細き縁
●細き縁
熱が出たり引いたりの繰り返し。
本復までの時間は、前世のわしと今世の私が折り合いをつける為に費やされた。
百を超えた老爺の意識と、十の稚姫の意識が時間を掛けて融和して行く。
流石に十やそこらの童女で自らをわしと呼ぶのもおかしかろうと、力めて変えて行こうとしたのもある。
その間、具合の良い時間を使って、あちゃと言う乳母からさりげなく話を聞いた。
この世界は江戸時代に似ている。京に天子様がおいで遊ばし、江戸に大樹公様がおわす。
そしてこの大樹公様が三百諸侯と言われる大名小名を束ねているのだ。
因みに当代の大樹公様は武芸がお好みで、女子供や下々にまで武芸奨励を行い、二六時中女武芸者を侍らせているのだと言う。
父は大樹公の下にいる三百諸侯の一人。当家は公式の場では江家と呼ばれている。
なんでも、初めて幕府を開かれた源頼朝公に招聘された学者の末裔なのだそうだ。
さて。父は殿様だが、母は賤の女。身分の低い奉公人で風呂の世話をする婢だったと言う。
こうした女にお手が付いて胎が膨れて宿下がりと為ったのは世の常だ。
男ならこうした御落胤は庶民として生きるものだが。生まれたわしが女であったためお家としての価値が付いた。
腐っても殿様の実の子供である。養女なんかとは格が違うのだ。
有能な家臣に娶せるも良し。誼を結ぶ他家に嫁がせるも良し。大商人に降嫁させてお家の財政を立て直すも良し。
そして万が一にも、大樹公様のお目に適って嫁かせると言うことにでもなれば万々歳。お家の利益は計り知れない。
とは言え。下賤の娘を、わざわざ城内に迎える程でもない。と言うのが家臣たちの総意なのだろう。
因みに母はわしを産んだ時、産褥熱で亡くなっている。
前世は幼年期から剣を嗜んだ。郷里に伝わる剣術だ。
歳を取っても身体の動く内は、毎日木刀を執って稽古に勤しんだものだ。
だから再び自由の利く躰と成って最初に思ったのは、また剣を遣りたい。と言う事だ。
しかし男尊女卑の考えがある古き封建社会では、とかく女の身は不自由だ。
「やっとうなど女子がするものではございませぬ」
案の定、あちゃは大反対。
「でも、大樹公様がお好みです。
江戸の姉さまやお城の姉さまは、幼い頃より立派な師匠について、女の嗜みを習っております。
しかし、私にはあちゃしかおりません。同じ事をしていては、父上のお役に立つことは叶いません」
大樹公様の武芸好きは利用できる。武芸好きの大樹公を細き縁として、剣を学ぶ。
これがわしの考えた作戦だ。
この言葉に、あちゃは渋々ながらも剣術を認めた。
「剣術修行とは厳しいもの。到底女子に耐えられるものではございませぬ。
当面は素振りくらいに留め置き下さいませ」
しかし、最終的には父の判断次第だとあちゃは言った。
しかし、これで猶予は出来た。その間に既成事実を作って仕舞おう。
親子と雖も、殿様の父とお手付きの子。そうそう簡単に会えるものではない。父の考えなど直ぐに確かめられる訳がないのだから。