幕末のグラックス
●幕末のグラックス
「惚げるな! うぬは捕り手に居だでは無えが」
咄嗟に出たお国言葉は関東よりも北。
突然の事に反応できないガキ大将や子供達を後目にわしは、
「勤皇の賊ですか」
半身に踏み出し、腰を落とし身構える。
腰の物が躾刀なのがアレだが、左手で鞘を掴んで体の正面まで帯より引き出し右手で柄を確りと握る。普通の刀なら、何時でも抜き付けに斬り付ける為の準備だ。
「あなたが大望の為世を忍ぶ身ならば、私も故あって身をやつす身。
どちらも争って利する事など何もありますまい」
話し掛けて様子を見る。所作に目配り息遣い。相手の緊張が見て取れる。
すわ斬り合いとなって身体が強張るこ奴など、未だかつて殺し合いの経験など無いと一目瞭然。
「明日立つ身です。別して、過日の如き押し込みの賊徒の真似ならいざ知らず。
かくの如き世を経め民を済う行いとあれば、邪魔立てする謂れはございません。
しかしながら、斬るとおっしゃるのなら、私が大人しく斬られて差し上げるとお思いですか?」
子供と見て侮るなよ。いくら解散寸前有名無実のポツダム大尉とは言え、わしは兵隊上がりの叩き上げ将校だからな。踏んだ場数は誰にも負けん。
わしは自分の眸が小さくなり、妖しい光を浮かべるのを自覚した。
ぱっと相手が後ろに飛んだ。子供と見ての侮りが彼の眦から消え失せ、僅かに怯えが見て取れる。
「なるほど。腕は立つようですね。水戸の天狗様」
わしの声に、
「誰だおめは……。何故知ってる」
天狗と呼んで動揺した。やはりこやつは勤皇の賊の一味に相違ない。
竜庵殿から過激な一味は薩摩と水戸と聞いているのだ、関東より北の言葉ならば必然的に水戸と知れる。
「ふふふ」
わしはにっこりと口の端を上げる。
「鬼一法眼、即ち鞍馬山の天狗に随う眷属なれば、あなたも天狗の一味にございましょう。
お国言葉は、水戸と見ました」
「ははは」
男から、なぜか安堵の声が漏れる。
「如何にも。わしは水戸の天狗である。ご府中などでは傲慢な者を天狗と呼ぶようだが……。
水戸では違う。義気あり国家に忠誠な士を指して天狗と言うのだ」
「義気ある者が何故押し込みを働くのです?」
「大義の為だ。奴らも本望だろう。銭を動かすだけで儲けている者の過ぎたる財を、天下の為天子様の為に役立てるのだ。
そも、大樹公とは何であろう?
一天万乗の帝に法度を突き付ける僭上者にして、関白の家を滅ぼした賊臣の家」
ああ。居るのだな。いつの時代にも。
昭和四十四年。そう、東大の受験が中止になったあの年だ。わしは東大を占拠した大騒ぎを忘れない。
当時から過激な者も居るには居たが。世間の目は至って寛容で、現代のグラックス兄弟とも言われたものだ。尤もこれは多分な贔屓目と、事を急ぎ過ぎるあまり、体制と対立する彼らに対する揶揄もあったのだが。
それから数えて僅かに三年。先鋭化した過激派達は僅かな意見の相違から内ゲバに及び自滅した。仲間同士で殺し合うばかりでは無く、世間の支持を失ったのだ。
尊王攘夷を声高に叫ぶ、この純粋で絶対正義を信じる目の前の男に、わしは彼らの同類を見た。
「それを申すならば、豊太閤は主君の子を弑し、天下を奪った者ではございませぬか?」
「豊太閤は、主君の血を絶やす事無く保護された。構えて血を断つ真似はしておらん。
今も織右閤の血は大名として続いているぞ」
「それを、初代大樹公・権現様より別れし家の家臣が口にするのですか?」
「高譲味道根之命様は、君臣の道を正す為、ご舎兄様と子を取り替えられた。そして正しきを説く為に、大八島の国史編纂をお命じに成られた」
男は今にもわしと殺り合わんとするばかりに、殺意を込めてわしを見る。
「危ないから、どいておきなさい」
わしの声に、
「きゃあ!」
「ひぇ!」
悲鳴と共にさっと左右に遁れる子供達。件のガキ大将も慌てて脇に逸れる。
わしはおりんを手で横へ押しやると、一歩前へ身体を進めた。