師は強ければ
●師は強ければ
文長六年十月二十七日。
六日続きの晴れの空に、晦日近い暗い月が朝日に掻き消えた時。二通の文が認められていた。
「今日は死ぬのに良い日であります」
呟いた三十路あまりの小柄な男は、再び筆を執りて文の冒頭に一首の歌を書き添えた。
朝が来た。
「義卿殿」
迎えに来た役人を
「御苦労様であります」
と義卿は労い一揖。
「如何なりましたか?」
問いに顔を歪めし牢役人は、とても言い難そうに
「本日、死罪と相成りました」
とだけ告げた。
「そうでありましょう。主命に従っただけの黎園君を死罪にしたのであります。
自らの意思で猛を発したこの僕ならば、死罪は当然。磔もあり得ると覚悟していたのであります」
「先生。何故……」
牢内の者が問い掛けたが、
「さ。参りましょう。案内を頼みます」
皆まで言わせず歩き出す。
そして微塵も顔色も変えず、悠々と土壇場まで進んだ。
「皆様、御苦労様であります」
その体躯こそ小兵なれど。一糸乱れぬ堂々たる態度で端坐した大丈夫ぶりに、
「おお……」
辺りから嘆息の声が漏れた。
文字通りの土壇場だ。並の者ならば股栗して立つことさえ危ういが故に。
「義卿殿。これを」
差し出されたのは三方に載せられた一本の扇子。
「彦根中将様からのお心遣いにございます」
武士にとって、扇子は刀も同じ。扇子を扱う作法は刀に準じるものである。
土壇場においてそれを渡されると言う事は、武士としての体面を保って切腹せよと言う意味になる。
しかし義卿は静かに首を振り、
「駄目であります。死罪と定めたからには、切腹の態を取ってはいけません」
と窘めた。
「法は国の基であります。仮令大樹公様と雖も、自儘に法を曲げては天下は収まらないのであります。
悪しき先例を作れば、いずれ法は無実のものとなり、遂には品下りし無法の世と堕して仕舞うことでありましょう」
故に無用と脇に置く。
「見分役殿」
どう致しますかと首切り役人が問う。
はぁと息を吐き出した見分役は、義卿に
「遺す言葉はございまするか?」
と低い腰で尋ねる。
ならば。と義卿は紙と筆を所望し、認めた。
――――
大樹が征夷の任を全うしかねざる国難の時。
羽林殿が成せば善し。成さざれば、神君の墓より出でて采を揮うにあらずんば如何にとやせん。
フレイヘイドの草莽崛起により、一君万民の国に還るべし。
(意味)
大樹公家が外国から国を護ることが怪しくなった国難の時です。
彦根中将殿が成功すればよいですが、失敗したら、初代大樹公様が墓から甦って采配を揮うのでなければどうしたらよいものでしょう?
フレイヘイドの名も無き人々によって、万民がお一人の天子様を戴く国に戻るべきです。
――――
そしてこう言い添えた。
「僕が死すとも。死は僕の勝利であります。
今僕が死ねば、僕の血は種子となって、芽を吹き花を咲かせ実ります」
この処刑の土壇場で穏やかな顔。堂々と断言する義卿は、
「フレイヘイドとはなんでありましょう」
との見分役の質問に
「蘭語のフレイヘイドとは不羈自立の意。
即ち、羈ずして自ら立つことであります。
名君なれども、彦根中将殿は唯お一人。一人の力には限りがあるであります。
されどフレイヘイドの者達が、百万一心の訓えに遵い事を成す時。
如何なる外国も、この国を侮ることは出来ますまい。
仮令胆を嘗め薪に臥しても、
必ずや国の誉を完うすることでありましょう」
と説き明かした。そして
「……顧れば此の耿耿として在り。仰いで浮雲の白きを視る」
と中国南宋の忠臣・文天祥の正気の歌の一節を詞書に添えた義卿は、
――――
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
――――
朗々と辞世の歌を詠み、そしてあたかも茶の亭主が挨拶するかように首を差し出した。
「公儀腰物拝見役・山田吉利。
累代の家宝・備前長船景光を以って介錯仕る。御免!」
一閃。皮一枚を残し、椿花と首が落ちた。
後に四谷に住んだこの首切り役人は、晩年、
「いよいよ首を切る刹那の態度は真にあっぱれなものであった」
と、語ったと言う。





