死を賭す決断
●死を賭す決断
二条新地の親分倒れるの報せに、医者はどこだ! 薬師はどこだ! と子分たちが大騒ぎ。
戸板を用意して運び出す。その前に、
「わしは適々斎先生の門人の一人。ご府中で種痘所に携わる医師で良庵と申します」
先程、狼藉されていた男が現れた。
先祖は平家物語に一章を割かれる豪傑を討ちし男なのだと言う。
それから何代も経っているが、流石に歴史に名を遺す男の子孫だけあって、武芸はからっきしでも肝が据わっている。
離れの奥座敷。
「急に倒れたか思たら、酷い熱で」
「この傷は?」
先生は包帯の巻かれている腕を指した。
「へい。捕り物で勤皇の賊から、えーと、蓮根銃の弾を受けなはって。
あ、弾になんぞ毒でも仕込まれとったんちゃうんか?」
「これから見ます」
包帯を解くと、
「これは……」
良庵先生が胴震いした。
「短筒の弾は除けましょう。されど既に傷口が膿んで毒が回っております。今夜が峠かと」
まさかと驚き目を瞠る。てっきり手当てを済ませていると思っていたが。親分は碌な手当てもせず、弾を遺したまま包帯をしていたのか。
「せんせ。なんとか親分を助けてくれまへんか」
「毒が総身に回らぬ内ならば、腕を切断すれば助かったかも知れないのですが……」
既に手遅れだと握る拳。本当にどうしようもないのだろう。余りに強く握りしめた拳の内から、ぽたりと血が滴った。
西洋も未だ近代医学の黎明期。ようやく病原菌が多くの病の原因と判り始めて来た頃で、つい三、四十年程前までは医師や床屋が瀉血なんぞを遣っていた時代だ。
当然、蘭学者である良庵先生も時代の限界を超える事は出来ない。
因みにわしは、昭和五年に身罷られた秋山好古閣下の直接死因が、腐敗菌の毒が回ったものであると聞いている。
既に戦場に飛行機が現れ、毒ガスや戦車が誕生している時代。前世のわしが尋常科の四年生だった時代でもそうなのだ。まして石炭酸による消毒法が先進医学である今は、天命と諦めるしかない命が多い。
「せんせ。なんとかならへんのか?
このままやと必ず死ぬんなら、十中九死んだとしても、助かる目の有る荒療治はあらへんのか?」
縋る子分や芸妓達に、黙って首を振る良庵先生。
「蜘蛛の糸で宜しければ……。蜘蛛の糸ほどか細い望みで良いのならば」
悲嘆にくれる者達に、わしは言葉を投げ掛けた。
半ばぽかんとした顔でわしの方を向いた良庵先生にわしは、
「先生は適塾には寄られましたか?」
と尋ねる。
「あ、いや。牛痘を受け取りに急ぎ参ったので、まだ」
「塾頭殿を始めとする適塾の皆様に、巨勢の秘薬・猿播を作って頂きました。
今ここに、一分包みに小分けした物がございます」
わしは懐から、猿播の薬と専斎殿がご府中の種痘所に当てた手紙を渡した。
「専斎殿が? 確かにこれは専斎殿のもの。封を切っても宜しいか?」
「先生はご府中の種痘所のお方。お読みになる資格がございます」
目を通した良庵先生は、
「真ならば、数知れぬ世人を救う神の薬。しかしどんな良薬であったとしても、薬効を試さずしては使えません」
良庵先生が躊躇いの言葉を口にした時。
「ええがな」
とか細い声が割り込んだ。
「わしで試したらええやろう。どうせこのままでは助からへん。
上手う助かればもうけもん。死んでも医術の礎や。
後世、せんせの名残ればわしん名も残るやろ」
声は意識を取り戻した親分だった。





