真剣だったら
●真剣だったら
トンボで肩口を切り下げるわしと大上段から放つトシ殿の剣の軌道がすれ違う。
「おおっ!」
トシ殿に驚愕の色が走る。さもあらん。斬る時一瞬足の止まるトシ殿と比べ、わしの足は止まらぬだから。
わしの修練した剣術は一般に、木刀で真剣を圧し折ったり相手の刀ごと身体にめり込ませたりと、二の太刀を考えぬ殺しの剛剣で有名だ。しかしその真骨頂は一瞬たりとも足を止めず駆け抜けながら切り伏せる所にある。
大砲の如く、己が身を弾として敵陣を貫く為の剣術だ。
ほんの僅かな停止。その停止が上背と腕の差を埋めた。止まらず鍔を叩き付けんとするわしの剣に、刹那遅れたトシ殿の剣。シュッと平を滑らせて入り込む刃。
だがトシ殿は身を寄せて、打ちに来るわしの懐低く入ってわしを腰に乗っけたのだ。そしてそのまま跳ね上げる。
つっかえて前屈みにさせられたわしは、手も無く綺麗に一回転。
だが、タダでは遣られまい。宙に舞ったわしは、トシ殿の脇腹を蹴って勢いを付け、トシ殿の予想を遥か超えた距離まで飛び離れ、前受け身に転がった勢いを利用して立ち上がる。
「止めた止めた。付き合いきれっかよ」
竹刀の先を向けながら、宣言するトシ殿。
「そうですね。このまま続ければ竹刀でもどちらかが大怪我することでしょう」
わしとトシ殿の見解は一致してお開きと成った。
「恐っさらしぃ。ガキだな。いってぇ何人斬って来た」
「まだ一人も」
今世の勘定ならば斬ったことは無い。
「ヘダラこくでね! どう見ても十人じゃ利かねぇぞ」
「いいえ一人も」
前世では何人も銃剣に掛け軍刀の錆にして来たのは確かだが、間違いなく今世では一人も殺して居ない。
「トシ殿こそ 場数をお積みになっておいでですね」
「まあな。昨今は道場乱立で、腕の拙い主が多い。その助っ人で他流試合ばかりだった。
竹刀とは言え手の内も知んねぇ奴ら相手に俺ぁ斬り慣れてる。
こ穢ねぇ剣だがよ。初見殺しの術も幾つか見取らせて貰ってっからよ」
そのままわしとトシ殿は、夕暮れ近くまで話に興じた。
「そいじゃ若様。また縁が有ったらな」
わしが一人で出歩いていると聞いて、宿まで送ってくれたトシ殿は、一番星の瞬く道を帰って行った。
「宣振。どうでした?」
距離を置いて伴をさせていた宣振に問う。
「試合やか?」
「ええ。試合の話です。門弟に混じって見ていたでしょう」
「トシ言う男けんど、幾つ引き出しを持っちゅーのか知らんが殺しの術を使う。
腰で投げる寸前、あいつの剣は、姫さんの親指を狙うちょりました。真剣やったら斬り落とされちょったやろう」
「竹刀では?」
「決まれば暫く、碌に剣を振えんと見た。
まあ、姫さんの剣に度肝を抜かれてしくじったようけんどね」
「そうですか」
流石大樹公家のお膝元。八百八町百万の都ご府中だ。人が多ければそれだけ野に潜む人材も多いと言う訳なのだろう。
「それより姫さん。ご世子様に挨拶せんでええんか?」
「届は出しておきました。
兄妹と言えど、主君と家来です。危急の事でも無ければ、呼ばれるのは明日以降となります」
同じ父の子と雖も歴として、庶嫡長幼の序による身分の違いはある。
まして次代の藩主になる兄ならば、誰がどう見てもわしが家来の身の上だ。狎れた態度が許される訳がない。
夕餉の刻。江戸屋敷より使いの者が参った。
「明日申の刻。江戸屋敷にてご対面と相成ります」
「使者殿大儀。して、この長持ちの数々は?」
わしに代わって家来の宣振が応対する。
「御前様から姫様への心尽くしにございまする。
お目汚しなれど、江家の姫とその婢らに相応しき装いなれば、普段使いにお使い下されば幸いにございます」
奥方様はわしが碌な服を持っていないと見て、恥を掻かぬよう手配してくれた。と言う訳か。
「明日未の刻。お籠を参らせます故、よしなに願い奉ります」
使者は深々と頭を下げた。





