後世の後知恵
●後世の後知恵
「ゲベールですか」
「火縄が無ぐども撃でる最新式の鉄砲だ」
確かにゲベールは火縄の要らぬ燧発銃。火打石の火花で火薬に点火する方式の銃だ。
しかし実の所、この時代の感覚を以てしても到底最新式とは言えない、前時代の遺物なのだ。
ゲベールはあちらの言葉で小銃を意味する単語だ。
マスケット銃の一種で、銃身にライフリングが施されておらず、弾も種子島と変わらない丸薬のような代物である。
しかも種子島でさえ持っている照準を持たぬ先込め式で、敵の集団に向けて戦列歩兵が公算射撃を行う為に作られた銃に過ぎない。
尤も開国まで日本の知らなかった銃剣を備え、しかも銃剣装着のまま発射できるよう改良されているから、海外事情を知らない者達にはとても画期的な物に見えているのだろう。
確かにこの手の小銃はナポレオン戦争までは役に立った。しかし、化学と工作技術が目まぐるしく発展している今と成っては時代遅れなのだ。
ちゃんと海外の文献に目を通して居る者ならば知って居る。現在の最新式はミニエー・ライフルなのだと。
ミニエー・ライフルとは銃身内部の施条、即ちライフリングが弾に錐揉み回転を与えて弾道を安定させる銃である。
従来の弾は野球のナックルボールと同じ理屈で弾道がブレる。しかし施条銃で撃たれた弾は、回る独楽の心棒が揺るがぬように弾道が安定して真っ直ぐ伸びる。
結果として狙い易く中り易い銃となるのだ。
実はもっと昔から施条銃は存在はした。しかしミニエーより前の物は重大な欠陥があった。
僅かでも大きくすると支え、僅かでも小さくすると無駄にガスが抜けてしまう。そんな装填の難しい大きさの弾を、槊杖で押し込んで装填するのだ。
弾が詰まって銃身を破裂させる危険すらあり、しかも第一弾で丁度良い太さであっても、二段目以降火薬の滓が銃口を狭めてしまう。
これを解決したミニエー弾とはいかなる弾か?
――――
・鉛製で銃の口径より僅かに小さいドングリの様な形。
・横に三条の凹凸を持つ窪みを持ち、円錐形に抉られた弾の裾。
・その窪みに嵌め込まれたコルク。
・発射の際、コルクが押し出され弾の裾を押し広げる。
・広がった裾が施条を噛んで錐揉みに飛び出す。
――――
箇条書きに列挙すればこれだけの事だが、それ以前の施条銃に存在した問題を根本解決した革命的な銃弾なのだ。
「そんだがら外国の兵は。列士満で言う隊列作り鉄砲撃ぢ、相手の陣崩した所さ銃剣揃えで吶喊し、勝敗決するのだ」
わしの為と思って親切に、彼女にとっては画期的な戦術を教えてくれる八重殿。
「なるほど……」
相槌を打ちながら、わしは拝聴する。
「種子島では火散らすから、あまり隊列詰めるごどはでぎねぇ。げんともゲベールだら、騎馬で乗り入れで来でも列士満で方陣組んで、弾込めだまま銃剣で槍衾作れます」
全ては答えを知った者の後知恵に過ぎないが、八重殿の語る用法は旧来のもの。それは一世代前の戦争だ。
一人前と目される腕前の者が、ゲベールで人を狙って十中五を中て得る距離は凡そ一町。
対してミニエー弾を用いる施条銃は十町にも及ぶ。
有効射程を従来の十倍にも伸ばした施条銃。この圏内に入った者の運命は……。前世の史実では、南北戦争を戦ったアメリカ人の血を以て証明された。
施条銃を構えて待ち受ける相手に向けて、隊伍を組んで前進など自殺以外の何物でもない。
しかし今世では未だ実戦証明されておらず、欧米列強の戦闘教義はナポレオン時代と変わらない。
実際に前世でも、西暦一八四八年に終結した米墨戦争は、アメリカがナポレオン戦争と変わらない用兵でメキシコに勝利を収めている。
但しそれは後の世より顧みると、西暦一八六六年のリッサ海戦が衝角攻撃で戦いを決したのと同様に、旧時代戦術の最後の栄光と成った。
勿論そんな事を八重殿が知る筈も無い。加えてわしの数えの十の外見から、白寿を超えた老爺の中身は窺い知れる訳がない。
実の所、精神が若い体に引っ張られている部分もあるにはあるが、わしとて伊達にあの戦争を生き延びた訳ではない。近代戦を下士官・将校として闘い抜いた知識と経験は生きている。
驕るなわし。慢心は戦死の前触れだ。
正解を知る者の後知恵と百年の春秋が無くば、必ずわしも八重殿のように考えるだろう。
なぜならば。如何に鉄砲の腕前が優れて居ようと八重殿は、西洋事情を知らぬ者でありまだ初陣前の娘なのだから。
「そうなのでございますね」
こうして暫く八重殿の話を聞いていると、
「上様のお成りぃ~」
声と共に襖が開かれた。





