表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/152

出発の朝

●出発の朝


 旅支度を整え屋敷で待つ。

 藩庁からの報せでは、春風(はるかぜ)殿が参ると言った時刻。屋敷を訪ねて来たのは、あのあばた面の小男では無かった。

 遣って来たのは筋肉質で小太りの、若い相撲取りかと思うような男だ。


「春風殿は来ないのですか?」


 聞くと面前で平伏し、


「真に申し訳ございません」


 と謝った。


「仔細を聞かせて頂けますか?」


 わしが促すと、男は平伏した顔を少し上げて、


「わしは先生の推薦で京への随行が許され、来原様に従って長崎遊学にも預かりました。

 この度、藩に戻って参ったのですが。

 東一殿は、わしの帰藩祝いじゃと申されて、昨晩遊郭で乱行(らんぎょう)に及びましてございます」


 と吐き出した。



「いったい何を遣ったのです?」


 わしが訊ねると、


「はっ、わざわざ何人ものお茶挽を呼び集めて。わしに『良いから食え』と絡み酒のように大鯛の目肉のつくねを始め、高値(こうじき)な食い物を注文なされまして。

 酔いが進み、仕舞いには自ら襁褓(むつき)をして、そこに酒を注ぎこむ始末」


 前世のバブル景気の時代に存在したと言う乱行の一つ「おむつビール」それを百年以上前に遣らかすとは、ぶっ飛んだ奴だ。

 わしは呆れただけで済んだが。


「なんですと!」


 あちゃが吼えた。


「高値なれど、目肉のつくねなれば他は誰かのご馳走となります。されど、襁褓に酒とは天に背く非道です。

 殿に申し上げて、切腹のお沙汰を。いや、切腹では生温うございます。打首獄門でも足りませぬ」


 ふうふう言いながら顔を真っ赤にしている。


「あちゃ。そんなに怒ると身体に悪いですよ」


「すみません。取り乱してしましました」


 あちゃはやっとわしに気が付いて、口を噤んだ。


 些か過剰に反応しているようだが、この時代。酒は米穀の余剰で作るものだから、前世の晩年よりも遥かに高価な飲み物になる。

 (かも)さねば人の(かつ)えを癒す物なれば、無駄にするような振舞いは許せぬのだろう。



「かくして一夜にして藩から受け取った路銀をばら撒いてなお、支払いが足りず。

 只今、桶伏せに遭っております」


「桶伏せ?」


 あちゃが首を傾げると、


「はい。大きな桶を伏せてその中に、閉じ込められてございます」


 相撲取りみたいな男は、再び額を土に着けた。



「それで。いくら足りないのです?」


「方々手を尽くして借り受けましたが、後三両ほど」


 わしは矢立で懐紙に借用書を認めて、奥判を書き入れた。


権兵衛(ごんのひょうえ)。私の化粧料(けわいりょう)を担保に、藩庁から借り受けます。

 旅の費用として十両。用立てて貰いなさい」

「畏まりました」


 権兵衛を使いに出し、相撲取りのような男を顧みる。男はおずおずと、


「宜しいので?」


 と口にした。


「流石に遊郭の払いでは、私の公費を回せないでしょう。

 それに嘘は言って居ません。春風殿が参らねば、私は旅に出れませんから」


 そう言う意味では間違いなく、旅の費用の一部ではある。


「所で。そなたの名前は?」


「軽輩ゆえ、ご容赦を」


「構いません。伺います」


「わしは春夏の春に輔弼(ほひつ)の輔と書いて、春輔しゅんすけと申します」


「春輔。良い名前です。覚えて置きましょう。しかし、春風殿には困ったものですね」


「あ……はい。こう言っては何ですが。以前から、公金と自分の金の区別が付かない男でして」


 春風殿には、彼も相当苦労しているのだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
表紙絵
お読み頂きありがとうございます。
お気に召しましたら、ブックマークや最新頁の下にある評価点を入れて頂けると励みになります。
なろうに登録されていらっしゃらない方からの感想も受け付けておりますので、宜しかったら感想やリビューをお願いいたします。

---------------------
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ