判っちゃいるが
●判っちゃいるが
宿に入り、それまで色々堪えていたらしき春風殿は、拳を自分の掌に打ち付けてぷるぷると震えた。
近付けば火照りを感じさせる程真っ赤になる顔は、押し殺してはいるけれども明らかに憤怒の感情が見て取れた。
「先生のお言葉と、役人の情ある振舞いに堪えていたでありますが。一言、言わずにはおれないであります。
如何に大樹公への忠義とは言え。妖怪赤鬼羽林めは畏くも天子様を蔑ろにする大奸物。
上は親王・太閤殿下から、下は町人に至るまで。公卿も僧侶も女もお構いなし。
ご公儀の要職に在りながら仁を解さず、一度疑わしいと睨めば、相手を滅ぼさずには済まされんほど小心の卑怯者。
あ奴は金毘羅さんに封じられた妖怪めの再来であります」
良く判らないが、物凄い言われようだ。
春風殿は余りにも息を荒くし過ぎて、ふらついている。
「東一殿。先生は、当世稀に見る仁君にして名君とまで誉めておられましたが」
春輔殿が窘めるが、
「それがどうした!
仁君? 僕は赤鬼の民では無い。当然何の御恩も受けた覚えも無い。
先生を唐丸籠に詰め込む奴のどこを褒め称えねば為らんのでありますか」
彼は激情の人のようだ。今ここで憤死せんばかりに雄叫びを上げる。
「春風殿! 憤りは尤もですが、怒りの余り回りが見えなくなってはいませんか?
仇を憎むにしても。自分に仇成す男を仁人と言う、師の人柄を誇って下さいませ」
「んぐ……」
春風殿は、必死で吐こうとした言葉を飲み込もうとしているようだ。
わしの言葉にむっとしながらも、なんとか気炎を鎮めようと抑えているのが見て取れる。
「子供が、小賢しい事を申して済みません」
一応は主筋のわしが頭を下げると。突然がっくりとした春風殿は憑き物が落ちたように穏やかな顔に戻った。
「なぁ春風殿」
わしが彼を呼ぶ名で宣振が、春風殿に話し掛ける。
「わしは羽林殿のことは良く判らん。じゃがのう。
あんたらの先生がそこまで誉める人物だとしたら、羽林殿も必死なんじゃとわしは思う。
これは董斎先生の受け売りなんじゃが。
この国が太平の眠りにある時に、外国どもは戦国の世を続けておったそうじゃ。
本邦では三代大樹公で在らせられる大猷院様の時代の殆どを、切支丹同士が宗旨争いで、驚く勿れ五百万の根切りを遣り合ったと言う。
十一代大樹公・文恭院様の頃も戦ばかりじゃ。
戦国の加賀越前が如く、民が一揆を起こして国主・領主の首を斬ったり。
奈翁なる秦の始皇帝の如き者が現れて、武者百五十万を率いて覇を唱えんと暴れまわったりしたとも聞く。
あちらはずっと戦国の世じゃ。
エゲレスもメリケンもオロシャも。夷狄の国では質の安定した硝石精を使って綿から煙の出ない火薬を作りよる。
鉄砲も火縄要らずで、筒の中に施条と言う溝が掘られてな。弾も丸薬みたいな形じゃのうて、椎の実のようなもんじゃ。
その弾の尻には窪みがあって、込める時は筒より細い。じゃが撃つ時は玉薬の爆発で尻が目一杯膨れ上がって筒の溝を噛むんじゃ。
矢羽根が矢を錐揉みさせるように、施条は弾を錐揉みさせる。矢でも弾でも錐揉みさせると真っ直ぐに飛ぶんじゃ。
戦も槍や刀じゃのうて、鉄砲と大砲。馬を飛ばしても三度は攻撃を受ける距離での戦いをしておるとか。
武器の違いだけでは無い。
本邦は君臣関係で命ずるから、大将が陪臣に直接下知しても従わん。
じゃが、あちらは君臣関係では無い序列で列士満と言うものを組んでおる。
本邦は大将が斃れたらそれで仕舞いじゃが、奴らは違う。
大将が倒れたら次将、それも倒れたら誰それ。呆れる事に足軽の端に至るまで、下知を下す序列がはっきりしておる。
だから兵が生き残って居れば、最後まで戦いを続けられると言う仕組みじゃ。
列士満だけではない。奴らには騎乗の士のみで作られた鋼馬的以と言う備もあると言う。
それで集団で乗り崩しに突撃して来たり。九郎判官義経様のように早駆け遠駆けをして、思いもよらぬ所から襲って来るのだとか。
ここまで戦う事に徹した奴らとわしらとでは、仮令あちらの進んだ鉄砲や大砲を手に入れたとしても、到底勝負になるとは思えん」
そう理を説く宣振を、春風殿は睨み付けた。
何も言わないと言う事は、多分頭では理解しているのだろう。





