攘夷の波
●攘夷の波
「めぇぇぇーん!」
裂帛の気合がそこかしこに響く。
町道場では掛かり稽古の真っ盛り。
「先生。助けちゃ貰えませんか?」
他所の道場の門弟が頭を下げに来た。
「そんでどんな塩梅だ」
「門弟が襤褸負けで、そろそろ師範代の番っすね。
今は、何戦もして疲れた相手と試合うてぇのは不本意と言い訳して茶菓を出し、時を稼いでんですけど」
「先生は?」
「留守ってえ事にしたります。
中々の手練れで、言うに事欠いちゃ纏めて束で掛かって来いと言ってんですが……」
「そいつが良いっつってんだろ、敗けるくらいなら纏めて掛かって行ゃあいい」
「そう言う訳にも行かねえ相手でして……」
「判った」
そう言った道場主は、
「トシ! 言ってくれるか」
と傍らの青年に呼び掛けた。
「いいが。俺ぁ、少々手荒いぞ。まぁぶっとばしても良い薬があるから売ったるがな」
その麗美な容姿で一等抜きん出た若者は身支度を始める。
指名されるからには、腕も道場で一、二を争う者なのだろう。
後法成寺関白が嘆いた戦国の世を、切り従えし者を三英傑と呼ぶ。
最初の一人は、天下に王手を掛けつつも非業の死を遂げ、戦前の国史がその死を悔しいと記した織右閤。
次の一人は、空前絶後の出世物語として名高き豊太閤。
そして最後の一人が初代大樹公たる権現様。
権・名・財を振り分けて何れの者にも独占させぬと言う、世人の不幸を縮める権現様の計略は見事に当たり。結果、長き太平の世が続いた。そう、あの癸丑の年。四隻の黒船が来るまでは。
あの日轟いた火砲の声に、大樹公家三百年の武運は漸く陰りを見せ始めたのだ。
とは言え、未だ大樹公家の天下は揺ぎ無い。
昨今は太平の世とも言い難く、さりとて明日をも知れぬ乱世でも無く、治乱が程行く混ぜ合わさった世相。
治における停滞した空気が薄れ、星雲の志ある若者達は自らを伏龍・鳳雛に準えて腕を摩し始めた。
ご府中に近い小柴の辺りは、内海交通の要衝として七つの潮路の交わる所。早くも異人が闊歩し始め、今ある湊では足りず対岸の村に港の建設が進められていた。
条約以来物価が上がり生活が苦しく成って来た武士は、異人に向けて不満を口にする。不満は音曲を持ち歌と成り、酒場に響く歌の声。
――――
♪英虜の酋 維多利亜
天竺までも 従えて
愛新覚羅 老寡婦を
冒して邦を 剥ぎ取りぬ♪
♪阿片に火砲 蒸気船
大清遂に 膝を折り
成らぬ堪忍 已む無しと
数多の土地を 献ずなり♪
♪先には寡婦を 辱め
今し八島に 銃を擬す
傲慢無礼 夷共
不祥の器 濫りなり♪
♪聞け大君の 大御言
見よ日ノ本に 壮士あり
いざ羶血を 盡く
日本刀に 膏しめ♪
(意味)
イギリスの女王ビクトリアはインドまでも従えて
愛新覚羅の老大国を穢して植民地にしようとしています。
アヘンや大砲や蒸気船の威力で大清帝国も遂に屈服し
沢山の土地を割譲しました。
以前には老大国を侵略し、たった今日本に鉄砲を突き付ける
傲慢無礼な外国人共が、軍事を乱用しています。
聞きなさい。天皇は外国人を排除することを望まれています。
見なさい。日本にはそれを行う血気盛んな男達がいます。
さあ日本に仇為す外国人の血を、存分に日本刀に吸わせてやりましょう。
――――
こう言った世相に、それまで娯楽の一つとして伸びて来た町の剣術道場は益々隆盛を窮め、稽古の後そこらここらで処士横議が花を咲かせるようになったのである。
雨後の竹の子のように乱立する道場は玉石混淆で、中には実力がお粗末過ぎる所も少なくない。
そんな道場主でも、そこそこ教えるのが上手ければ子供や初心者相手に手解きするのを生業として、それなりに遣って行けるのだから。





