶべし
●専ら力量を貴ぶべし
魏武とは三国志の曹操の事である。
曹操は、どんな問題が有っても、才能が有れば必ず登用すると天下に公言し、ただ能力だけを求めた。
人格的に難有るしちめんどくさい者だろうと、当時は人非人扱いされた道徳的行状に瑕のある者であろうと問題にしなかった。
曹操の敵・袁紹に仕えた陳琳が、
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曹操は贅閹の遺醜にして、本より令徳無く、
漂狡鋒侠、乱を好み禍を楽しむ。
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と言う自分ばかりか父や祖父まで腐しまくる檄を飛ばした時も、一言文句を言っただけで許したくらいだ。
因みに贅とは中国では禁忌である異姓養子を意味し、閹とは当時政治を壟断していた宦官を示す。
陳琳は曹操を指して、当時の常識では有り得べからざる背徳と、王朝にとって必要悪故に排除出来ない悪徳を掛け合わせた忌むべき存在だと決めつけたにも拘わらず、曹操は彼を重用した。
「魏武であるか……うーむ」
唸り、それでも意を決して
「では何を成せば良い。苦しゅうない、存念を申せ」
と、ご下問される大樹公様は。右から左にゆっくりと見渡しながら、こう言った。
「皆も聞け。良いか? 今よりこの場は、無礼御免。誰が何を申しても一切構い無しとする」
ならばとわしも腹を括り、
「卒爾ながら」
と矢立を執って建白を懐紙に書き付けた。
世が変わり、しかも制度疲労を起こし硬直した大樹公家の制度では、恐らくは容れられないものであると知りながら。
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難事なれど、臣が胸裏に百万の兵。不日に師を整う荒療治有り。
関東は大樹公家のご威令普く照らす地にしあれば、布衣に武芸達者の者多し。
上様手づから、新たに壮士を募り、新たに組を撰ぶべし。
兵士を撰ぶに当り、断じて寒門下衆下郎を厭うべからず。無頼の徒・匹夫と雖も志を奪うべからざる事。
斯かる上様の御親兵において。
陪臣・雑卒・御家人・草莽を問わず、同様に相交じり、専ら力量を貴びて、堅固の組を養うべし。
また、メリケンにミニットマンなる地水師の兵士これ有り。
右は土州一領具足の如く、平生田畑を耕し、一朝事あらば、直ちに鉄砲撃ちの兵として馳せ参じる者なり。
これに倣いて、上様に忠義ある土地土地の草莽を取り立てて、新たに郷士の隊を創るべし。
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つまりだ。
難しい事だが、わしに荒療治だがすぐさま百万の軍隊を生み出す妙案があります。
関東は直轄領が多く、庶民は大樹公様の民としての誇りがあり武芸を身に付けた者が沢山居ます。
だから大樹公様が自ら兵を募り選別して新しく部隊を創設するのが宜しいでしょう。
兵士を選ぶに当って、身分で除外してはいけません。大樹公様に忠節を尽くしたい者を取り立てるべきです。
こうして創った親衛隊においては、出自を問わず能力だけを重視して、強い軍隊に仕立てましょう。
また、アメリカにはミニットマンと言う、民の中に兵を隠した土佐の一領具足のような民兵がいます。
これに倣って、あまり金を掛けずに非常時に集められる兵士を増やしましょう。
と言う事だ。
旧来の考えにある者達にとってわしの建白は、祖法である入り鉄砲の禁を冒したり身分の垣根をぶち壊したりする言語道断のもの。
果たして大樹公様からも、
「そこまでやらねば駄目なのか?」
との声が漏れた。
わしは睨みつける彦根中将様に顔を向け、
「祖法は、大樹公家が天下の為に作られしもの。
断じて祖法の為に、大樹公家が建てられたのではございませぬ」
と言い放ち。
「聞けば、癸丑の年。国難に対し恩顧の旗本八万騎に、若隠居して幼少の当主を立てる者これありと聞きました。
先代様が旗本達をお召しになられたところ。三十路に届かぬ壮丁が、十にも満たぬ嫡男に家督を譲り渡し、御前に参上仕ったのは、急ぎ前髪を落とした七五三の童子などと言う家もあったとか。
帳簿の上では兵足り得ても、訳も判らず罷り越した童子を戦に駆り出しては、武家の棟梁たる上様の面目が立ちませぬ。
それよりは。腹這う虫の賤が身たれとも、上様への忠節これあらば翼を恵み、
弓執りて上様の御先を行く栄を、太刀帯きて上様の馬前を護る誉をお与え下さる方が宜しいかと愚考いたしまする」
つまり、
黒船が来た時、旗本達の中には隠居して幼子を当主に立てた者が居ると聞きました。
先代の大樹公様の前に遣って来たのは、七五三を祝うような歳の子供と言う家もあったとか。
帳簿の上では数が集まっても、訳も判らず遣って来た幼児を戦いに行かせるなど出来ません。
それよりは、身分の低い者であっても大樹公様に忠誠を誓う者を採用し、
上様の為に戦う栄誉をお与え下さるのが宜しいかと思います。
と、一気に自説を捲し立てた。
そこへ、
「駄目なのだ! それでは駄目なのだ!」
横手から異議ありの声が上がった。





