偏諱拝領
●偏諱拝領
「苦しう無い。皆の者、面を上げよ」
どうしてこうなった?
首尾良くわしは、大樹公様お抱えの別式女・瀧様の引率で、八重殿と並んで大樹公様の御前にいる。
奥ではなく表も表、ご老中やご祐筆の臨席する広間でのご対面。
陪臣の娘である八重殿なんぞは、緊張のあまり立ち振る舞いがカラクリ人形。
武士の娘故、恥辱に遭えば凛とするであろう。されどこのような栄に浴すのは想定外も良い所。
しかも横手にはご主君の肥後守様。差し詰め尋常科の子供が父兄参観をされている気分なのであろうか。
「会津羽林家砲術指南役・相応斎が妹・八重。
鉄砲修行見事なり。よって格別のお計らいを以て、大樹公様より偏諱を授ける」
「今の名を八重と申す故、訓みを変えずとも済むよう、御事には家の字を与える。
八の文字に替えて用いるが良い」
びっくり箱のように、心臓が跳ね上がったかのように見える八重殿の顔色は真っ青だ。
ガタガタと震え、漸くの事で口を開いた。
「めっ滅相も無え。家は大樹公家の通字じゃねぇか。
陪臣の娘が上様の通字拝領するなどどんでもござらねぇ」
偏諱の拝領を断るのは非礼ではあるが、確かにこれは遠慮して然るべき話。
誰も咎める者はいない。
それどころか、
「あいや上様。陪臣の娘にお家の通字とはお戯れが過ぎます」
「左様でございまするぞ。娘は可哀想に、血の気が失せておるではありませぬか。
これでは公家どもの位討ちも同じ。名前負けで潰されてしまいまする」
と、重臣方から苦言が呈される始末。
しかし、多分これは大樹公様の八重殿への心遣い。辞退を想定したリップサービスだ。
だからすぐさま本命が出る。
「ならば、茂の文字を遣わす。八の字に替えるならば、茂りて重る佳名と成ろう。これよりは茂重と名乗れ」
「有難き幸せ」
平伏する八重殿改め茂重殿。こうなれば是非も無かった。
次はわしの番かと身構えると。
「江権中将が女・長姫。幼少の身にも関わらず武芸鍛練殊勝なり」
ここまで言って大樹公様は辺りを見回した。
周囲から、お褒めの言葉すら苦々しく思う視線が注がれている。
「長姫。心して聞け。
御事の家は治部に騙され権現様の敵に与している。有体に申せば賊の総大将じゃ。
故に譜代は江家を信じぬ。判るな?」
「はい」
「よって今ここで予に誓え。
長姫。御事は予の家人たるか?」
「上様の別式女を望む以上。上様に歯向かう事はございませぬ」
差し障りなく答えて置く。しかしまだお歳ゆえ稚気の残る大樹公様である。
「それは予一代の事か?」
意地悪な質問で返して来た。
「元より。別式女は一代抱えにございます」
そっちがそうなら。暗に、御恩奉公はわしと大樹公様一代に限ると応待する。
「左様か」
と呟いた大樹公様は、
「ならば、巴御前の如くありたいとの願い。嘘偽りはないか?」
「真にございます」
他に答えようはあるまい。
「ならば、御事に予が『茂』の文字を遣わす故、武の高嶺を攀じて見よ。
義仲が便女の訓みを採り。高嶺を攀じる『登』の字と、予の偏諱が『茂』の一字。そして『恵』の三文字を揃えて、これよりは登茂恵と名乗るが良い」
捲し立てる大樹公様に
「有難き幸せ」
と深々と頭を下げた所で。これで終わりかと思っていれば、
「登茂恵。
幼少ながら、殊に剣付き鉄砲術は一流を名乗るに値すべきものと見ゆ。
よって剣付鉄砲を下賜し、府中にて持す事を許す。
また修行の為、街道往来勝手を許す」
などととんでもない事を言い出した。
騒然となる謁見の場。
「卒爾ながら!」
最も上席に座る男が異議を唱えた。





