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悲歌慷慨

悲歌慷慨(ひかこうがい)


 ふら付く身体の酔客は、刀を抜き放ち向って立ち上がる。

 足取りに酔いの影響は見られて居ても、体幹がしゃんとしているのは、武芸研鑽の賜物であろうか?


「蘭学がなんじゃ! 大砲がなんじゃ! ここは蛮地(ばんち)じゃのうて大八島(おおやしま)じゃ!

 わしらの腰にゃあ刀があり、わしらの胸にゃあ大和魂がある。

 お前ら(なん)も解っちょらん」


 涙を散らし、酒臭い息と共に吐き出す男。


「ああ。そう言う事ですか」


 わしは凡その素性を読み取った。



 大樹公家の天下統一完遂の為、武士の表芸である武術が夏炉冬扇になって久しい。

 そんな中で彼は、身を立てようと武を磨いて来たのだろう。

 黒船来航よりこの方、太平の眠りは醒めつつある。彼の様な者にとって千載の好機と映って居る事は間違いない。戦国の世程ではなくとも、刀一振り槍一本でのし上がれる時代が来たのだと。


 しかし黒船以来実際の所、物価の高騰で暮しは厳しくなるばかり。それでいて世の中は戦国時代のようには乱れておらず、(いま)だ大樹公家を頂点とした秩序が厳としてある。

 千載一遇の機会に技量を求められて立身して行く者は、武を磨いた者ではなく蛮書(ばんしょ)に通じた者が多いのだ。


 そんな鬱屈した心の内を喚き散らす酔った男。

 怒鳴り散らすと言うより、それは嗚咽(おえつ)に限りなく近かった。


 身食いの馬のように己を傷付ける彼の、傷口の様な口から滲みだす物は鮮血。

 血を吐く様な言葉の一つ一つが手裏剣のように打たれ、場は静まり返った。


 多かれ少なかれ、皆覚えがあったからである。



「言いたいことは判りました。先ずは刀を収めなさい」


 わしの言葉に、


「お前に何が解っちょるんじゃ!」


 酔った男は激高し、わしに向かって刀を正眼に構えた。


「見事な向身(むこうみ)にございますね。余程ご修行なさったのでしょう」


 褒めるが、あくまでもこれは試合の流儀。

 真剣で斬り合う積りならば、正対せず半直角ほど半身に立ち、切っ先を相手の咽喉では無く左目に付けるものだ。


 わしの誉言(よげん)(くた)しと見たか?


「てぇぇぇ!」


 気合と共に、切り掛かって来る男。


「甘い!」


 迷わずわしは、身を低くして飛び込んだ。



 竹刀稽古は、切り結ぶ勘所を身に付けるのに手っ取り早い優れた方法だ。指導の上手い師に出会えば、三年掛かる修行が早ければ半年で成る。

 しかしながら、竹刀稽古しかしない道場剣術には共通した瑕疵(きず)がある。

 当然高弟ともなれば話は別だが、そこそこの腕前しかない者には明らかに存在するのだ。


 それは攻撃時につい振りかぶって仕舞う癖と、防具で護られた胴や小手を打たれ慣れ過ぎて居る事。


 考えても見よ。

 鎧兜を着けない素肌剣術には、触れれば斬れる真剣の恐ろしさがある。腹を切り裂かれれば助かる術はなく、小手を切られれば手を失って仕舞うのだ。

 それを竹刀稽古の感覚で遣って仕舞えば、必ずや生涯の悔いを残す結果となるであろう。


 つまりだ。

 振りかぶった分だけ刃は遅れる。そして殆んどの流派では立ち技で腰帯より下を狙う(すべ)は高弟にのみに口伝で教える秘伝の(たぐい)

 さらに加えて常日頃防具を着けて竹刀で打ち合う稽古だけをしていれば、打たれても痛くない為知らず打たれ慣れて仕舞うのだ。それは勝手知ったる者に付け込む大きな隙を産む。


 これらと、わしのレスリングさながらの低空タックルからの(やわら)の手が噛み合えば、


「ううっ……」


 こうなる。


 刃の下を潜って懐に飛び込まれ、鳩尾にわしの肘をめり込ませて崩れ落ちる男。

 碌に息も出来ず、畳に血反吐と胃の中の物をぶちまけている。



「お嬢はん。刀振り回す奴に手加減しろとは言いまへんが、こないな荒事はわし達に任せてくれへんかいな」


 良い所を浚って行ったわしに、駆け付けて来た二条新地の親分の所の若い衆が言った。


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