大阪蔵屋敷
●大阪蔵屋敷
大阪は、八百八橋の名に違わず橋が多い。特にこの時代は多かった。
藩の蔵屋敷は西船場の土佐堀常安橋付近の一隅。前世で言う土佐堀通りとなにわ筋の交差点の角地にある。
急な滞在だったが。いかに主家の姫の望みとは言え、春輔殿は上手く話を通してくれたようだ。
「湯をお持ちしました」
下働きの少女が、タライに風呂の湯ほどの温もりの湯を入れて持って来てくれた。
草鞋を脱いだ足を洗わせると、疲れがそこから抜けて行く。
「皆も馳走に成りなさい」
手拭いで拭いて貰いながら、残り湯を使わせる。
ここに居ない春風殿を除き、足洗い湯を使い部屋に入った。
わしの部屋を真ん中に、春輔殿達の部屋がある。
翌日、申ノ刻。
わしは春輔に世話をさせて茶菓を楽しんでいた。
どうせ一晩で追試など出来はしない。わしの書いた秘伝書の内容は、最低でも七日は掛かる工程だ。
「美味しいお茶ですね」
「はい。梅ノ井の水にございます」
春輔殿の手筈が嬉しい。
大阪は水の悪い土地なれど、これは高津宮の表参道を流れる梅川の畔に湧く名水で淹れた物なのだそうだ。
「わざわざ汲まれて来たのですか? ご馳走様です。
お饅頭の餡も大粒の小豆でございますね」
この時代とも思えない、微塵も雑味の無い甘さが口の中に広がる。
「はい。高麗橋の虎屋大和より取り寄せました」
虎屋と言われても、わしが知っているのは羊羹の虎屋だ。
だがここの虎屋も名に負けず、さぞかし名の有る店なのだろう。
「ご府中の母上様や兄上様にも、召し上がって頂きたいものです」
「そうでございますか。
お気に召されたらお申し付けください。菓子切手をご用意致します」
「良いのですか? 金子の方は……」
と確認すると、春輔殿は胸を叩き、
「お任せください。
確かに普通の饅頭の倍から三倍で、庶民には銭を噛むような高値なのかも知れませぬ。
しかしながら、高いと申しましても所詮は饅頭。十個買っても、町娘が気軽に購う安物のかんざし一本の半値程度でございます。
少しばかりに倹約をすれば、これくらいの出費は物の数ではございません」
そう言った後。隣に聞こえるくらい声を大にしする。
「なぁに。暫く晩飯を、東一君の分だけ無しにすれば、それで充分購えます。
どうせ、今宵も引っ掛けた女に食わせて貰って来ることでございましょう。
もし腹ペコで戻って来たとしても、姫の土産に使われるとなれば、本望にございます。
なぁ、東一君! 今夜も新町通いでございますか?」
すると壁越しに声が返って来た。
「ああ。勿論であります。
見事なリスケには及ばんでありますが、芸妓の姐さんが放してくれないのであります。
ここは蔵屋敷であります。狂介君と宣振殿がいれば、僕一人が抜けたとて何事もありはしませんでしょう」
春輔殿も春風殿も、随分といい根性をしている。
「春風殿。もう桶伏せに遭うても助けませんよ」
わしが宣言すると、
「げふっ、げふっ」
壁の向うから咳き込む音がした。
このように、わしが部屋で寛いでいると、
「姫様。名代殿が参られました」
わしを訪ねて来る者があった。