小町桜
●小町桜
長尾天満宮の境内で渡世人とわしの間に割って入った小男は、開口一番わしに向かって深々と頭を下げた。
そしてまるで諭すかのように口を開く。
「おぼっちゃん。
犬に吠えられた言うて、人間様四つん這いで噛み合うものじゃあらしまへんよ。
悪いようにはしいひんさかい、ここはわしに預けて頂けまへんか」
顔と身体の傷に似合わず、わしに投げ掛ける優し気な視線。しかし一見穏やかな表情のその下に、山をも抜かん力を感じさせる。
まるで前世の、兵隊上がりの小隊長殿のようだ。
「あんたら、えらい元気ええーな。どこの者なんや」
彼はわしに背を向け、やくざ者の方を向いて言った。
すると、三下の内でも兄貴分らしき若者が胸を叩き、鼻高々に言う。
「はん。聞いて驚きな。
わしらは二条新地の親分の身内の者や」
「ほう~。なら、誰やあんたらは。二条新地の一家は知ってるが、あんたらの事はわしはいっこも知らへんやけどな」
刀傷に覆われた小男は三下達に向って鼻の先でせせら哂う。
「なんやとこら。泣く子も黙る二条新地の親分の一の子分とはわしん事や」
「ほう~。あんたが一の子分かいな」
じんわりと、濡れ紙に薄墨が滲むように、雰囲気を変えて行く小男。
「そうやったら、その親分とやらの事、話してみぃ」
「知らへんのか? 鬼より怖い大親分やで」
小男の問いに、親分自慢を始める三下。
火事と喧嘩が花のご府中で男を磨き。若くして既に名の有る身の上なのにも関わらず、公家屋敷の鉄火場で、団子や餅を売る小者から修行をやり直し、腕と気風であっと言う間に一家を構えるに至った大出来者。
「鬼より強い鋼の腕。男惚れる気風の良さに、肝は肝斗じゃ収まらへん。
そうやな。斗で無う石で量らなあかんお人やさかい、米に喩えりゃ大名様や」
我が事のように、親分の凄さ偉さを挙げ連ねて行くやくざ者。
「で? それで?」
相槌を打ちながら、小男は暫く愉快そうに聞いていた。
一頻り話が済んだ後。
「そうかそうか偉い偉い。あんたらは良う知ってるようやな。
やけど、わしはあんたらのことは知らへんぞ」
そう小男はやくざ者に言った。
傷の顔を緩ませて、目だけが笑って居ない凄みの有る笑顔。
こちらに浴びせられた訳では無いが、わしも思わず身構えてしまうような肉食獣の一触に屠らんとする殺気。
それが件の小男から、水に投げ込んだ小石が織り成す波紋の如くぐわっと広がる。
「ま、まさか……」
強張り絞り出す三下の声。
やくざ者達の雰囲気が、知らぬ間にハ長調からイ短調に転調して行く
「知らへんようやさかい教えたろう」
小男はばっとその場で諸肌を脱ぐ。背に負う文身は桜下の佳人。
「そ、その小町桜……」
見るなり腰を抜かし、
「あかん。わしらもう仕舞いや。なんまんだぶ、なまんだぶ」
蠅の如く掌を擦り合わせ、念仏を唱え始めた。
「で、昼の日中に天神様の境内で、何物騒な物を振り回してるんかいな。
子供一人に、大の大人がぎょうさん揃うて何を遣うてる。
ま。どっちの言い分も聞いたるさかい、ここはわしに預けへんか。きちんと道理を通したるさかい」
小男はやくざ者達にそう言い放ち、
「それでええかいな? おぼっちゃん」
わしに向かって、飴売りが銭を差し出す子供に見せるような良い笑顔で確認した。





