水戸の小天狗
●水戸の小天狗
まだ二十歳前であろうか? 歳若いとは言え、月代を落とした立派な武士。
肚は据わって居ろう。けれども中身はまだ子供。自分が何を暴け出しているのが気付きもしない。
「黙れ黙れ」
と連呼する男にわしは、掌を上げて軽く押す仕草をしながら。
「そのお歳で国事に働かれると言う事は、あなた様は幼き頃から神童と持て囃されたことでしょう」
と、彼を全肯定した。法は人を見て説かねばならないからだ。火宅の内に在る子を連れ出す為には、羊車や鹿車や牛車で釣らねばならない。
さて案の定。餓えて已まない好餌を放られたあ奴は、初めてわしに聞く耳を持った。
平成の御代ならあちこちにいる、わしから見れば頼りない腑抜けた若者達。
そう、例えば高等学校にもなって興味半分で火災報知機のボタンを押すような、学校で鬼ごっこを始めるようなガキ。
程度の差こそあれ、この時代でも似たようなものだ。このくらいの歳の者は多かれ少なかれ、女に遊びに夢中になる。中にはそれで身を持ち崩す者がいるのは、この時代も同じ。
しかし彼はそんな連中とは一線を画する一握りの者。幼き日から刻苦勉励。天上に輝く唯一つの星を目指して、脇目も振れずに走り続ける者だ。
昭和のグラックスがそうであったように、幕末のグラックスである彼も人一倍の努力をして来たと見た。
しかし、えてしてこの手の者には共通の瑕がある。
有体に申せば、他の世界を知らぬのだ。そんな人間に限って先師の言葉を取り違える者が少なくない。
頭が良くても学問が有っても世間知と言うものを欠く故である。
さらに、なまじ努力の人でもあるだけに、そもそもスタートラインにさえ着くことを許されぬ者がいる事を理解できないのだ。
こう言った人間は、道を誤ると始末に負えなくなる。子供でも判る道理を解さず己が心の伽藍に誓って暴走するのだ。
その高い学識と優れた知能と、それに発する影響力の全てを使って。
「だからこそ惜しむのです。過去の怨念や今見える物だけに縛られるのを」
「わしが野狐禅に堕している。そう言うのだな」
学問があり智慧がある。そして過敏な程に頭も回る。一句でわしの言いたいことを先回りした。
仏法の修行中にまるで悟りを得たかのような超常現象を体験をすることがある。
心身を虐めた状態でランナーズハイのような状態になって起こる現象だ。
まるで狐に化かされたようなことなので、これを野狐禅と言う。
「ご明察です」
わしが肯定すると、男はゆっくりと刀を鞘に納めその場に胡坐を掻いた。
「主は何者だ?」
お前から主に格上げされ、憑き物が取れたかのような穏やかな声で男は尋ねる。
「先ほど申した通り、長門国主の女です」
「娘ぇ~! ちぐだっぺ~(嘘だろ~)!」
心から驚いたのであろう。わしには全く訳の分からぬお国言葉が口から洩れ、
「こほんこほん。済まぬ……。男とばかり思っておった。しかしその身形に立ち振る舞い。
わしと変わらぬ……いや、わしよりも武に勝る腕前」
この手の男らしからぬ、他者を認める言葉が出た。
「……そうか。わしと同じ妾腹であると言っておったな。
目指すは差し詰め、大樹公家の別式女と言う所か。
主も苦労しているな」
すでに敵対の意思は見えない。相手が好意的に成ったのだから、今はそれに沿っておこう。
「女大学は嫌いでございます。
乱においては木曽義仲が便女・巴御前。あるいは伊予の鶴姫様のように。
立花の誾千代様や忍城の戦いの甲斐姫様のように。
一手の大将となり敵を降し。
治においては佐々木の累様のように、眉も剃らず歯も染めず、袴を履いて腰に刀を差し、
手弱女ながら家を興し、己が腕で生きて見たいと思います」
すると男は相好を崩し、
「わしも同じだ。よもや主のような女子に出会うとは思わなかった」
そうしみじみと言葉を漏らした。
「わしの家は爺様の代からの士分でな。妾腹の四男など、太平の世ならば部屋住みか精々が養子先で陪臣の端にでも連なれば出世と言える程度の家柄だ。
主も国主の子とは言え妾腹。まして女の身の上だ。精々が家臣の妻が関の山だろう。
されど癸丑以来、面白く無き世が変わりつつある。わしや主のような者が面白く生きる千載一遇の機会だ」
わしを同類と見たか、滔々と喋りまくる男。
そして一頻り話し終えると、わしの手を取り押し頂く様にしてこう言った。
「どうかわしの名を覚えて欲しい。
字は孔子の子に立身の立と書いて子立と言う。
近い将来、水戸の天狗を差配するだろう男の名だ」





