大樹公の黄金水
●大樹公の黄金水
「苦しゅうない。面を上げよ」
三度言われてゆっくりと顔を上げると。一段高い奥の畳に、笏を持ち威儀を正して足裏を揃えて座る男。
まだ若い。本当に若い。数えの十四と言うから、平成の御代で言えば中学生くらいの若さだ。
当代の大樹公様は、権現様から数えて十四代目。
元は大樹公家の御連枝、御三家は紀州侯のお家柄だが。ご府中で生まれ育ち、四歳で家督を継いでから一度もご領地の土を踏むことなく大樹公に就任なされた方と聞く。
「長姫、これを遣わす。美味なるぞ」
長姫とは誰の事かと首を傾げる。
八重殿は陪臣の妹ゆえ姫と呼ばれることは無い。ここには女の茶坊主である御坊主を除き、女はわしと八重殿二人しか居らぬ。
ならば消去法でわしの事かと頭を下げると、御坊主がわしの手元に膳を運んだ。
白磁の徳利に入った冷たい飲み物だ。
「酒では無いぞ。黄金水じゃ。遠慮せず飲むが良い。霊薬ぞ」
「頂戴致します」
添えられた白い小さな杯に注ぐと、少しとろみのある澄んだ淡い飴色の液体だった。日に透かすと、確かに黄金色に輝いて見えよう。
さて。口に含むとほんのり甘い。なんと表現したら良いのだろう? 敏感な子供の舌に感じる物は。
その正体を確かめようと目を瞑り舌の上で転がした。
すると幽か。ほんの微か。
多分大人だったら感じる事の出来ないほど弱く小さく。遥か遠くで霜が降りる音のような苦みを覚える。
「これは葛水。葛は……吉野の本葛にございますか?」
「ほう? 判るか」
大樹公の嬉しげな声。
「甘味は四国は讃州和三盆……?
いいえ、ならばもっと深く舌に滲みてくることでしょう。また斯様な苦みはございませぬ。
恐らくこれは、伝えに聞く甘葛煎にございますね」
それはメイプルシロップのように、秋を彩る蔦から採った樹液を煮詰めて作った甘味料だ。
「よう判るのう。葛を湯に溶かし甘葛煎を加えて冷まし、器を井戸に浸けて湧き水の如く冷やした物じゃ」
「なんと!」
驚きの声を上げると、大樹公様は得意げに語る。
「水は櫻の井の名水を取り、黄金を煮詰めし物。葛は吉野の本葛にて、味煎は紅葉するツタを男を知らぬ少女の息吹で絞り出し、七度薄絹で濾してとろ火で煮詰めた逸品じゃ」
流石天下を治める大樹公。手間の掛け様が違う。
「ん? どうした? お八重も飲むが良い。それとも、甘い物は苦手であるか?」
「いえ。そだこどは……」
御前に召され狼狽している八重殿は、はっとしたように慌てて言った。
「ならば飲め。予が御事らを召したのだ。苦手とあらばいざ知らず、振舞いを断るは無礼と言うものじゃぞ」
「は、はい。有難ぐ頂ぎます」
「そうじゃ。御事らは予の客なれば、そうおこづくでない。
長姫を見倣うて肩の力を抜くが良い」
ガチガチに緊張し声も裏返って入る八重殿。しかしこれは随分な言い様だ。
力むなと言われても、普通の人間なら身分を考えると難しい。
「お恐れながら……」
「どうした?」
わしは八重殿の為に口添えをする。
「上様は御身を前にして震えるなと仰せに成りますが、八重殿は世慣れぬ数えの十七、八の娘にございます。
ならば上様の威に固まるのは致し方無き事にございまする」
すると大樹公様は
「ははは」
と愉快に笑い、
「つ離れしたばかりの御事がそれを申すのか」
とわしの顔を見た。
因みに『つ離れ』とは、十歳以上の謂いである。
一つ二つと数えて九つまでつの字が付いて行くが、十より先は付かぬからである。
大樹公様はやんわりと、まだ尻の青い小娘が利いた事をと言ったのだ。
「私は別式女を志す国主の女。八重殿は兄に随うて参られた陪臣の娘。
何れはご尊顔を拝し奉りたいとお召しを待ち望んでおりました私と、突然の果報に戸惑う八重殿を比べるのは如何かと存じ上げます。
稚さき童と雖も、覚悟あらば灸の熱をものかはと堪え。
剛毅の武士と雖も、不意を突かれれば爆ぜた火の粉に悲鳴を上げるは道理にございましょう」
怖じず直言するわしに大樹公様は、
「なるほど。文の通り肝の据わった娘じゃな。
寧ろおこづくなと言わねば成らぬのは、御事の方であったか」
調子づくなとばかりに、目付き鋭くわしを睨む。
「出会え!」
大樹公の下知と共に、すたっと開く襖。壇に近き畳がこちら側に向けて跳ね上がる。
横手から畳の下から、跳ね上がるように現れたのは薙刀を持った女達。
油を塗った様な薙刀の刃が妖しくピカリと耀いた。





