嚢中の錐
●嚢中の錐
前世で聞いた話だ。
日本で洋式軍隊を創ろうとした時。家柄がどうだ。先祖の手柄がどうだ。長幼がどうだ。
と頭の痛くなる話があったそうだ。
一番困ったのが軍帽で、髷が邪魔で被れない。
仕方なしに泣く泣く切った所、親兄弟親戚一同から勘当の憂き目に遭う者が出た。
長らく身分によって髷の形が定められていたから、それを切るなどとんでもないと言う理由からだ。
馬に乗るため上士の兵科だと思われていた騎兵や、算術達者な英才でなければ務まらぬと思われていた砲兵でさえこの騒ぎ。
まして鉄砲担ぎの足軽と思われていた歩兵なんぞは、志願者を集めるのも難渋したと言う。
「この為。騎兵・砲兵はまだしも。恐らく歩兵に志願する旗本は居ないのではないかと思われます」
推論の形を取った、前世の経験に基づくわしの説明に唸る面々。
純粋に感心する大樹公様や、思い至る節があるのか先ほど異議を唱えた彦根中将様まで真剣な眼差しでわしを見つめる。
「困ったものだ。下手をすると無宿者や博奕打ちや火消連中から掻き集めた兵に、国の安危を委ねねばならないと言う事か」
「はい。恐らくはそうなろうかと。
無頼の輩は信用のおけない者が多くございますが、中には背骨のしゃんとした者もございます。
世が世であれば槍一筋で天下を切り従えた剛の者も、太平の世では己が力を持て余し、世を拗ねて無頼のドブに身を沈めておる者もおることでしょう。
権現様が、太平の為長子に継がすべしと定められて後。ただ次男三男に生れ落ちたそれだけが為、可惜方丈の庵に王佐の才を埋もれさせる者もございましょう。
この登茂恵とて、男に生まれれば布衣の蒼生に埋もれ、こうして上様の御前に見えることなどありはしなかったと申し上げ奉ります」
「うむ」
と頷く大樹公様。彦根中将様は顔を顰めて何やら思案しているように見えた。
――――
遂をして蚤く嚢中に処るを得しめば、
乃ち穎脱して出でん。
――――
わしは漢籍の一節。毛遂自薦の条を諳んじてから話を続ける。
「私はご府中まで供した者より耳にしました。
江家家臣の義卿殿は、嚢中の錐の例を引き出でて、
『なども悔しや。
癸丑の年、羽林の大樹が嚢中にありたまはましものを』
と、嘆いておられたと。
私には、羽林なる御方がどなたであるのかまでは存じませぬ。
されども義卿殿が仰るならば、きっと王佐の才に恵まれた御方なのでございましょう」
実際、わしは道中で聞かされた。義卿殿が常々、
「どうしても残念無念である。
黒船が来た時、羽林殿が大樹公様の嚢中におわしなさったのならよかったのになぁ」
と溢していたことを。
その赤鬼羽林なる者が義卿殿を、国事犯として連行を命じて来たと言うのにも関わらず。
「ふぅ~」
拝謁の広間から、方々が大きく息を吐く音が聞こえる。
「私事に非ず。今となっては是非も無しか」
静まり返った広間に、わしの耳が捉えた彦根中将様のつぶやきの声。
「では、登茂恵。そちは如何致すべきと心得る」
大樹公様が具体案を聞いて来た。わしはここぞとばかりに、前世の明治政府が行ったことを、なるべく聞き入れやすい形で提示する。
「お惧れながら。父が家臣・義卿殿は、自分を誅する為に運ばせる羽林なる者が、なにゆえもっと早く用いられて居なかったかを嘆きました。
黒船の使いと互角に渡り合える程の大丈夫、大出来者が長く野に埋もれていらしたからです。
ですから私は。新たに取り立てる兵士は、長子と言う柵を取り払い、唐の魏武に習いて募るべきと愚考致します」





