操六翁の品定め
●操六翁の品定め
陽当たりの好い縁側に腰掛けるヤギの様な白い顎髭を蓄えた老爺が居た。
縁の無い円筒形で頂が平らな宗匠頭巾を被り、紺地に白抜きの鶴と亀の文様の絣の着流し。あれは孫であろうか? それとも曽孫であろうか? 膝に赤い木綿の服を着たわしと変わらぬ年頃の女の子を抱いている。
翁はまるで良寛様のように、膝の女の子と赤い糸で綾取りをしていた。
操六翁の服は、使うほどに風合いが増す手括りによる絣糸と言い、精緻な文様と言い、思い当たるのは唯一つ。
「見事な久留米絣にございますね。見慣れぬ柄にございまするが、新たに絵糸書から起こされましたか?」
わしは話す切っ掛けを操六翁の服に求めた。
すると翁は、
「ほう。お若いのにお詳しいですな」
と、如何にも好々爺とした顔で答えた。
前世の知識に照らすと決して最近の話ではないから、この位は識っていても不思議では無かろう。
久留米絣は久留米城下の通外町生まれの伝と言う娘が、十三歳の時に編み出したもの。
その十三年後、後に東芝の設立者となるからくり儀右衛門こと田中久重の手により板締め技法が考案されてから、複雑で精緻な図案が発展した。
年代的には五十年近い枯れた技術の筈だから。
「こちらに安五郎親分が逗留されていると聞き伺いました」
わしはずばり用件を明らかにする。操六翁は口元を緩め、
「言葉に水戸訛りがございませぬが、あなた様はどちらのご家中にございますか」
と聞き返した。
言葉は真に穏やかなれど、眼にあからさまに警戒の色がある。
「私は周防長門の国主・江権中将所縁の者にございます」
「江家と言えば、勤皇の名も高き洞春公がご子孫。証はございますか?」
「これではいけませぬか?」
わしは大刀の鞘の差表より笄を抜き出して手渡した。
当然だが、笄には家の紋がある。
「御免仕ります」
操六翁は懐より眼鏡を取り出し検める。眼鏡と言っても平成の世で言う虫眼鏡のことだ。
「真、一文字三星紋! しかもこれは象牙ではございませぬか」
あるいは家紋だけなら捏造も出来ようが、それが舶来の象牙とあらば手に入れるのも難しい。
「江家所縁の者と認めて頂けましたか?」
「判りました。案内致しましょう」
そう言った彼は、膝から女の子を降ろし、三十路の女より鈴の付いた杖を受け取って、
「よいしょ!」
掛け声とともに立ち上がった。
「付いて来なされ」
三十路女に支えられ、鈴を鳴らしながら先を行く。
女は声を上げ、
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
百人一首の小野小町の歌を高らかに詠みながら、散らされた落ち葉の上を踏んで行く。
「これは?」
「安五郎親分は用心深いお方でしてな。
こうして鈴を鳴らし、予め日と刻とで取り決めた歌を詠みながら近づかねばなりませぬ。
違えれば密かに逃げ去るか、敵と見做して仕掛けて参ります」
なるほど。仮令家人を質にとって脅しても、声を出さずに忍び寄ったり歌を違えることにより、密かに変を知らせることが出来ると言う寸法か。
この敷き詰めた落ち葉も、音で追手の接近に気が付く為の工夫なのであろう。
離れに着くと、左右に二人の男を従えた男が外でこちらを出迎えた。
もう五十路に垂んとする貫禄のある男だ。背はこの時代にしては高く、鴨居を見当に測れば、ざっと五尺五寸(百六十八センチ)は有るだろう。
眼は細いが、色白の顔と言い通った鼻筋と言い若い頃なら役者になっても大成したであろう色男であった。
今でもいざ出入りとなれば、その恵まれた上背が恐るべき必殺の一撃を生み出すであろうことは想像に難くない。
親分の右斜め前にいるのは、五尺(百五十センチ)前後の色白のやや小太りで眉の太い男。
左斜め前に立つのは、惣髪の身の丈六尺(百八十センチ)を超える浅黒い大男。
阿仁王の如く口を開き、歯を剥き出して凄むその口には、前歯一本欠落している。
いずれも襷を掛けて尻っ端折り。額に鉄の鉢巻を締め、恐らく分厚く晒しを巻いているのだろう。下腹から胸にかけて妙にこんもりとしている。
そして耳を澄ませば、微かに響く鎖の擦れる音。恐らく衣の下に鎖を着込んでいる。
これはもう、今直ぐ斬り合いになっても困らない備えだ。
そんな彼らが一本刀を抜き放ち、右の逆手に持って背の後ろ。横に刃を突き出した格好で待っていた。
皆腰を落とし、左右の男は左手の親指を握り込んだ左拳を、真ん中の男はぱっと手を広げた左手を前に出して。





