薩摩の忍び
●薩摩の忍び
「誰でございますか?」
誰何すると、
「お気づきになっとは。噂通いの姫様でもしたか」
微かに聞こえた独り言は薩摩言葉。
膝行して躙るように入って来た坊主頭は、一礼して名乗った。
「失礼致しました。私めは竜庵と申します」
若い。まだ二十歳にも成って居ないであろう。
「竜庵様は、薩摩守様側付きの方にございます」
女将のお登勢殿が説明を入れる。
「僧体……と言う事は、茶坊主ですか?」
「はい」
「酷く物騒な茶坊主でございますね」
わしの茶坊主の知識が、主に時代劇からのものである為だろう。
先程の殺気からは想像も付かない立場の者である。
それにしても側仕えの茶坊主が、何故遠い薩摩からこんな所に……。
あ、いやこれは。ピンと来たわしは、
「薩摩守様の、忍びにございますね」
と、決めつけた。
「これはこれは。聞きしに勝るご慧眼。
流石、八幡姫と名高き幸姫さまにございますな。
如何にも、我が殿の耳役にございまするぞ」
こ奴。あっさり忍びと認めおった。
「その、薩摩守様の忍びが、私に何の用でございますか?」
わしの言葉と共に宣振が、わしの護りから攻めへに切り替える。
見えざる剣の結界が竜庵殿の前面に張られた。
「されば、姫様。お屋敷のお庭で始められたやっとうは、どなた様の手解きにございますか?
お屋敷より漏れ聞えるきっげの如き猿叫。あれは、紛う事無き薬丸どんの剣。
されど奇怪な事に、姫の回りに土佐郷士の姿はあっても、薩人の影が皆無にございます」
「!」
一瞬、わしはぎくりとなった。驚きが顔に現れてしまったのを悟った。
「あれは、はしかの熱に魘されていた時にございます。
夢に現れた、太刀を佩き弓を背負った女の人より授かったものにございます」
そう言って、予め考えて置いた作り話をする。
所謂、夢のお告げを受けたのだと。
――――
そも大八島は、神代より君臣分は定まりて、
勾玉と匂い綴らせ皇孫の統す国なり。
されど君驕りて子に親を弑せと宣る。
懸かる咎により世は乱れ、早鞆の瀬戸に剣は沈みて後は武者の世とぞなりにける。
爾来。皇を民とし民を皇とする武者の領く世は続かん。
されど見よ。み国は朝日の直射す国なり。
寄せ来し黒船の火砲の轟きに、夢は破れん。
輝く天つ日に、七百年の雲霧は跡なく消えん。
長き禊ぎは天命維れ新たにし、天照神は古に復して言寄ささんと欲す。
物実を託されし神の裔よ。命を尊しとする土師の娘よ。
早鞆の瀬戸に始まりし武者の世は、所同じく早鞆の瀬戸にて終りを告げん。
時が満ちるその日の為に、汝は手弱女なれども剣を学べ。
見よこの術を、一人で習うにこれに如くは無し。
――――
あちゃから習った神代より続く江家の歴史と、前世の幕末の歴史の流れを元に。
わしはお告げの言葉をでっち上げた。
まだこの時代ならば、こんな神憑りな言い訳でも通る筈だろう。
「なるほど。共になさっておられた唐手、いやあれは柔にございますな。
あれも夢告にございまするか?」
「はい。夢の中で教えられた術を真似ているだけに過ぎません」
実際には権兵衛からも習ってはいる。
しかしそれとは別に今世では習うはずの無い必殺の術。前世において、無手で敵兵を斃して会得した術の方もおさらいしている。
命の遣り取りでしか使えぬ禁じ手だが、今のわしの体躯と柔な手でも、確実に大の男を殺せる戦場往来の術だ。
じっとわしを見据える竜庵殿。
双方が固唾を飲む息の詰まる緊張が走る。
やがて重苦しい時間が過ぎ、最初に竜庵殿がふぅと大きな息を吐いた。
「なるほど。確かに一人で剣を学ぶならば、薬丸どんの剣になるのは道理かも知れませんな」
「何故、私に問われましたか?」
わしが訊ねると竜庵殿は、
「これは内々の話にございますが」
と断りを入れて話し始めた。





