生の夢
●生の夢
「覚悟ならあるのじゃ!」
今度も先に、生殿が口を開いた。
「妾の父上は蘭癖じゃ」
父は西洋かぶれだと生殿は言う。
「幸い政に関わりの無いものじゃったから、二十年前の騒ぎでも獄に下る事は無かったのじゃ。
そんな父上が、珍しいと、長崎渡りの商人から、高値購ったのがこれじゃ」
そう言って取り出したのは、象牙で出来た物差しの様な物。
「計算尺にございますね」
「知っておるのか!」
写しを宣振が持って居る。しかし、生殿のはさらに精密で多機能な模様。
スライドさせる滑尺の数も、宣振が持っている物の倍以上ある。
「長崎でも一つしかない優れ物で、あちらの按針から五百両で譲って貰ったそうじゃ。
掛算割算はおろか、手早く平方・立方・円理に関わる計算も出来るのじゃ」
「円理? と申しますと?」
わしが水を向けてやると、生殿は勝ち誇ったように胸を張る。
「円理とは、円周・曲線の長さや面積。球の体積などに関わる算術ぞ」
ピンと来た。増えているのは三角関数などを扱う滑尺だ。
「ほぅ~」
声を漏らして、興味深そうに覗き込む宣振の眼は、大阪で見た適塾の者達のようである。
「嬢ちゃん。おまさんはそれを使えるのか?」
「使えるのじゃ。父上は珍品を集めるばかりじゃが、妾はちゃんと使えるぞ」
ならばと宣振は問題を出す。
――――
甲・乙・丙の三地点で測量をした。
甲より乙丙を測ると半直角。乙と丙の距離は二町の平方根の二倍であった。
この時。甲乙丙を通る真円の半径を求めよ。
――――
シャカシャカと計算尺を操作した生殿は惑い無く答える。
「二町じゃ!」
「正解じゃ。おまさんは天才か?」
目を輝かせた宣振が、
「なら、これを解く事はできるやろうか」
と問題を投げる。
――――
川向こうの一本杉を川岸の甲乙二点で測り、甲では三分の一直角。乙では三分の二直角であった。
甲乙の距離が五十尺である時、川幅はいくらか?
――――
計算尺を操作していた手が止まり、目を凝らす生殿。
「二十……一。いや、二十二尺じゃ」
「ご名答。道具に見合うた持ち主や」
宣振は手放しで褒め、
「姫さん。この子は買いだ。長じれば有能な砲術家になるろう」
と助言をくれた。
しかしそう言われても、こちらで決めて良いものでも無い。そこで、
「生殿は、何に成りたいのですか?」
と将来の夢を聞いてみる。
すると生殿は何も迷う素振りも見せず、
「桃太郎に成りたいのじゃ。鬼共を退治して、隠れ蓑や打ち出の小槌、金銀珊瑚を手に入れるのじゃ。
登茂恵殿も欲しいじゃろう」
と口にした。
「あ、はい」
「最初、妾は吹き矢で目を狙えば良いと思うておった。
じゃが、遣って来た鬼共は精しき鉄砲や大筒を使う。
吹き矢では敵わんのじゃ。こちらも鉄砲、いや大筒を駆使せねば勝てんのじゃ。
爺から、それには算術が要ると聞き、今学んでおる所じゃ。
面白いぞ、算術は。父上が招いてくれた蘭学者から、シンコステータの法を教えて貰うた時は、小躍り致したものじゃ。
算術が隠れし数を告げてくれる。果て無き海に跡を付けるも、影見ぬ国へと船を導くのも、全て算術の偉力なのじゃ」
尋常科一年の歳で、砲術を身に付けたいとここまで本気でやる者は先ずいない。
因みにシンコステータとはsin・cos・θ(Theta)を繋げて読んだものである。
この歳で、前世の晩年でも高等学校で習う三角関数を理解しているとは。恐るべき麒麟児、或いは……。
「生殿。もしや今生とは違う記憶をお持ちにございますか?」





