信の野心
●信の野心
「生殿。もしや今生とは違う記憶をお持ちにございますか?」
前世の記憶があるのかと尋ねると、
「何の事じゃ?」
どうやら覚えがないらしい。キョトンとした顔で聞き返す。
まあ、いずれの世にも早熟な子は居る。前世で取引先だった岩崎の重役の孫娘にも似たようなのがおった。
とある刑事ドラマの再放送に嵌って、将来の夢に僅か四歳で検死官と書いたのだ。
結局、先生達の手によってお花屋さんと言う無難なものに書き換えられたが、後々までその事を怨んでおったと聞く。
当時から味の趣味も渋い所が有り、子供の為に用意されたフライドチキンに見向きもせず、わしらが食べて居た懐石料理の鮎の煮凝りが食べたいと拗ねて居た子だ。
生殿もあるいはその類か。
平成の御代では、掛算九九を真っ先に覚えたりする代わりに、お勉強が出来過ぎて浮き溢しの憂き目に遭うのがこの手の子供だ。優秀過ぎて、授業態度が悪いと大きく内申点を差っ引かれたりもする。
考えても見よ。尋常科一年の授業など、大人は教鞭を執る訓導(教師)かその卵でも無い限り、聞いてて退屈するに決まっておる。
「それで、信殿は……」
わしは残った最後の一人に、志願の理由を確認する。
「兎角この世は、女には生き難く拵えられております。
過ぐる癸丑の年まで、私の家はさる藩に仕えておりました」
信は穏やかな声で話し始めた。
彼女の家は元禄時代にお畳奉行を拝命してより、父の代まで代々家職として引き継いで来た。
ところが、黒船の来航とメリケンとの約定により物価は高騰。これに関わる畳購入の不首尾を理由に、藩は彼女の父を召し放ったのだ。
勝手に切腹などしたら縁戚全てを召し放つと言われては、是非も無い。泣く泣く浪々の身となった。
以来七年余。一家の活計は儘ならず。元手を借りて商いを試みるも上手く行かず、空しく借財を重ねるのみ。
まあ仕方ない。体面を気にして内緒で呉服を商うなど、上手く行く道理の一欠けらも無い。当に武士の商法の典型だ。
「叔母が後妻に入った信濃の座頭貸し瀧澤殿からの借財は、低利なれども元金だけで百両に上り。
とうとう先日見限られました。今は元金割れの八十両で良いから疾く返せ。と返済を迫られています。
如何に縁戚故の、座頭貸しらしからぬ計らいと雖も。八十両の工面ともなれば、道は限られております」
座頭貸しの座頭とは、平成の御代で言う視覚障碍者の事である。
この当時は為政者による社会福祉で、按摩や芸事以外に口を糊する術を持たない彼らにだけ、高い金利で金を貸すことを許可していたのだ。
縁戚故に低利で商いの元手を貸して、今また元本割れで損切りしようとしている瀧澤殿を責める道理はどこにもない。
そして零落した浪人が、八十両もの金子を工面する方法は極めて限られている。
否、合法的手段は一つしかない。手を拱いて居れば遊郭に売られるのは時間の問題であった。
「理由は判りました。しかし、私が求めるのは戦える者にございます。奈津殿は馬術や騎射に優れ、生どのは算用に秀でる故、火砲を任せられるようになりましょう。ならば信殿には何が出来まするか?」
わしは少しばかり突き放した。
すると信殿は一首の詩を吟い始める。
――――
我が祖の威名 久しく熟聞す
刀槍三千 三軍を掃う
雲蒸竜変 何れの日か知らん
誓う 微躯を以って勲を画策す
――――
詩は青雲の志を持つ若者の滾りだ。
ざっと意味はこうである。
――――
私は祖先の手柄を聞かされて育った。
群がる敵を軍勢を蹴散らしたのだと。
天の時を得た躍進の時はいつの日だろうか?
誓う 私は何としてでも勲を立ててやるのだと。
――――
さて、雲蒸竜変と聞いて、真っ先にわしが思い浮かべたのは、中学講座に出て来た漢文だった。
史記の彭越賛。秦末に起こった群雄の一人、彭越に対する太史公、即ち司馬遷の論評である。
彭越は漢の天下になった後、叛逆の意をいだいて敗れると、自決せずに虜囚の身となり、刑戮を被った。
当時の中国では、一敗地に塗れた将は縄目の恥を嫌って自決するものであったが、群雄の一人足り得た程の人物が何故捕虜に為ったのだろう。
これに対して司馬遷はこう評している。
――――
尺寸の柄を攝つを得ば
其の雲のごとく蒸し、龍のごとく変じ、
其の度に会ふ所、有らんと欲す。
(意味)
わずかでも権力を握ることができれば
機会を見て雲のごとく立ち上がり、龍のごとく変化して、
思いのままに活躍することを狙ったものである。
――――
「破れし治部の、洞に隠れし頼朝公の心境にございまするか。
確かに、上様お声掛りの企て故。ご親戚に返済を猶予させる尺寸の柄となりましょうな。
何が出来るかは判りませぬが。そのお覚悟を買わせて頂きましょう」
わしは、男児のように自力で伸し上ろうとする信殿の、尊き野心に肩入れすることにした。





