やらないか
●やらないか
「なんでぇ摩耶っち。こっちにいたのか」
戸の向うから現れた目力のある男。
「お困りの様だから来てやったぞ。それで。道場破りってぇのはどっちだ?」
涼しい眼で摩耶殿を見るのは、大正の御代でも昭和でも、平成の頃でも令和でも。何れの時代も顔で得する美々しき若者だった。
「おい、人呼び付けといて何ぼんやりしてる。……摩耶? 摩耶っち。おい!」
無自覚に、息が掛かる程迫る男。
はっと我に返った摩耶殿は、
「ひゃ! はうっ!」
思わず退ろうとして真後ろに倒れた。
「摩耶っち……。何やってんだお前。相変らずおかしな奴だな。
おいそこの坊主。何があったか教えろ」
「坊主とは、私の事にございますか」
「他に誰が居る。……あんだよ。何か文句あっ……あ、さむれぇの子か。それもいいとこの。
若様? っつった方が良いのか?」
坊主と見るのも致し方無い。
今のわしの姿は、髪を洋紅色の布で馬の尾の如く纏めて縛り、熨斗目に染めた衣に濃淡藍縞の小倉の袴。大小二本を落とし差しにして、脛当てを仕込んだ足にピッタリの墨染の股引は、平成で言うタイツであった。
確かに当世の物差しでは、これで女と見るのは些か無理があるな。
「あ、あああ。あのう」
「あんだよ。道場破りっつってっから急いで来たんじゃねえか。こっちも暇じゃねぇんだよ。用が無えなら帰るぞ」
二人の会話に摩耶殿を見る。
「もし。恐れ入りますが、もしかして。道場破りと言うのは私の事にございますか?」
固まる摩耶殿に、
「摩耶っち……」
摩耶殿をジト目で見遣る顔の良い男。
音の無い時が流れ、突然、
「トシ様、済みませ~ん!」
土下座を通り越し、流れるような五体投地。
「やれやれだぜ」
男は一気に疲れた様に、大きなため息を吐き出した。
「で、折角来たんだ。俺とやんねえか? あんたとやり合ってみてえんだよ。
ここの門弟がびっくらこいて来るくれぇなんだ。若様、あんたも結構遣んだろ?」
わしをすっかりどこぞの若様と決めつける男の名は、歳月の歳に蔵書の蔵と書いて歳蔵殿。
多摩のお大尽と呼ばれる豪農の家の出だ。
「私は専ら一人稽古ゆえ、どれ程の腕前か判りません。一手ご指南頂けましたら幸いにございます」
「俺も似たようなもんだ。
他流を転々として、今の道場に入門したのは今年弥生の二十九日。
斬り合いならば負けゃあしねえと自負してるが、天然理心流を背負うにゃ未熟者だ。
それよりあんた。
いくらしょぼいっつってもここの門弟は、辻斬りの一太刀を外すくれぇの腕はある。
そいつが手も無く負けたとくりぁ、あんたも胸張っていい腕だぜ。
なら、立ち会わねえ道理は、ねえよ」
「歳蔵殿」
「トシでいい」
「ではトシ殿。それは買い被りにございます」
「買い被りかどうか、そんなもん手合わせしてみりゃ直ぐ判る。さぁ、行こうか」
歳の割に、まだ少し子供っぽい所もある。
「強引ですね。でも、嫌いじゃありませんよそんな人は」
女に生まれ変わっても、わしは男の心を宿している。ラッパの音に知らずこの身がしゃんとなるのは習い癖。
所作で量る腕前に、わしは口の端を吊り上げながら舌なめずりせんばかりに胸を高鳴らせた。





