約束の地
●約束の地
前世で見た通り、木製のアーチ橋が連なっている。
晴れた空。橋と水面に映る橋の影が見事な風景を作っている。
「姫様。橋の近くに置かれている箱が、諌櫃。
傍らの高札には、藩政に対して不満あらば、身分を問わず訴えよと書かれております。
お殿様は二つの眼で領内を見ておいでになりますが、領民は何万もの目で藩庁を見ておりますからな。
役人の依怙の沙汰や無体は、藩庁が必ずお取調べに成り、一揆を起こさずに済むよう計らうのであります。
また、職人でも農民でも。他藩に売れる特産を創り出した者が申し出れば、褒美と然るべきお役目を下して厚く保護を致すのです。
先生も、流石我が君と感服されたと伺っております」
我が事のように自慢する狂介殿。
だがつい先年。藩政に建白書を出して閉門減禄処分を受けた乃木某と言う藩士が居ることは、あちゃより話を聞いている。
だからこれはあくまでも、圧政や涜職に対する安全装置であると見做した方が良いだろう。
非常時に平時の政体を護るには、その政体と相反する危機管理制度が不可欠だからである。
「姫さん。宿は関戸宿で良いのかのう？」
そう言う宣振に頷くと、
「では、わしが先に行って整えておきます。春輔殿、宿代分先に出してくれ」
金庫番から銭を受け取り先行する。
「急ぐぞ。今日か明日の昼頃には通過するはずだ」
春風殿が皆を急かす。
狭く険しい街道を、わしは狂介殿に背負われて通る。
背負うと言っても、彼は両手を開けておかねばならないから、実際にはわしがしがみ付いている。
「皆さん。速いですね」
「そりゃ旅慣れていますから」
感心するわしに、春輔殿がこんなもんですと口にする。
街道とは言え、羊の腸のような小径を辿るのはかなり脚に来るはずなのだが、春風殿も春輔殿も、わしを背負う狂介殿も平地を進むが如き足取りだ。
いやいや今世のわしが、平地の街道を往くよりも早い。しかもそれを、身体に捻じれを生じぬ動きで成し遂げている。
あれよあれよと思う間に、皆は三里から四里と言った道を踏破してしまった。
「姫様。小瀬川の渡しにございます。ここを渡れば藩祖様ご生誕の地。
天下分け目の大戦の後、ご公儀に召し上げられた江家の本貫地にございます。
ここからは見えませんが、あちらに江家ご開運の宮島がございます。
今は豊栄の社に坐す高祖仰徳様は、家来筋めに父の遺領を横領され、乞食若殿と蔑まれる零落した一国人から身を起こされました。
宮島にて主君と公卿の仇を討ち、遂には十国々主と言う江家最大の版図を誇り、源平と並ぶ名門江家の復璧を果されたのであります」
言って大きく、春風殿は胸を張る。
その父祖の土地を切り離して流れるのがこの小瀬川だ。
辺りを見渡すわしの目に、向うから大勢の人が遣って来た。その中央には、罪人を運ぶ唐丸籠が見えた。
その時。ピリっとした物を感じたわしは思わず、
「誰か！ 春風殿を止めなさい！」
徒ならぬ彼の雰囲気にわしは命じた。
今年最後の投稿です。
みなさま良いお年を。
