小瀬川の訣別1
●小瀬川の訣別1
「姫様」
目の前で春風殿がわしを呼ぶ。
「大事ありません。まだ私を殺す弾は創られておりませんよ」
身を起こすと、ポロリと拉げた鉛の玉が零れ落ちた。
「姫様は、伴天連の手妻使いですか?」
春輔殿が驚きの目でわしを見る。
「いえ。これが私を護ってくれました」
わしは懐に手を入れて取り出す。
わしも今世では女である。だから世の女同様に女の持ち物を携帯している。
丁度心臓の辺りに忍ばせた鏡が鳩尾の板の如く鉄砲の玉を食い止めたのだ。
「丈夫な鏡ですね。鉄砲が当たって傷一つない」
白銀のように輝くそれは、お城山で手に入れた例の鏡だ。
硬くとも所詮は白銅だから、玉を受けてはへこむくらいはしているだろうと思った。
しかし何度確かめても、毫も歪みが生じていない。
磨き抜かれた金属の板は、色味を持たぬ金属製。前世のわしの知るガラスの鏡と変わらない像を映している。
「賊は?」
わしが訊ねると、
「姫様が撃たれた直後に逃げを打ちました。
自分に追い掛ける余裕はなく、みすみす見逃してしまいました」
済まなそうに狂介殿が言った。
「失礼でございますが。あなた様は」
護送の役人の一人がわしに聞く。
「江家が女・幸と申します。
藩主の胤なれど賤の女腹にございますれば、長く町家に育ちました。されどこの度、御縁有って奥方様の養子となりました。
このため奥方様とご対面を果たし、世子たる義兄上様にもお目通り致すべく、ご府中へと参る途中にございます」
すると役人は、
「我ら不浄役人に対し忝きお言葉。痛み入ります」
と頭を下げた。
「それにしても。ご上意とは?」
わしは首を傾げて見せる。
「父はいたくお寅殿を気に掛けており、ご公儀のお裁きも無しに誅するなど考えられません。
それにお寅殿は、苟も弊藩の軍事を司る家の者です。
誅するならば刺客を使わすのではなく、切腹のお沙汰を申し付けるが筋でありましょう」
頷く役人達。何やら言いたそうな顔をしている春風殿も上辺は、納得したかのように右に倣う。
「ましてお寅殿はご公儀の罪人にございますれば、ご公儀のお裁きを待たずして勝手にどうこうする道理など、ありますでしょうか?」
お寅殿は、藩の罪人ではなく大樹公家の罪人である。質問の形を取りながら、そこの所を強調した。
そして、勝手にどうこうの所で、わしはきっと春風殿を睨み付ける。
上意討ちと抜かして暗殺するのも、護送の旅を襲って取り返すのも、どちらもご公儀に対する反逆に当たる行いなのだから。
春風殿は、少し口を尖らせ眉を上げて黙っている。
仮にも師匠を護って手傷を負った役人に対して、振り上げた拳を降ろせずに苛々しているのだ。
そんな春風殿を前にして春輔殿はあたふたし、狂介殿は暴発に備えて槍の石突の先を向けている。
裏を知るわしらだけが、独り相撲で緊張していた。
そこに、
「暢夫か?」
唐丸籠の中から声がした。
「はい。僕であります。小輔も俊輔もここに」
春風殿は恭しく返事を返す。
「お役人様。すこし宜しいですか?」
わしが尋ねると。
「どうもこうも。駕籠掻きが戻って来るまでここに居るしかありません。
われらの役目は、彼を無事にご府中まで連れ帰る事。
我らが斬るも縛るもお役目ゆえ。如何なる事があっても、決して遺恨がある訳ではありませぬ。
別してお役目に支障の無い限り。
お手前らが何を語ろうと聞えませぬ。何をなさろうと見えませぬ。
我らは不浄役人なれど武士の一分に懸けて、何事も言わぬ事を約しましょう」
柄に右の掌を付け、左の親指で鯉口を切ると直ちに掌で押し込んで、チンと高い音を響かせた。





