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稚き守り子

(ちいさ)き守り子


 春風(はるかぜ)殿を伴って伏見の宿に帰ると、見慣れぬ少女が居た。

 背はわしよりも二寸は低い。歳も今のわしより幼く、数えで七つ行ったかどうか。

 尋常科の一年からそれよりも少し下に見えた。



「初めて見ますね。お名前は?」


 少し身を屈めて名を問うと、


「おりん」


 と一言だけ答えた。



 幼いせいか、それとも碌に教育を受けていないせいかは判らぬが、真面な応対が出来ていない。

 ああそう言えば。テレビ以前の幼児とはこんなものだったな。国民学校以前は、学校に通えぬ家の子は奉公に上がる年頃になっても似たようなものだった。と思い出す。


 それがテレビの普及で大きく変わった。

 さらに昭和の終りから平成の御代の幼児は、幼稚園に上がる。だからやっと襁褓(むつき)が取れたような三歳児でも、口達者な女の子ならば立派に電話口の応対が出来たりしたのだ。


 真にお恥ずかしい話であるが。その見事な応対にわしは幼稚園年少組の娘を、尋常科の三、四年生くらいかと思いこんでしまったことがある。

 そしてそれから数年後。もう直ぐ高校生のお嬢さんならばと見繕って貰った、サマンサなんとやらと言うバッグを土産に持参したわしは、先方の細君より、

「娘は小学三年生です。まだまだこんなもの早過ぎます」

 と叱られた覚えがある。



 さて。江戸から明治の女性の名前は、仮名二文字が圧倒的に多い。頭のおは美名で、名前はりんの二文字であろう。


「りんと申すのか?」


「へい」


 奉公人にしては幼過ぎるし、女将(おかみ)の縁者にしては着る物がお粗末過ぎる。

 裾が(ほつ)れ、所々擦り切れあるいは破れて肌が透けて見える上、まるで体に合って居ないぶかぶかのひとえ

 これではアン・シャーリィが孤児院から着て来た服の方が百倍は上等であろう。

 もしも縁者ならば必ずや、


「服を脱ぎなさい」


 と女将はマリラのように、お仕着せを与えるに違いあるまい。


 そんな小汚い娘に構うわしを、春風殿はまた始まったと言うような目で眺めている。



「お春。居ますか?」


 捕り物に参る前、宿で控えておくよう申し渡していた。

 今は起きていて当たり前の時刻であったため、


「へい」


 わしの声を聞いて二階から降りて来る。


「女将をここに呼んで来て、私の普段着を一枚持って来なさい」


「へい。判りました」



「こら姫様。お戻りどしたか。……どういたしたか?」


 お春と入れ違いに買い物から戻って来た女将のお登勢(とせ)が、不機嫌なわしの顔を見て尋ねた。


「この子はなんでございますか?」


「え? あ、ああ。頼んでおいた守り子どす」


「こんな自身が子守を必要とするような子が守り子ですか? いったいいくらで雇ったのです?」


 他人(ひと)の家の事ながら、危なっか過ぎて口出さずにはいられない。


「へい。来年の盆切りで米一俵どす。……確かに、ちょい小さすぎどすな」


「首の据わったか座らないかの子を任せるのは危険にございますよ。下手をするとよろけた弾みで取り返しのつかぬ事になりかねません」


「へい。ほんまに」


「悪いことは申しません。親元に返すか、汚い様をなんとかしなさい」



 この時代。当歳で死ぬ子が半分以上いた。数えの七つ、つまり尋常科に上がる歳の頃まで生き延びれた事を祝うのが、七五三の本当の意味だ。

 前世の昭和の御代でさえ、それは大して変わらない。

 戦争の痛手が残る昭和二十四年においては実に七割が、昭和三十九年の東京五輪の年になってさえ、なんと二割強が満一歳の誕生日を迎える事無く帰泉(きせん)の道を踏むことになっていたのだ。

 その原因の大半を占めるのが衛生の不備。死因は感染症によるものが最も多い。



「いいですか? 『守り子に破れ傘』と言う(ことわざ)がございます。

 大馬鹿者とか因果応報の意味で、子守奉公の子供に破れた傘を持たせる者は、可愛い我が子を雨に濡らしてしまうからにございます。

 可愛い我が子を蚤や虱に食わせ、病を寄せ付けて早死にさせたいのならば別ですが。赤子に近付けるならば、この(なり)ではいけません。

 赤子を負わせるその前に、風呂に入れて虱を撲滅し、蚤や虱の集って居らぬお仕着せを着せてやるのが上分別にございましょう」



 前世の百年。それだけ長き歳月を落ち葉と花とを超えて生きていれば、当然悔いもそれだけ積み重なる。


 破傷風や脱疽、マラリヤの熱に苦しめられて死んだ戦友達。

 当歳でチフスに罹り、呼んだ医者が引導渡しの坊主になってしまった長女・葉津子(はつこ)


 ペニシリンがあれば、サルファがあれば、DDTがあれば……。永らえた命はいかほどか?

 わしは衛生の不備の為失われた命を、些か見過ぎて仕舞って居た。


 わしは彼らの(かたき)を見つけたかのように熱が籠り、春風殿の報告そっちのけで、断固として談判していた。


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