昨日のおりんの通り道
●昨日のおりんの通り道
明くる朝。外出の供としてわしはおりんを指名した。
おりんは来年の盆まで米一俵、すなわち玄米四斗で奉公に来た。
今はまだ五月だから、年季明けまで一年と三月。実際には四百日を一月分程上回るが、切りの良い所で四百日と勘定すれば一日当たり米一合。
この頃の米一升が三百文であったから、一日貸して貰う対価としてわしは女将に銭三十文の損料を支払ったのである。豆腐一丁の値が四、五十文であるから豆腐を買うにも足りぬ額だ。しかし算盤勘定としては女将に否は無い。
しかし、守り子としても甚だ心許ない歳である故、女将は一言念を押す。
「ほんまに、おりんでええんどすか? 西も東も知らへんような子どすえ」
「供の者には買い出しがある。お春にも旅の準備をさせないと成らぬのでな」
付いて来ると言う宣振を押し止めての外出だ。形だけでも供を連れる体裁を整えなければ成らないのだ。
「無事に取れたようですね」
おりんの血で付いた染みは、目立たなくなっていた。
紙子を脱がせるとやはり下は素裸であったおりんに、夜風に当てて乾かした服を着せる。
「並ぶと上はお揃いの服故、兄と妹のようにも見えますな」
「宣振。そこは姉でございませぬか?」
一応抗議はしておこう。
幼く過ぎて心許ない所はあるが、おりんがわしのお伴である。風呂敷包みを持たせ、わしの後を付いて来させる。
「それじゃ姫さん。わしは用を足しに行く。
ここは天子様のお膝元や。悪者に出遇うも、成敗するのは大概にしちょけよ」
前より見ると大分熟れて来た宣振は、あまり遠慮をしなくなった。しかし、
「言う様になりましたね。心配するのはそこですか」
どこまで馴れ馴れしくすればわしが喜ぶかを計っての一言だが、わしを何だと思って居るのだ。
「わしは姫さんの事は心配しちょりません。昼やし、酔客を返り討ちにする手練れやきね」
事実を言われると一言も無い。まあ、さもなくばわしの護衛役でもある宣振や狂介殿達が、勝手な外出を許す筈も無いのであるが。
妙な信頼をされたわしだからこそ、勝手が許されるのである。
宿に程近い橋を渡り、南へ歩く。おりんが昨日歩いた道と思われる道を進んで行く。
「あっち……。い、いいい犬。来た」
恐々とわしの後ろに隠れ、腰にしがみ付くおりん。
しかし、何のことは無い。
「わん! わん! わん!」
おりんの膝の高さに満たぬ大きさの、甲高い声で啼く仔犬だ。
「こら!」
仔犬を叱ると驚き慌て、
「きゃいんきゃいんきゃいん!」
尻尾を巻いて逃げて行った。
「昨日はどっちへ行ったのですか?」
言葉で答えず指で指すおりん。昨日と同じ道を辿る為、おりんの言う通り犬を避けて横道へ。
そこから更に進むと、
「えーと、こっち」
おりんが指し示すのは小径とも言えぬ、二つの屋敷の垣根と塀の間。
「どうして?」
「犬、来た」
つまりは追い掛けられてここへ逃げ込んだと言う事か。
道とは言えぬ通り道を、子供か猫しか通れぬ道を進んで進んで七曲り。
なるほど。これでは道を見失うはずだ。
やっとの事で道とも言えない通り道を辿って行くと、生垣の切れ目から鐘楼が見えた。
鳴る鐘の音は上がり舟でも聞いたあの音だ。今もまた、水路を進む舟に時間を報せているのだろう。若い坊さんが鐘を響かせている。
鐘を撞き終わると、若い坊さんは箒を執りて境内を掃き清め始めた。
「あ、あ、あ……」
「おりん?」
わしは不意におりんが凍り付いたのを訝しみ、声を掛ける。
震えて顔が真っ青だ。
「おりん?」
何も疚しい事をしている訳ではないわしは、再び声を掛けた。
すると、
「誰だ!」
わしの声が聞えたのだろう。誰何の声が箒の坊さんの口から響いた。





